古谷栄一「錯覚自我説」について

高橋ヒロヤス  

大正時代に、古谷栄一という人が「錯覚自我説」という興味深い論文を書いている、という話を知人から聞いた。どんなものかと思って、少しネットで調べてみても、ほとんど何も分からない。ダダイストの辻潤(辻まことの父親)が、古谷栄一の錯覚自我説について書いた文章が青空文庫で読める位だ。


そこではこう述べられている。


「錯覚自我説とはなにか?

 錯覚自我説とは人間の自我なる意識は万有者の持てる普遍意識で個体に現われた個体意識の錯覚だという説である。


 一切の存在は万有生命の惰性の表現である。宇宙は微分流動している。古谷栄一君の中に辻潤が存在し、辻潤は今これを書いている瞬間、かれの耳にしている蛙の音楽と交流している。かつてオランダの放浪哲学者はわれ等が太陽の子孫であることを説いてきかせた。人間の故郷は太陽であるという説である。かつてわれわれは太陽中に棲息していたことがあったともいえるのである。しかし、太陽は果して吾人の中に現に存在しているのである。」


「個体なるものはその如何なる個体でも本来が本当の個体ではないから本当の統一はない。一つの個体は無数の執意、無数の惰性の中心に過ぎない。ただその中の一つのものが偶然の事情で最も強い型式を獲得したので、他のものは亡びたのでなく、皆その下に雌伏(しふく)したのに過ぎぬ。それゆえ一朝事情が変ずれば勿ち雌伏したものは雄飛し、崛起(くっき)して第一のものを覆す。そうしてそれが調整する余地がなければその時に大抵個物は破壊される。個人は滅亡する。或は精神の破産となる。若し人間が真に永遠不滅な絶対統一的な強健な自我を持っているならこんなことはない筈である。が、自我はただ個人の存在の一追加物に過ぎない。個人が一時的事情によって自我的傾向を帯びたのである。


 個物、生物個体、これ等のものは本来一個とか二個とか一人とか二人とかいう数でかぞえられる存在ではない、数を超越した存在である。万有は一切が微分流動であるから海に立って水を数え、空に立って風を数えることの出来ぬように、形而上的には星を数え、魚を数えることが出来ない。ただ経験的に、方便的にある措定と仮定の上に立って数えるだけである。形而上的には一人の個人は一人でも二人でもなく、今や水の如く遍融無碍の流動在である。ただその流動が長い間の惰性によって一点を中心として緊縮せられたに過ぎぬ。死によらずんばこれ等何千万年の惰性を打砕して本然の微分流動に放化し、散却することが出来ぬ。が一度心眼を開いて黙想するならばこの縦鼻広目の活人そのままのかれを微分流動の中に放って数えることが出来る。要するに一の個人はただかれを中心として全宇宙の流動循環が浪打ち来るその一切の力の尖端における全宇宙の一表現、一仮現に過ぎない。それゆえ、個人はそのまま全宇宙である。」


国会図書館に行ってみた。

古谷栄一の名前で検索すると、彼の著作がヒットする。著作リストには、『循環論証の新世界観と錯覚自我説』や『人間の自我は錯覚』などの主著に混じって、『戦はずしてソ聯を倒す道 : 日独伊同盟の日迫る』、『天皇陛下の戦争御責任の有無 』などのような著書が挙げられている。

書籍自体はいずれも利用不可で、デジタルデータのみ閲覧できた。


『循環論証の新世界観と錯覚自我説』は400頁以上ある大著で、すべてをパソコンの画面で読み通すのは骨が折れるので、部分的に拾い読みしただけであったが、上に引用した辻潤による主張の要約は概ね適切だと思った。


古谷栄一の文章と論理は力強く、辻潤を敬服させただけの力を備えている。古谷は、自著を、当時誰もが知る哲学者として名を轟かせていた西田幾多郎氏らに贈呈したが、何の反応も得られなかったという。その理由は、古谷がその著書のまるまる一章を使って「純粋主観」や「純粋経験」という西田哲学のエッセンスを机上の空論として全否定していたことと無縁ではなかろう。


注目すべきは、彼は自己の思想を、西洋三千年の自我思想と東洋三千年の無我思想のいずれをも超克したものとみなしており、古谷栄一という肉体を通して時代が生み出した必然的産物であり、世界史の重要な転換点と考えていたことである。


彼の主張を些か意訳すれば、西洋は自我思想に基づいて工業産業文明を極限まで発達させ、そのインパクトは東洋(無我)思想を完全に凌駕するに至っている。しかし、西洋自我思想は、世界史的な必然として、その拠って立つ「自我」そのものが「錯覚」でしかないという認識に至る。これが人類の歴史における大きなターニング・ポイントとなる。


単なる「無我」を説くのではなく、「自我」を突きつめたところで、それが「錯覚」でしかないということを完膚なきまでにはっきりと示すこと。それが『循環論証の新世界観と錯覚自我説』の役割であり、その役割は世界史において日本が担っている。


このような自覚から、古谷栄一は戦中、政治的には国粋思想、天皇主義を掲げるに至ったのだろう。そして、このことが、彼の存在そのものが戦後日本において完全に否定され、ある意味で抹殺される要因ともなったのかもしれない…


と一時は納得しかけたが、あの哲学的大著の著者が、本当にウルトラ国粋主義者に変貌したのか(元々そうであったとは考えにくい)、という疑問が拭えなかったので、もう一度国会図書館に出かけ、古谷栄一について人名事典などで調べてみた。


結局何の情報も得られなかったが、もう一度ネットを検索してみると、古谷栄一という人物は、日本人の純血主義を危うくするという理由で、朝鮮における創氏改名政策に反対してアジビラを配ったり国会に陳情したりもしていたようだ。


さらに、国立公文書館には、大正7年に遼陽領事代理である古谷栄一に充てた外交文書が存在していることも分かった。


ダダイスト辻潤(アナーキスト大杉栄と伊藤野枝を巡る因縁を持つ)とも交友があった哲学者古谷栄一が『錯覚自我説』を出版したのは大正15年の事だから、この錯覚自我説の著者と、遼陽領事代理を務めていた外交官古谷栄一が同一人物とは考えにくい。外務省改革や日本の外交政策についての論文を書いたのは外交官古谷栄一であり、これは哲学者古谷栄一とは別人と考えるのが自然であろう。


そうなると、哲学者古谷栄一の生涯について、その多くは謎に包まれているというほかない。辻潤に感銘を与えたという『オイケン哲学の批難』という著書については、そもそも批難の対象とされているオイケン哲学なるものが不明である。大正12年には、『比喩的形象主義之世界文字論 概要』という本を私家版で出版し、反ローマ字主義を掲げて、自ら考案した「新世界文字」を人類共通の文字として普及させるべきと主張しているらしい。昭和6年(1931年)には、昭和農本主義運動の先駆けとなった「日本村治派同盟」の創立発起人として、武者小路実篤や辻潤らと共に名を連ねている。


大正14年(1925年)に辻潤が発刊した『虚無思想研究』という雑誌の第1号にも論文を寄稿しており、この雑誌には宮沢賢治も参加していたらしい。


今の日本には古谷栄一という名前を知る者はほとんどおらず、彼の「錯覚自我論」は歴史の彼方に永遠に忘却されようとしている。


しかし、彼の主張は、「潜態論」の小田切瑞穂博士や、「老子眼蔵」の無為隆彦氏にも通じるものがあり、わが国におけるユニークな「無我表現思想」として、今一度評価され直す必要があるのではないかという気がしている。


その第一歩は、彼の主著『循環論証の新世界観と錯覚自我説』の復刻・再刊であろう。