歌うも舞うも法の声 ~「AKB48」に寄せて(たかみな編)
高橋ヒロヤス
無念の念を念として 謡ふも舞ふも法の声
当処即ち蓮華国 此の身即ち仏なり
―白隠禅師座禅和讃
異論はあると思うが、2010年と2011年の日本の芸能シーン及びメジャー音楽シーンは、ほぼAKB一色に塗りつぶされたと言ってよいだろう。
今更ながら、AKBに惹きつけられている。元々アイドルに興味がある方ではないし(本当か?)、中でもAKBは、いかにも「企画物」の匂いがして、とりわけ秋元康プロデュースということもあり、拒絶感が先に立ってまともに見る気にならなかった。
しかし、そのうち、テレビでのパフォーマンスにおける彼女たちの「過剰な必死さ」、「いつも崖っぷちにいるような切羽詰まった感じ」みたいなものにそこはかとない興味を感じた。すっかり有名になった「総選挙」でメンバーが泣き崩れるシーンがメディアでは何度も取り上げられた(そもそもあのイベントがこれほど注目されること自体、この国が病んでいる証拠かもしれない)。あの必死さに、つくりものではない何か純粋なものを感じた。
あれだけの集団だとどうしても没個性的になりそうなものだが、AKBの場合は全く逆で、知れば知るほど各メンバーの個性が際立ってくる。人材が多い。
中でもやはり目につくのは、自他ともに認めるAKBのリーダーである「たかみな」こと高橋みなみである。
以下、興味のない人もいると思うが、彼女のプロフィールをファンブックから引用する。
(以下引用)
1991年4月8日生まれ、身長148.5㎝と、生まれながらに"48"に縁が深い高橋みなみ。歌手志望だった母親の影響から幼い頃からオーディションを受けていた。2005年の第30回ホリプロ・タレント・スカウトキャラバンにも参加し、決選出場者15名に選出。だが、秋元康総合プロデューサーも審査に参加していたこのオーディションで、高橋は落選する。
その時は秋元氏の記憶にも残らないほどだった高橋だが、落選後、その場で配られていたAKB48のオーディションのチラシを見て、「最後のチャンス」として参加。無事に合格を果たし、早速、劇場公演に向けたレッスンが始まるが、これまでダンスの経験がなかった高橋は、大いに苦戦を強いられることになる。
現在は、パワフルなダンスで知られる高橋だが、当時はスキップすらもままならず、彼女が踊れないことで振り付けが変わった曲もあったほどだった。そこでめげず高橋はがむしゃらに努力を続け、05年12月8日、AKB48劇場がグランドオープンする。高橋は活動開始当初から、主要メンバーのひとりとして活動する。だが、当初は客席が埋まらず、高橋は当時こんなことを考えていたようだ。
「お客さんの数で、その日の私たちの結果が出るんです。いつ、劇場を埋めることができるんだろうという不安を抱えながらも、毎日の公演をがむしゃらにやるしかなかったですね」
自分たちの未来像が見えない状況の中、「やるしかない」とひたすら努力を続けていくメンバーたち。寒風吹きすさぶ中、野外ライブを行うなど、劇場以外の場所でもPR活動を行い、06年2月1日にはインディーズデビュー。その3日後の2月4日には初の劇場満員公演を迎え、4月15日からはA2nd公演がスタート。この2nd公演で高橋は、「リオの革命」「JESUS」などのダンスナンバーで指先まで力を込めたダンススキルを見せるようになる。
06年8月からはA3rd公演が始まり、彼女の表現力はさらに飛躍を遂げていく。
そんなA3rd公演の千秋楽をもって、これまでリーダーとしてメンバーを支えていた折井あゆみが卒業することになる。現在はキャプテンとも呼ばれるこのポジションだが、公演前には、メンバーに振り付けの確認を行い、時に悩みを抱える者には相談に乗るなど、その仕事は多岐にわたり、非常に重責である。
「公演の前にはいつも円陣を組んでいるのですが、今まで仕切っていてくれたメンバーが卒業して、じゃあ誰がやる? となったんです。そのとき不思議なのですが、突然『私、やってみたいな』と思ったんですよ。で、どうやら反対者もいないようでしたから(笑)、仕切らせていただきました。その日を境に、自分はAKBの中で、こういうポジションで、頑張りたい、と思うようになったんです」
●チームAが最悪の状態に......高橋が始めた"楽屋パトロール"の真相
ドラマ撮影により、A5th公演に開始から2カ月間出られなかった高橋。12月16日にようやく出演を果たすが、当時のチームAは、"最悪の状態"だったと、フォトブック『たかみな』で明かしている。公演前に体をほぐすストレッチに出ないメンバーがおり、チームが、数人ずつの仲良しグループに分かれ、公演中のMCでもその雰囲気が出るようになっていた。1期メンバーと研究生出身のメンバーの間に一種の壁ができており、高橋はそれを察知していたのだった。それから高橋は、楽屋を"パトロール"することを始めた。
「楽屋の中をとにかく歩き回って、仲のいいメンバーだけで固まってないかを探す。固まっていたらいったん自分も加わり、それから中の誰かを違う輪の中へ連れ出す。またはほかの輪の中から誰かを連れてくる。そうやって、仲良しグループを解体していくことを心がけました」(同)
キャプテンとしての責任を自覚した高橋は、チームを一枚岩にするべく日々楽屋内を奔走したのだった。自らが嫌われ者になることを厭わずにメンバーを注意し、指示を与えていくその姿勢は、AKB48への絶対的な愛がなければできない行動だったはずだ。
(引用おわり)
彼女に対する関係者からのコメントも引用。
(引用はじめ)
私が仕事でつらかった時、公演終わりに泣いているたかみなの姿を見て
自分だけがつらいんじゃないと思えた瞬間がありました。ちっちゃいけど
本当は大きなたかみな。いつもありがとう。
あなたがいるからがんばれます。
<AKB広報 西山恭子>
「ただいま恋愛中」のリバイバル公演の前、仕事の合間を縫って研究生のレッスンを手伝ってくれました。 しかも「他に来たいっていうメンバーがいるんで、連れてきてもいいですか?」 と言って、何人かのメンバーとレッスンに協力してくれたんです。本当にいつも助けられています。
<コンサート制作 清水和彦>
高橋みなみのいないAKB48は考えられません。どんなにビックになってもずっと劇場に立ち続けて欲しい。みなみちゃんがAKB48を辞めたら、僕もこの仕事を辞める!
<AKB劇場スタッフ 郡司善考>
「大声ダイアモンド」で松井珠理奈が選抜に選ばれた時、なかなかAKB48のメンバーに
溶け込めないでいたんです。 そんな時たかみなは珠理奈に一生懸命話かけて、輪の中に入れようと頑張っていました。その姿を見て、なんていい子だろうと感心しました。
<コレオグラファー 牧野アンナ>
番組でバットボーイズ・佐田の大事にしているギターを壊してしまうというドッキリに引っかかって、涙目になったたかみな。普通なら“ドッキリ大成功!”で爆笑につつまれるはずのスタジオなのに、たかみなの姿に涙するメンバーたちがいました。その様子を見て、このコは本当にみんなに愛されているなと思いました。
また、収録後、一人残って楽屋のかたづけをするなど、何事も全力投球のたかみなを見ると「そうか、だからAKB48はみんなに愛されるのか!」と納得できます。
<AKBINGO! プロデューサー 毛利忍>
メンバーのまとめ役だった私がAKB48を卒業した後、その役目を買って出てくれたのが、たかみなでした。 年上のメンバーもたくさんいたのに自分から引き受けてくれてありがとう。今では立派なリーダーだね。09年にAXのコンサートで久々に再会して、私が声をかけた瞬間泣き出してしまった、たかみな。
きっと背負っいてた物がたくさんあったんだね。
えらかったね。
頑張り屋のあなたが流したあのきれいな涙は、一生忘れません。
<AKB48 卒業生 折井あゆみ>
小学6年生でAKB48に入って、日常生活の中でわからない単語があった私に、その意味を教えてくれたのは、ほとんどたかみなでした。
公演終わり、自分も疲れているはずなのに帰りの電車でいつも私に席を譲ってくれたたかみな。
あなたの顔、声、性格すべてが、AKB48在籍当時の加弥乃を支えてくれました。
本当にありがとう。
また、昔みたいに一緒に立ち食いカレーを食べにいきましょう。
<AKB48 卒業生 増山加弥乃>
たかみなは正義そのもの!たかみなが言うことで「あれ?」って思った事がない
(河西智美)
帰り道が一緒になることが多く、いつもやさしく話しかけてくれるたかみなさん。
研究生の頃、私たちのレッスンを教えに来てくれた時「神」って思いました。
本当に大好きです!結婚してください!!
(内田真由美)
シアターGロッソ公演のレッスンの時、忙しいのに仕事が終わってから教えに来てくれた偉大な先輩。こんなにすばらしい人は、これまで見たことありません。
(大家志津香)
たかみなは神様です。
だって、たかみながいなかったらAKB48はありえませんから、絶対に!!
(小林香菜)
(引用おわり)
以上長々と引用してしまったが、たかみなのエピソードにはまったく嘘が感じられない。どの話からも、メンバーが本当に心の底から彼女を尊敬し慕っていることが伝わってくる。10代(最近20歳になったばかり)にしてこの人格者ぶりには感嘆するしかない。
しかも注目すべきは、彼女のこの人格は決して培ったものではなく、天然100%のものだということだ。
もちろん彼女の中にはリーダーとしての責任感があるのだろう。みんなをまとめていかないといけないというプレッシャーを常に感じているはずだ。それでも凄いと思うのは、僕の見るかぎり、彼女の言動からはエゴがまるで感じられないということだ。本人は「そんなことはない、自分はエゴの塊のような人間です」と言うかもしれないが、決してそんなことはない。
たぶん彼女にとってAKBは、自己と分離した存在ではないのだろう。そしてその感覚(分離感の欠如)は、他のメンバーにも伝染し、世界に対しても開かれている。
以下は、高橋みなみが東日本大震災に関して語ったスピーチの一部である。こんな言葉が今10代の少女から発せられているということが、この国の未来への希望を感じさせる。
「皆さんありがとうございました。東日本大震災から少し月日が流れましたが、まだ現地では過酷な戦いを強いられています。月日が経ったからと言って変わることではないのです。皆さん、キチンと真剣に考えて下さい。ここで今私たちが笑顔でいる横で大変な思いをしている方がいるんです。しっかり私たちが受け止めて、今無事な自分たちが力を出さなければ日本は変わりません。私たちもアイドルですが、一人の人間としてキチンとできることをやっていきたいと思います。皆さんも是非力を貸して下さい。よろしくお願いします。」
AKBについては、秋元康氏による戦略的な観点や組織論的な視点から語られることも多いが、このグループの中心に「たかみな」という稀有な存在がいることを抜きにしては何も成立しないような気がする。
おそらくAKBプロジェクトに関して秋元康氏が最も賢明だったのは、前田敦子という「センター」とは別に、このグループの中心に「たかみな」を置いたことだと思う。
最後に書かずにおれないのは、ついAKB熱に乗じて見に行ってしまった現在公開中の映画『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』の中に記録されている、西武ドーム公演の舞台裏で「たかみな」が見せた、満身創痍で戦場に立つ野武士のような気魄に満ちた目のことだ。この表情を見るためだけにでも、映画館に行った価値があった。この映画については他にも語りたいことはあるのだが。
他のメンバーあるいは「AKB現象」全体については、次号書くことにしたい(そのときまで興味が持続していればの話だけど)。
参考文献など
『48現象』
『クイック・ジャパンVo.87』
『たかみな(フォトブック)』
映画『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』