無常ということ~~小林秀雄と無我表現

高橋ヒロヤス  

今年の大学入試センター試験の国語に、小林秀雄のエッセイが出題されて、ちょっとした話題になっていた。予備校などはこぞって「悪問」と批判しているらしい。何故悪問かと言うと、彼の文章は論理的でなく直観的で、独特の思考のリズムがあるので万人向きではないという事のようだ。


最近、小林秀雄の講演を収録したCDをよく聞いている。この講演は「信じることと考えること」というテーマで、当時流行していたユリ・ゲラーの超能力や小林に影響を与えたベルグソンの哲学について語っていて興味深いので、またそれについて書く機会もあると思う。彼の語りぶりの、落語家のような間合いとテンポは、いちど魅力にはまると癖になる。実際小林は志ん生の落語をよく聞いていたという。


小林秀雄という名前は今でも多くの人が「文芸批評の神様」といったイメージと結びつけて知っていると思うが、最近では彼の文章は次第に読まれなくなってきているのではないか。原因の一つは、彼が批評の対象とした近代文学自体が読まれなくなっていることにあるだろう。


小林が読まれなくなっているもう一つの原因は、彼が発言した昭和戦前期から戦後期という時代状況がもはや遠い過去のものになりつつあることだろう。


しかし小林が語ったことの本質は普遍的なもので、その考察は今の時代でも価値を失っていない。小林秀雄という存在が「歴史的人物」の範疇に入ってしまった現在、小林の言い方に倣えば、本居宣長を「思い出す」ように小林秀雄を「思い出す」ことは有益な歴史体験となりうるだろう。


彼の作品が「批評」という形式を取っていることからも明らかなとおり、小林秀雄は「表現すること」よりも「見ること」に主眼を置いている。しかし、彼が「見た」ものを表現する際に用いたスタイルは、それ自体が「無我表現」と呼ぶにふさわしいものであったと思う。


優れた思想家が常にそうであるように、小林秀雄もまた「たった一つの事」を語り続けた。その語り口や方法や素材が時々で異なっていたにすぎない。


彼は、批評の対象となる作品を「解釈」しようとしたのではない。作品から受けた衝撃や感動の体験(本居宣長のいう「もののあはれ」を認識したときの体験)を言葉にしただけだ。


彼が戦時中に書いた代表的随筆とされる『無常という事』という短い文章は、非常に有名で、高校の国語の教科書の定番でもあったが(今は知らない)、時に難解であると言われる。但し、これが難解なのは、彼の文章のせいではなく(大抵はそう片づけられることが多いのだが)、彼が語っていることそのものが伝わらない読者が多いせいではないかと思う。


このエッセイは、浄土宗の開祖・法然の言行集である「一言芳談抄(いちごんほうだんしょう)」」の中にある文章からはじまる。


≪或るひと云く、比叡の御社に、いつはりてかんなぎのまねしたるなま女房の、十禅師の御前にて、夜うち深け、人しづまりて後、ていとうていとうと、つづみをうちて、心すましたる声にて、とてもかくとも候、なうなうとうたひけり。その心を人にしひ問はれて云く、生死無常の有り様を思ふに、この世のことはとてもかくても候。なう後世をたすけたまへと申すなり、云々。≫


意味は次のようなものだ。


比叡神社で、いつわって巫女のふりをした若い女房が、夜がすっかり更けて、人が寝静まった後に、ぽんぽんと、鼓を打って、心から澄んだ声で、「どうでもこうでもいいのです、ねえねえ」と謡を謡った。その意味を、あとで人に強いて問われて、このように答えた。


「生死は無常ということを思いますと、この世のことは、どうでもこうでもいいのです。ねえ、後世を助けてくださいと、神様にお願い申しあげていたのです」

(生死無常の有り様を思ふに、この世のことはとてもかくても候ふ。なう後世をたすけたまへと申すなり。)



小林が、比叡山に行き、山王権現の辺りの青葉やら石垣やらを眺めて、ぼんやりとうろついている際に、突然この短文が絵巻物のように鮮やかに心に浮かび、文の節々が、まるで古びた絵の細かな描線を辿るように心に沁み渡った。こんな経験は初めてなので、酷く感動して、坂本と言う麓町で蕎麦を食っている間もずっと奇妙な思いがした。あの時に、自分は何を感じ、何を考えていたのか、今になって無性に気に掛かる。そう言う思いでこの文章を書き始めた。


小林は次のようにその内的体験を描写する。このように語ることは小林は滅多にしないのだが。


(引用始め)


僕はただある充ち足りた時間があったことを思い出しているだけだ。自分が生きている証拠だけが充満し、その一つ一つがはっきりとわかっている様な時間が。無論、今はうまく思い出しているわけではないのだが、あの時は、実に巧みに思い出していたのではなかったか。何を。鎌倉時代をか。そうかも知れぬ。そんな気もする。


(引用おわり)


このエッセイが難解だとか何を書いているのか分からないとかいう読者は、この実感を身体で共有できないことが一因なのかもしれない。彼はこれを一種の神秘体験として語ることもできただろう(決してそのように明示はしないが)。小林はしばしば超越的な体験に出会う人だった。そういう体験は、しようと思ってするものではない。心を虚しくしたときに、常に向こうからやってくるものだ。


小林は、友人の川端康成に、次のような思いつきを語る。


「生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕出来すのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解った例しがあったのか。鑑賞にも観察にも堪えない。其処に行くと死んでしまった人間というものは大したものだ。何故、ああはっきりとしっかりとして来るんだろう。まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな」


「人間の一生は、死によって完成される」という小林のこの想いは、鎌倉時代のなま女房の魂を体験した残像といってよい。


(引用始め)


この一種の動物という考えは、かなり僕の気に入ったが、考えの糸は切れたままでいた。歴史には死人だけしか現れて来ない。従って退っ引きならぬ人間の相しか現れぬし、動じない美しい形しか現れぬ。思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんなが間違えている。僕等が過去を飾り勝ちなのではない。過去の方で僕等に余計な思いをさせないだけなのである。思い出が、僕等を一種の動物である事から救うのだ。記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。多くの歴史家が、一種の動物に止まるのは、頭を記憶で一杯にしているので、心を虚しくして思い出す事が出来ないからではあるまいか。


(引用おわり)


「思い出が、僕等を一種の動物である事から救うのだ」と小林は断言する。しかし、「上手に思い出す」ことは非常に難しい。だが、それが「過去から未来に向って飴の様に延びた時間という蒼ざめた思想(僕にはそれは現代に於ける最大の妄想と思われるが)から逃れる唯一の本当に有効なやり方の様に思える」と小林は言う。


<過去から未来に向かって一本の線のように延びる時間>という考え方を、小林は「現代における最大の妄想」と呼ぶ。ここを深く書いていくと長々しい「時間論」になってしまうので、詳述しない。小林にはこのような直観的なアイデアを端的に表現する才能があった。


随想の最後を小林はこう締めくくる。


(引用始め)


成功の期はあるのだ。この世は無常とは決して仏説という様なものではあるまい。それは幾時如何なる時代でも、人間の置かれる一種の動物的状態である。現代人には、鎌倉時代の何処かのなま女房ほどにも、無常という事がわかっていない。常なるものを見失ったからである。


(引用おわり)


これはまさに読んだ通りの意味で、さらなる解釈など必要としない文章に思われるが、改まって「この文章で著者は何を言おうとしているのか」などと質問されると受験生は択一の選択肢を前に途方に暮れるのだろう。確かに彼の文章はセンター試験向きではないのかもしれない。



小林秀雄については無数の文学者や評論家が無数の文章を書いているが、今のところ僕の中で小林秀雄について最も腑に落ちた評価は、渡辺郁夫氏による次の表現だ。


(以下引用始め)


小林秀雄の作品は評論としてよいのか、随想としてよいのか判然としない。教科書では評論に分類されている。それがただの評論と違うのは知的な思惟だけの作品ではないからだ。端的に言えば作者の体験が基になっている。…小林秀雄の基本姿勢は自分の体験を基にした思索にある。この体験を共有できるかどうかが作品鑑賞の分かれ目になる。そして『無常ということ』の場合はこの体験の質がきわめて宗教的なものを感じさせるのである。


私の目には本質的にはこの人は宗教家なのではないかと思える。体験もなくただ学問だけで宗教家となっている人も多いが、彼らに比べればはるかに小林秀雄の方が宗教家らしい。…彼と同じレベルで会話ができる宗教家は現代においてもそうはいまい。

(『心の国語 高校編』渡辺郁夫著、SCL刊)


小林秀雄の評論は必ずといっていいほど、突然に襲われた感動とか、突然浮かび上がったある考えに激しく心を奪われたという体験から出発しています。このような体験に客観性を求めることはそもそも無理です。しかし芸術や宗教の体験というものは必ずこういう起こり方をするものであり、何らの客観性もないのに、強い真実を感じるというものです。その強さのあまり客観性などというものを求める気持ちも起こらないというのが普通です。人からの証明を求めない代わりに、今度はそれを説明したい、表現したい、伝えたいという気持ちが起こってくるものです。そうして作品が生まれるのです。芸術家であるならば芸術作品として、知的なタイプの人であれば評論や教説としてというように。小林秀雄の評論はそういう種類のものとして読むべきもので、何かを題材にして論じていても、画家がモデルから絵を造り出すように、一種の芸術作品として見るべきものでしょう。

(同上)


(引用おわり)


これは比較的どうでもいい話だが、2007年に47歳で夭折した哲学者・池田晶子氏は、小林秀雄に心酔し、熱烈なラブレターを何通も公の書物の中で公開している。池田晶子については無我表現との関連で後日に述べる機会もあると思うが、あの怜悧な知性の権化のような女性をここまで陶酔させる小林秀雄という精神とは何なのか。


(引用始め)


小林秀雄様、私が貴方に一方的な恋慕の情を抱いて、もうずいぶんになります。お慕いする気持ちは少しも変わっておりません。その間、貴方に宛てしたためた恋文めいたものもいくつか、作品として公開して参りましたが、恥じるところはありません。


 臆面もなく、よく言います、なぜなら、私にとっての貴方、貴方に対する恋慕の情とは、プラトン言うところの「愛(エロース)」、知ることを愛する者が狂気のように宿られるあのパッションだということを、よく自覚しているからです。…


 繰り返し私は断言しますが、近代日本で、哲学的思索の深さにおいて、あなたと並ぶ人は一人もいません。賢しらな学者や評論家の類はいくらも存在しますが、貴方という存在の前には、そんなものの偽物性は一目瞭然ですね。ああ本物とはこういうことなんだ、これが本物の人間の味わいなんだ、考えることと生きることと書くこととの完璧な合致、どんなにおいしく私はそれを味わったことでしょうか。


 僭越ながら、私、貴方のお仕事を継ぐ唯一正当の嫡子と、自認しております。きっとお認め下さることと、これまた僭越にも確信しております。…


 いつか、貴方を唸らせるような、凄い作品をものにしてみせます。


(引用おわり)


この文章を書いてまもなく彼女は世を去ったため、書かれるはずだった「凄い作品」を目にすることができなかったのが残念である。


参考書籍

『モオツアルト、無常という事』小林秀雄

『作家の顔』小林秀雄

『考えるヒント』小林秀雄

『本居宣長』小林秀雄

『心の国語 高校編』渡辺郁夫

『小林秀雄』江藤淳

『新・考えるヒント』池田晶子