近代文学における自我の目覚めをスルー!?
「わたし」からではなく、「第七官界=無我」から表現した尾崎翠

土橋数子  

日本の近代文学が自我と格闘していた時代、尾崎翠(1896?1971)という作家は、独自の不思議な世界を描いてきた作家である。

例えば、代表作として知られる『第七官界彷徨』は、「よほど遠い過去のこと、秋から冬にかけての短い期間を、私は、変な家庭の一員としてすごした。」から始まり、「赤いちぢれ毛の娘と、精神科医の長兄、肥料を研究している学生の次兄、それに音楽受験生の従兄弟」の4人が、廃屋の一つ屋根の下で暮らす日常が描かれている。苔が恋を始めたり、部屋でこやしを調合して煮る臭いが漂ってきたりと、尾崎翠独自の感覚的な世界が表されている。

私が尾崎翠を知ったのは、1992年に田中裕子が主演したNHKドラマを観てから。ふわ~っとした透明感のある世界観に「新しいファンタジー作家の原作を基に作ったのかな?」と思っていたら、明治生まれの女性作家で、作品は昭和初期のものであった。こんな人もいたのか、と本を買ってみた。古い小説とは思えない、いつまで経っても新しいと感じるような小説であった。「尾崎翠こそ少女漫画の原型」ともいわれるが、私は「時をかける少女」がラベンダーの匂いを嗅いで倒れるシーンと重なったりもする。SFや今のアニメの世界ともつながっているのではないだろうか。

 

テレビドラマが制作されたのは、再評価の機運が高まっていた時期だったのだろう。というより、尾崎翠はしょっちゅう「いま再評価が進んでいる」と形容されている作家であることを思えば、いつまで経っても新進気鋭の作家、みたいな感じでもある。

事実、小説は高い評価を得たものの、作家としての活動期間は短く、全集がほぼ1冊に収まる程度。東京で精神的病を抱えてしまって、郷里の鳥取に引き戻されたということだ。

 

幼少期から成績優秀であった尾崎翠は、父は小学校校長、長兄は後に海軍中佐、次兄は僧侶、東大卒の三兄は肥料会社重役となる家庭で育った。22歳で日本女子大国文科に入学するが、自主退学。34歳の時、『第七官界彷徨』を発表。35歳の時、年下の文学仲間との結婚を決意し、同棲を始めるが、強度のノイローゼが悪化。10日余りで同棲を解消し、その直後、長兄が翠を強制的に鳥取に連れ戻した。

38歳以降は、東京の文学上の友人との交信も絶え、戦中・戦後にかけては生死さえ不明であったらしいが、郷里でひっそりと暮らし続け、74歳で亡くなっている。

というような翠の人生は、長らく「薄幸の作家」というレッテルを貼られてきた。後に全集などを編纂した文芸評論家でもある男性編集者(存命。緑との交流はない)は、尾崎翠に惹きつけられていたのであろうにもかかわらず、その生涯を「頭もおかしくなって、結婚もできず、不幸なままで死んでいった人生だ」と決めつけていた。

この男性編集者というのが、「女の幸せとは」みたいなことに凝り固まっている印象の人物で、翠の幸薄いイメージはこの人のおかげで広まってしまったという見方もある。数年前には、遺族と男性編集者との間にも「資料が返還されない」などのトラブルも発生したらしい。

確かに、作家活動は断念して郷里に連れ戻され、結婚はせずに生涯を終えたが、地元の人によると、甥や姪をたいそうかわいがって面倒をみた、湿っぽさのないからりとした性格の女性だったということ。なので、尾崎翠を不幸な女とした扱われ方に異を唱えて、浜野佐知監督が「第七官界彷徨-尾崎翠を探して」という映画を撮り、尾崎翠への新しい視点を提供している。

ちなみにこの浜野佐知監督は、ピンク映画を撮影していた時代、フェミニストと「女なのにピンク映画を撮るなんてけしからん」というところから、話してたら意気投合したというエピソードを著書で披露していた。「女が性に主体的な映画を撮りたいという思いがフェミニズムだとは思いもしなかった」ということである

 

こうした尾崎翠の人物像について、作家の矢川澄子は、上記映画の公開時、次のような尾崎翠評を寄せている。

「東京に出てきて、まともな結婚もしないで故郷に連れ戻される。それはやっぱり、家父長的な男たちにしてみれば、とってもミットモナイことだと思いますけれど、尾崎さん自身が考えていたことって、そんなミミッチイ次元じゃなかったと思うのね。いわゆる男の人の概念でみますと、作家というのは作品を書くことで〝身を立て、名を上げ〟式のものですが、尾崎さんはそんな立身出世に結びついた一つの職業としての作家を選びとったんじゃない。もっと大きなところから人間や社会や宇宙を見つめていた。故郷で甥や姪の世話をしていますが、それを男の視線で可哀そうというんじゃなくて、甥や姪や作品の世界さえも全部平等に見てたっていう感じがする。世の中に名前は広まらなかったかも知れないけど、頼れる伯母さまとして慕われていた。それと作品の世界で発散していたものと、ほとんど同等じゃないかと思う」

男性性と女性性の概念の違いで説明しているが、これは自我と無我の対比だともみることができそうだ。

 

また、同じく作家の加藤幸子も同映画に寄せてこう語っている

「私たちが一般的に思う女とか男とかっていう境界線がなくなる感覚というのが、私たちの中に存在すると思うんですね。第七官の世界に踏み入ると、日常的にはごく当たり前だと思っていた観念が崩れ落ち、すべての境界線が揺らぎ始める。この作品全体の印象は、すごく細かい配慮で書かれているにも関わらず、なにかノンビリした、私たちの郷愁をそそるような懐かしい雰囲気に満ちています。物静かで、騒がしくない作品です。それにも関わらず、この作品今までの既成の秩序を突き崩してしまうような、秩序を保つために作られた境界線というものを崩してしまうような、過激思想のかたまりではないかと私は思っています」

そう、尾崎翠はとてもラディカルなのだ。

 

尾崎翠にとっての「わたし」とは? という視点での評論が多いのが面白いと思う。

東京女子大学准教授で文芸評論家の近藤裕子は、鳥取県で夏に毎年行われていた「尾崎翠フォーラム」の講演において、やはりこのことに言及している。

「尾崎さんのユニ―クさというのは実は近代文学、あるいは近代知がずっと信じてつくってきた、自分は確かにあるんだ、(中略)それをつくっていくことが大事なんだという考え方に対して、それは幻想じゃないか、それは嘘偽りじゃないかということを文学を通して語られた点にあるのではないかと私は思っているんですね。

(中略)

尾崎さんは一体何を書かれたかというと、一貫している、たった一つ、人とは違うというような近代自我を書いたんではなくて、それがいかに私たちの実感と少しずれいるか。じゃ私たちの実感的な〈わたし〉って何だろうか、ということを書いていたのがこの人の文学で、それは本当にあまりにも早い時点で書かれた斬新なものだったという風に思います。」

 

先の男性編集者には、近代的自我と格闘してきた文学の世界に浸かり、こうしたとき解き放たれたMUGA的世界が理解できなかたのではないだろうか。しかし、抗えない魅力は感じている。だから、不幸な人生であったと上から目線で憐れむことで、尾崎翠の価値を矮小化し、果ては私物化(資料未返却など)してしまったのでは、と邪推してしまう。

 

「尾崎翠再評価の機運」というのは、今後もその都度、起きてくるだろう。エバーグリーンであることの証だ。でも、その作品世界が真の意味で理解されるのは、宮沢賢治と同じく、まだまだ先なのかもしれない。

 

参考:『尾崎翠の感覚世界』加藤幸子
             『臨床文学論―川端康成から吉本ばななまで』近藤裕子