無我的観照第14回 「今日の芸術」岡本太郎著(光文社)

宗教的精神におけるアヴァンギャルドのあり方とは

那智タケシ  


岡本太郎の名著「今日の芸術」で、最も有名なフレーズは以下のようなものだろうか。


今日の芸術は、
 うまくあってはならない。
 きれいであってはならない。
 心地よくあってはならない。


岡本太郎はこれを芸術の根本原則とした。つまり、「きれい」「心地いい」といった既存の価値観に追従し、保守する傾向を彼は徹底的に嫌っていた。そしてこう断言する。

「見るものを圧倒し去り、世界観を根底からくつがえしてしまい、以後、そのひとの生活自体を変えてしまうというほどの力をもったもの――私はこれこそ、本当の芸術だと思うのです」(「今日の芸術」99p)

芸術とは、既存の価値を乗り越え、新しいフォルム、形式の内に新しい普遍的価値を提示するものであり、伝統の超越である。こうした価値観は現代のモダンアートと言われる作品群において、もはや何が伝統で、何が正統で、何がアヴァンギャルドかわからないような混迷を生み出すことにもなったわけだが、岡本太郎の言葉が、芸術を「美しい」「きれい」「心地いい」ものと思い込んでいた一般大衆や若いクリエーターを解き放つきっかけになったことは間違いない。例えば、こんな力強い宣言が、いかに若き、認められない芸術家の卵を力づけてきたことか。

「芸術は、絶対に新しくなければなりません。芸術はいつ、いかなる時代でも、新しいという意味で、大きなあこがれでもありました。と同時に、それがために、まえに述べたように、きわめて残酷に非難されてもきたのです。芸術家は、それぞれの時代の評価、矛盾に耐え、勇気と英知をもって、それをのり越えてきたのです。

芸術は創造です。だから新しいということは、芸術における至上命令であり、絶対条件です。じっさいに芸術史、美術史がそれを明らかに証明しています。ためしに、美術史のページを開いてごらんなさい。まちがいなく言えることは、芸術はけっして、同じ形式をくりかえしていないということです。美術の伝統は厳然とつらぬかれていますが、同じような形式、内容が二度出てくるということは絶対にないのです。(中略)」(同59p)

「芸術は、つねに新しく創造されなければならない。けっして模倣であってはならないことは言うまでもありません。他人のつくったものはもちろん、自分自身がすでにつくりあげたものを、ふたたびくりかえすということさえも芸術の本質ではないのです。このように、独自に先端的な課題をつくりあげ前身していく芸術家はアヴァンギャルド(前衛)です。これにたいして、それを上手にこなして、より容易な型とし、一般によろこばれるのはモダニズム(近代主義)です」(91p)

さて、こうした言葉に触れて思ったことは、「常に新しくなくてはならない」という芸術の根本原則は、芸術のみならず、宗教的精神の表現(いわば無我表現)のようなものにも通じるのではないか、ということである。

我々が求め、探求するところの「無我表現」とはいわゆる、宗教的、道徳的でも固定的イメージをもった「無我」のことではなく、時代に即した、新しい、全体的表現の奔出のようなものである。それは時に、既存の宗教的イメージを乗り越え、まったく新しい形式の中に顕現する。時に、保守的な人々が眉をしかめるような、俗なものの中にこそ神性が宿るのである。我々は、その新しき神の形をこそ発見し、評価するべきだと考えるのだ。汚泥の中にハスの花を見出すように。

「新しさ」と共にある時に人は感動し、精神を浄化し、あるいは舞い上がらせて、常に新しいものを受け入れて生きる一人の人間として輝くことができる。岡本太郎は、心地の良いモダニズムの価値を認めつつも、生活におけるアヴァンギャルドの必要性を繰り返し、繰り返し、真っ直ぐに説いた。

「モダニズムには、時代を創造していくエネルギーはないかもしれません。しかし、モダニズムには、また、その価値と役割があります。真の芸術家が創造したものを模倣し、型として受け入れ、通俗化してその時代の雰囲気をつくっていくという、流行としてのモダニズムがあります。その力によってもやはり、時代というものが動かされていくのです」(94p)

「モダニズムは、あくまでここちよく、生活を楽しくさせるものであるかもしれないけれども、ふるいたたせて、生活からあたらしい面をうちだす、猛烈な意志の力をよびおこすものではありません。

そういう一般的なイージーな気分に対して闘おう、それに対して、なにかあたらしいものをつかみとって、次の時代に飛躍していこうという少数者は、時代にただちに受け入れられない。認められず、孤独でも、絵にならない絵、つまり芸術というものをおしすすめていかなければならないのです。芸術のアヴァンギャルドの運命です。そういう人たちこそ創造者、芸術家の名に値するのです。しかし、少数者といっても、わたしは芸術家じゃないから、少数者にはいらないと考えてはなりません。どんな人間の精神のなかにも、やはりこの二つのものが、あるものです。(中略)いわば、人間のはげしい生命力のようなものが、ほんとうのアヴァンギャルド、芸術家の創造に対して、やはりピンとひびいてくるのです」(93p)

私がこうした言葉から連想したことは、ゴッホやセザンヌのような孤独で、生前にまったく理解されなかった芸術家たちはもちろん、ゴーダマ・シッタールタや、イエス・キリストのような宗教的存在についてである。真の芸術家同様、真の宗教的精神の持ち主は、いずれもアヴァンギャルドであり、革命家であり、時代のマジョリティから排斥されてきたことは言うまでもない。真の宗教者は芸術家であり、時代に即した新たな価値の創造者であるからである。彼らの革命精神を受け継ぎ、守る者たちが彼らを教祖に祭り上げ、宗教を作り、伝統の上にあぐらをかき、保守化したのだ。それは社会を安定させるモダニズムとして有効な働きを示したことは間違いないが、反面、権力と結びついて暴力を正当化し、人間の精神を凡庸化することになった事実を見逃すことはできない。

しかし、宗教的精神は、芸術の世界よりもはるかにアヴァンギャルドであることが難しいのである。なぜなら、伝統と一体化した人々にとって、彼らは異端であり、時に悪魔的な存在そのものとして否定・抹殺されるからである(世界のニュースを見れば現代でも異端審問や魔女狩りが行われているのはわかるだろう)。

宗教におけるアヴァンギャルドにはもう一つ危険がある。つまり、真の芸術のように自らの血肉によって独自に生み出されたものではなく、安易な宗教的思想のごった煮、折衷主義によって生まれた新興宗教やカルトが引き起こす様々な問題である。そうした事実を踏まえた時、岡本太郎の言葉は、何と厳しい響きをもって、我々のあり方を問い詰めてくることだろうか。その厳しさは、時代を創造しよう試みる少数の者だけでなく、それを受け止める人々の側にも求められているのである。

「すぐれた芸術家は、はげしい意志と決意をもって、既成の常識を否定し、時代を新しく創造していきます。それは、芸術家がいままでの自分自身をも切りすて、のり越えて、おそろしい未知の世界に、おのれを賭けていった成果なのです。そういう作品を鑑賞するばあいは、こちらも作者と同じように、とどまっていないで駆け出さなければなりません。だが、芸術家のほうは、すでにずっとさきに行ってしまっているわけです。追っかけていかなければならない。どうして、こういうものを描いたんだろう――どうして、こうなったんだろうということを、心と頭、全身で真剣に考え、その距離をうずめていかなければならないのです。

創作者とほとんど同じ緊張感、覚悟をもって、逆にこちらも、向こうをのり越えていまという気持ちでぶつからないかぎり、ほんとうの芸術は理解できないものです。つまり、見るほうでも創造する心組みでぶつかっていくのです」(101p)

「だから、創られた作品にふれて、自分自身の精神に無限のひろがりと豊かないろどりをもたせることは、りっぱな創造です。

つまり、自分自身の、人間形成、精神の確立です。自分自身をつくっているのです。すぐれた作品に身も魂もぶつけて、ほんとうに感動したならば、その瞬間から、あなたの見る世界は、色、形を変える。生活が生きがいとなり、今まで見ることのなかった、今まで知ることもなかった姿を発見するでしょう。そこですでに、あなたは、自身を創造しているのです」(117p)

様々な価値観が錯綜し、解く術を失ったかに見える現代、私たちはこの混乱する世界全体を踏まえた新たな創造という難題にゆきづまり、途方に暮れることがあるかもしれない。実際、すべての宗教、価値観を踏まえた新たな神話はまだどこにも生まれていない。しかし、自ら時代を切り開こうと、孤独な創造者であり続けた芸術家の言葉は、私たちを再び立ち上がらせる力を持っている。それは虚無と向き合った一人の誠実な人間の言葉であり、暗闇から逃げなかった勇者の言葉でもある。

「まことに芸術はいつでもゆきづまっている。ゆきづまっているからこそ、ひらける。そして逆に、ひらけたと思うときにまたゆきづまっているのです。そういう危機に芸術の表現がある。

人生だって同じです。まともに生きることを考えたら、いつでもお先まっくらいつでもなにかにぶつかり、絶望しもそしてそれをのりこえる。そういう意志のあるものだけに、人生が価値をもってくるのです。つまり、むずかしい言い方をすれば、人生も芸術も、つねに無と対決しているのです。だからこそおそろしい」(97p)

私たちは与えられた心地よさに安住するのではなく、自らの幸福だけを考えるのではなく、常に時代を逞しく創造していかなければならない。なぜなら、新しさの中にこそ愛があり、創造があり、神性が宿るからである。諸行無常の世界において、変化の中に一種の輝きを生み出すこと――その中に、私たちの新たな関係、平和の可能性というものがあるのではないだろうか。私たちは、いつまでも迷い、うつむき、立ち止まっていてはならないのだ。

最後に、すべてのアヴァンギャルドな精神の持ち主に、真っ直ぐなエールの言葉を引用したい。

「過去のできあいのイメージにおぶさるのではなく、豊かな精神で自分たちの新しい神話・伝説をつくるのが芸術であり、また生活なのです。できあいのものなら、やすやすと認めようとする、奴隷的な根性からぬけだして、新しい神話をたくましく創造していくべきです」(43p)

参考文献:「今日の芸術」岡本太郎著(光文社)1954年