無我表現の爆発としてのビートルズ論
高橋ヒロヤス
ビートルズの曲を初めて意識して聞いたのは、中学1年くらいのころになんとなく聞いていたラジオから流れてきた『レット・イット・ビー』だったと思う。
最初はビートルズの曲とは知らずに、いい曲だな、と思って、ラジカセに録音したのを繰り返し聞いていた。
その頃家にあった、シンコーミュージックから出ていた『カラオケヒット曲歌詞集』みたいな分厚い本の最後の方に洋楽のコーナーがあって、ビートルズの『イエスタデイ』と『ロング・アンド・ワインディング・ロード』の歌詞と譜面が載っていた。そこに掲載されていたビートルズの写真がとてもかっこよくて、それが僕とビートルズとの出会いだった。
中学1,2年のときに、ラジオ(NHK-FM)で放送されるビートルズの曲を片っ端からエアチェックして、ラジカセに録音した。父親のステレオでも録音してもらった。当時家で定期購読していたFM雑誌(週刊FMとFMステーション)がとても役に立った。
好きだったのは『レット・イット・ビー』や『イエスタデイ』、『ロングアンドワインディングロード』などのバラードだった。ポールの書くメロディーの美しさに痺れていた。どうやったらこんなに美しいメロディーが次々に書けるのだろう、と驚嘆していた。ジョン・レノンの書く曲の良さ(とシャウトの凄さ)が分かったのは少し後になってからだ。
岩谷宏という人の訳した『ビートルズ詩集』という本があって、曲を聴きながら一緒に歌うのに使ったのですっかりボロボロになった。ビートルズが自分の一部になったのはこの詩集を通してかもしれない。
高校生の頃、NHKで『コンプリート・ビートルズ』とかいうタイトルの特集番組(海外のドキュメンタリー)が放送されたのを録画して、全部の場面を克明に記憶するまで何度も見た。個々のメンバーの出生、ビートルズの誕生から崩壊までを見事にポイントを押さえてまとめたドキュメンタリーだった。
僕のビートルズ観はいろいろな所からの影響を受けて形成された。一時期は、「僕がビートルズだ」と思うようになり、他人がビートルズについてシタリ顔で語ることに堪えられなかった(明らかに僕以上にビートルズに思い入れのある人であれば許せたが)。
もっとも、ビートルズが偉大であり、素晴らしい存在であることは疑いないが、解散から40年以上経った今もビートルズをネタにした商売が尽きないことについては、なんとなく解せない思いもある。
ビートルズをリアルタイムで経験していない自分がこれほど夢中になるのだから、同時代を生きたファンにとってどれほどの存在かは想像に難くない。ビートルズはこれからの世代をも魅了し続けるのだろうか。その普遍性の源は何なのか。彼らの魅力の根源にあるものは何なのか。
その答えが、「無我表現」の中にある。
僕は、初期ビートルズ(具体的に言えば『ア・ハード・デイズ・ナイト』くらいまで)は人類の歴史上かつてない規模での「無我表現」の爆発だったと思っている。
初期のビートルズについて、なんといっても驚くのは、そのスケジュールのタイトさだ。
デビューアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』のレコーディングをわずか一日で終えたというのは有名な話だし、その後も、全英ツアー、アメリカ進出、ヨーロッパ・ツアー、映画撮影、取材攻勢などで埋め尽くされたスケジュールの合間を縫ってレコーディングが行なわれた。
実際の曲作りは、ジョンとポールの共同作業で、たぶん1曲あたり長くて2,3日、短いときは数時間で行われたのだろう。
(当時デビューしたばかりのローリング・ストーンズに提供した『アイ・ワナ・ビー・ユア・マン』という楽曲は、ストーンズのマネージャーに道端で呼び止められたジョンとポールの二人がわずか1時間で書きあげたものだという。)
そんな中で、いまだにどんなバンドも超えることのできない輝きを持つあのエバーグリーンな楽曲群、『抱きしめたい』や『プリーズ・プリーズ・ミー』や『ディス・ボーイ』や『オール・マイ・ラビング』が生まれたのだ。
あの頃のジョンとポールは、ただ自分の中から溢れ出るメロディーやビートを無我夢中で掃き出し続けていて、曲の構成や細部について深く考えることのできる状態にはなかったに違いない。
それなのに、いやそれだからこそ、全世界が我を忘れて熱狂し、同世代の若者たち大半の人生を変えてしまうほどのエネルギーを持つ楽曲群があれほどの短期間に創造されたのだ。そこに内包されているエネルギーは、4人のメンバーのエゴを超えた「ビートルズ」という形のブラックホールを通して、無我(=潜態=真空)の領域から流れ込んできたものだ。
オリジナルの楽曲だけではなく、『ツイスト・アンド・シャウト』、『プリーズ・ミスター・ポストマン』、『マネー』、『ユー・リアリー・ガッタ・ホールド・オン・ミー』など、黒人アーティストのカバー曲もまたマジカルな化学反応を起こして強烈な光を放っていた。(黒人音楽がビートルズをはじめとする白人ロックに与えた影響とその意味については、無我表現との関わりから稿を改めて論じたいと思う。)
後にビートルズは、ツアーを止め、ハードなスケジュールから解放されて、十分に時間をかけて(とはいっても今のロックバンドに比べれば遥かにタイムスパンは短いが)凝りに凝ったアルバムを制作するようになる。『ラバーソウル』や『リボルバー』、そして『サージェント・ペパーズ』といったそれらの作品の素晴らしさもまた疑う余地がない。しかし、初期ビートルズのあの爆発的なエネルギーがあったればこその展開ともいえるのであって、60年代後半には他のロックバンドも創造性という点でこれらに引けを取らない作品を生み出していることを考えれば、やはり1963年から64年にかけての魔法の日々が人類史上唯一無二のビートルズなのだと思う。
また、今のロックバンドの大半がたいして創造性のないアルバムを発表するのに4,5年以上の間隔を開けることが普通である状況からみれば、1963年から1970年までのわずか7年足らずの間に、あそこまで多種多様な創造的作品を発表し続けたビートルズという存在そのものが「無我表現の化身」だったといえなくもない。
来年で70歳になるポール・マッカートニーは、自分の人生を振り返って、20代に過ごしたあの10年間と、それ以降の40年間を比較して、どのような感慨にふけるのだろうか。あの若き日々には、「無我」という名の神(ミューズ)がまぎれもなく「ポール・マッカートニー」―より正確には「ビートルズ」―という器を通して活動していたのだと認めざるを得ないのではなかろうか。
参考文献:
ハンター・デイヴィス著『ビートルズ』(河出文庫)
ヤン・ウェナー『回想するジョン・レノン』(草思社)
マーチン・スコセッシ監督『ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』
ジョン・ロバートソン『全曲解説シリーズ(2) ザ・ビートルズ』(シンコーミュージック)