小説

短編小説 瞑想者

那智タケシ  

とある秋の夜、街が眠りについた時刻、住宅街の片隅にある小さな公園で、一人の男がベンチにだらしなく横たわっていた。

彼の頭上には、楡の枝葉が巨大な扇のように拡がり、星月の光を遮って、さわさわと風に凪いで、孤独な瞑想者を庇護していた。

男は、目を閉じていた。しかし、眠っていたのではなく、枝葉の振動に耳を澄ませていたのであった。

それは、枝葉の振動であると同時に、宇宙の彼方からやって来て、万物に生命を吹き込む、あの精妙な振動であった。

それは、別々のものではなかった。

すべては、振動によって成り立っていた。

男は、目を見開いた。するとその瞳には、見えるはずのない星の光が宿っていた。

彼は、しばらく頭上の黒い扇の複雑怪奇なぜん動を目で追っていた。

それから、少し半眼になり、再び、目を閉じようとした。

しかし、それは眠気からではなく、視界を曖昧にすることで、目の前の神秘的な運動に自らの肉体を浸潤させ、一体化しようと努めている人のようであった。

実際、彼は神秘のぜん動と一つになって、肉体も精神も消えうせるかのように、生命のゆりかごの中で酩酊していた。

その時、彼は夜の神秘に震撼する木の葉であり、頬をなでて縦横無尽に空気の通路を吹き抜ける風であり、何十万光年の彼方で爆発する星であり、オリオン座の幾何学的な配置であり、どこまでも拡がる宇宙であった。

その時、彼はどこにも存在しなかった。

彼は、宇宙そのものであった。

そして、どこからともなくエクスタシーがやって来た。

それは、偉大なる存在それ自体への何者かからの祝福であった。

彼は宇宙の始まりからそうしていたし、これからもそうしているだろうことを知っていた。

そこには、時間が流れていなかった。

それは、ただそこに「存在している」という感覚だけがあった。

世界が、そのままにそこに存在していて、それ以上でも以下でもなかった。

それ以上でも以下でもなく、自分という存在も大きすぎもせず、小さすぎもせず、ただありのままに、過不足なく、ぴったりと樹木の下にはまっていた。まるでジグソーパズルのピースのように。

その隙間なくぴったりとはまっているという感覚が、彼に至福と永遠をもたらしたのであった。

そこには、葛藤も、混沌も、衝突もなかった。

ただ、静謐の感覚があり、その底流に至福が存在していた。

彼の足元には、自分を支える巨大なものが存在していた。

その巨大なものは、決して姿を現さないが、我々のすべてを支え、見守り、許しているのであった。

天と地に包み込まれるように抱かれて、彼は、いつまでもそのままでいたかった。

一切のわずらわしい現実から身を背け、夜という巨大な生き物の懐の中で、恍惚と目を閉じていたかった。

彼は、完璧でいたかった。

もしもこのまま、太陽が昇らず、誰もその公園にやって来ることがなかったならば、彼はいつまでもそのままそこに横たわっていただろう。

何時間でも、何日でも、許される限り……

しかし、彼は目を見開いた。

それは、実に冷めた目つきであった。

しばらく放心した様子でじっとしていたが、ゆっくりと身を起こし、ベンチに腰掛けたまま、ざらついた地面を無表情で見つめた。

その視線が、僅かに上を向いた。それは、奇妙なことに、斜め上だった。

彼は、天と地の中間辺りを見つめていたが、そこには何も存在していなかった。

彼は、暫し虚空を見つめていた。

すると、目の焦点が現実世界に合わさって、顔の輪郭がはっきりした。

彼は、もう酩酊していなかった。

何かを覚悟したような顔つきをして、立ち上がると、辺りを見回した。

彼は、一つ深呼吸をした。

夜の甘く、冷たい大気を体の中に染み渡らせ、ゆっくりと吐き出すと、僅かに微笑んだ。

それは意外なことに、どこかシニカルな、何かを諦めた人特有の、自嘲するような微笑だった。

それから一つ、首を振ると、意を決した様子でようやく公園の出口に向かって歩き出した。

空には、星々が満ちていて、月は、瞑想者の孤独な姿を見守っていた。

しかし、彼はもう前だけを見ていて、振り返ったりしなかった。

夜は、彼を解き放ち、微笑んだ。

誰もいなくなった公園に、枯れ葉が一枚、天上からゆっくりと落ちてきた。

枯れ葉は、地面と一つになり、地球の声に耳を澄ませた。