ロダンの創造に見る新たな時代の芸術
那智タケシ
『ロダン』リルケ著 高安国世訳(岩波文庫)
「ロダンは名声を得る前、孤独だった。だがやがておとずれた名声は、彼をいっそう個時にした」
この一説から始まる詩人ライナー・マリア・リルケの評論「ロダン」は、「考える人」等で有名な彫刻家ロダンの秘書を務めた彼が、天才の仕事ぶりを間近で観察しながら書き記した稀有な作品である。この評論それ自体がロダンの芸術的法則を文章化した芸術作品であり、ロダンの彫刻それ自体に劣らぬ「事物」表現にまで高められている。
リルケの書くものは詩のみならず、小説から評論、個人的な書簡まで、すべて彼自身の内的原理によって形式化され、もはや彼の手に触れたもの、目で見たもの、聞いたものすべてが独自な詩の原理に貫かれているようである。実際、リルケは個人ではなく、詩人として、芸術家として生きた。彼は、道を歩いていてもリルケであり、一人でいても、誰かと話していても、固有のリズム、固有の法則、固有の形式を表現した。道を歩く詩人を見て、「あっリルケだ」と誰かが言ったとか、言わないとか。彼はそういう人だった。存在形式それ自体が芸術であり、芸術は、日々の生活における徹底した観察の積み重ねの結晶であった。
「彼は詩人であって、曖昧なものが嫌いであった」と語ったリルケ。
しかし、こうした芸術的作法、法則の根底にあるものを彼はロダンから学んだのであった。このロダン論は一人の偉大な彫刻家の評伝という範囲を超えてしまっている。これはリルケ自身の芸術論であると同時に、「未来の芸術のあるべき姿」として、「我」という観念的存在を超えた、とある神秘的法則を見ることができる。
それではリルケがこの彫刻家から何を学んだだろうか? 実を言えば、彼はロダンの仕事の中から、感傷や思想ではなく、絶対的で、自然の創造と同じような確固たる「事物」を創造することを学んだのである。つまり、そこにあるのは裸の、「あるがまま」の事物を作り出す手仕事、ただそれだけであり、創造の独自性や思想といったものではなかった。彼自身の言葉の引用によって、それを見ていこう。
「どういう物を作ろうとするのでしょう。美しい物をでしょうか、いいえ、そうではありません。誰が一体美とは何であるかを知っていたでしょう。似た物を作ろうとしたのです。一つの物をです。その中に自分らの愛しているものが、また恐れているものが、またそのすべての中にある理解しがたい或るものが再現されているのを見る、そういう一つの物を欲したのでありました」p82
「美を捉えるものだと思っていた美学的見解の存在が皆さんを迷わせて来たのです。また美を作ることを自分の務めだと心得るような芸術家を生み出したのです。それで、美を「作る」ことはできない、とくりかえしここに述べることはやはりまだむだではないのです。誰もまだ美を作った者はありません」p83
「ところで或る創作者がこういう認識に達すると、これがどんなにすべてを変えてしまわずにはおかぬかを御想像ください。こういう認識にみちびかれる芸術家は、美について考えるという必要はないのです。美がどこに成り立つかというようなことは、ほかの人同様ほとんど知らないのです。ただ、自分を凌駕する有用な品々を作り出そうという衝動にみちびかれて、彼は自分の作るものに美がおそらく来てくれるであろうようななんらかの条件の存在することを知っているばかりです。そして彼の使命は、この条件を熟知することであり、この条件を作り出す能力をやしなうことにほかならないのです」p83
ここには、恣意的でオリジナルな美的創造という我々が芸術家に抱きがちなロマンティックなイメージはかけらも存在しないことは何となく感じられるだろう。バラの棘に刺され、白血病になって死んだかよわき、少女趣味の、ロマンティックな詩人の相貌はここにはどこにもない。あるのは一つの宇宙的法則にのっとった自然の営みと芸術を結びつける地に足の着いた確固とした見解、及び純粋な信仰にも似た力強さである。彼はこの確実な道をロダンから学んだのであった。
「なぜかといえば、かつて心をふるわせたすべての幸福、考えるだけでも私たちをほとんど破壊しそうになるすべての偉大さ、ひとを変化させずにはおかぬ広大な思想の一つ――そういうものが、ふと唇をすぼめることや、眉をあげることにほかならなかったり、額の上のかげった部分にほかならなかった瞬間があったのです」p85
「あるのは種々さまざまに動かされ変化されたただ一つの表面にすぎないのです。この思想の中に、ひとは一瞬全世界を考えることができました。すると全世界は単純となり。この思想を思っている人の手の中に課題として置かれました。なぜなら、何物かが一つの生命となり得るか否かは、けっして偉大な理念によるものではなく、ひとがそういう理念から一つの手仕事を、日常的な或るものを、ひとのところにとどまる或るものを作るか否かにかかっているのです」p85
リルケは、ロダンのただただ「事物」を信仰し、独自な形を作り出そうとする着実な営みに新たな時代を切り開く芸術のあり方を見た。彼は――天使が舞い降りたような、あれほど霊感に満ちた詩を書いた彼は―経インスピレーションやひらめきによるのではなく、この日常の中の観察とたゆみのない手仕事というロダンの芸術的手法(というよりも、人生のあり方それ自体の法則)に偉大さを見た。ロダンの中では、インスピレーションは天から降ってくるものではなく、「事物」そのものの中に発見されるものであった。つまり、彼はそれほどまでに仕事と一体化して生きていたので、インスピレーションそれ自体が生活となり、手仕事の一環となっていたのである。神は、観察と手仕事の中に宿る。ここに偶然性は存在しない。彼は手に触れる事物の中に神を見出していたのであった。そして、その迷いなき仕事を通して、彼は新たな創造者となった。一切の批評や批判は、もはや彼の作品に届かぬほどに、彼は確固とした「物」を作り続けた。
しかし、この自ら作品によって以外、語ろうとしない彫刻家の情熱の奥底にあるものは何だったのだろうか? 彼は何ゆえに事物を信頼し、新たな事物を生み出すこと、世界の結晶たるオリジナルの事物を作ることにのみかくまで純粋になれたのだろうか? ロダンの仕事を間近で観察し続けたリルケはその秘密をこのように語る。
「一種の手仕事が成立するのです。しかしこれは不死の運命を持つ者のための手仕事と思われるほど、そんなに遠大なものです、見きわめもつかず終わりもなく、「たえずまなぶ」ことを目あてとしているのです。ではこのような手仕事にふさわしい忍耐というものはどこにあったでしょうか。
それはこの労作者の中の愛にありました。それはたえずこの愛の中からあらたによみがえって来ました。なぜなら、何物もそれに抵抗することのできぬ「愛する人」であったこと、これがおそらくこの巨匠の秘密なのです。彼の求め方はながく、熱情的で、たえまがありませんでしたから、すべての物は彼に許したのでした。それは自然の事物のみではなく、その中で人間的なものが自然になりたいとあこがれているあらゆる時代のすべての謎めいた事物もそうでした」p89
「この「よく作ること」、このもっとも曇りない良心をもって働くこと、これがすべてなのでした。一つの物の形を写し取ること、それはこういうことでした、どの部分ものこりなく行きめぐったこと、何事をも黙殺せず、何事を看過せず、どこにおいても偽らなかったこと、そして百とあるすべてのプロフィルを、すべての仰視やすべての俯瞰を、すべての交差を知ることでありました。こうしてはじめて一つの物ができあがるのでした。こうしてはじめて、それはいたるところの不確実の大陸から解き放された島になるのでした」p90
愛をもって事物に系統し、一体化し、新たな事物を創造し続けたロダン。そこにあるのは「何事をも黙殺せず、何事をも看過せず、どこにおいても偽らなかったこと」という事物それ自体への曇りなき観察と対象への愛をも超えた没我的作業であった。
確固とした、絶対的事物の創造。これは、この世界それ自体への愛の証であると同時に信仰である。幼児が母を思うような絶対的信頼を持って、彼は事物の中に傾倒した。ここには「個性」はおろか、「思想」さえ存在しない。しかし、彼の作り出した作品はすべてが独自で、偉大な思想を帯びた神々しいものに見えてくる。ここに、我々は一人の人間の「我」を超えた、事物の中に眠る神の恩寵と「独自」を見ることができるのである。
セザンヌやトルストイを絶賛したのと同様、リルケの天才はロダンの中に同じ価値を見出したのであった。つまり芸術、及び芸術的生き方とは、小世界たる壁に囲まれた「我」の中にあるのではなく、目の前の「事物」や「現象」そのものの中に眠る法則を理解することにあるのだと。リルケはこうした寡黙な芸術家の中にこそ、未来の芸術のあり方を、つまりは未来の人間の理想の道を見出していたのである。
「「よく仕事ができましたか。」これがロダンの、お気に入りの誰に向かっても挨拶がわりにする問です。なぜなら、もしこの問に「はい」と答えられたなら、それ以上もう問うことはないのですし、安心していいのです。仕事をしているものは幸福なのです。
信じられないほどの力の蓄えを自由に駆使するロダンの、単純な統一的な天性にとっては、こういう回答が可能なのでしたし、彼の天才にとっては、これは必然のことだったのです。ただこういうふうにしてだけ、彼は世界を征服することができたのです。人間のようにではなく、自然そのもののように働くこと、これが彼の定めだったのです」p101
※参考文献『ロダン』リルケ著 高安国世訳(岩波文庫)