0円ハウスに住む新政府総理大臣~無我的生き方の実践例としての坂口恭平

那智タケシ  

「僕はやらなくてはいけないことがある。自分という存在が完全に消失した瞬間を、完全に自分の目で見てしまった。見てしまったのだから、動かなくてはいけないのだ。だから、僕は歩きはじめようと思う。


とにかく、僕は今すぐにやらなくてはいけないことがある。希望があるということを人々に伝えないといけない。そういう音楽が鳴ったのである。よーいスタート。」


――坂口恭平



当たり前のことだが、無我表現は、「スピリチュアル業界」の専売特許であってはならない。そして「表現活動」とは芸術の分野に限られることではなく、広い意味で人の生き方そのものに関わっている。今回は、そんな「無我的生き方の実践例」として、最近注目を集めている若手の建築家、坂口恭平氏(以下敬称略)について取り上げてみたい。


この5月には、『独立国家のつくりかた』(講談社新書)という本を出し、6月末から、『モバイルハウスのつくりかた』というドキュメンタリー映画も公開され、さまざまなメディアにも登場していて、今まさに脚光を浴びつつある人物である。


建築家とはいっても、坂口は実際にはいわゆる「きちんとした建築」はしたことがない。


1978年熊本県生まれ。大学の建築科で学ぶ一方、隅田川の川べりを歩いて、ブルーシートと段ボールでできた「0円ハウス」を訪ね、2004年に日本の路上生活者の住居を収めた写真集『0円ハウス』をリトルモアより刊行する。2006年カナダ、バンクーバー美術館にて初の個展、2007年にはケニアのナイロビで世界会議フォーラムに参加。主な著作に『TOKYO 0円ハウス 0円生活』『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』などがある。


『独立国家のつくりかた』という本は、2011年3月の東日本大震災と福島原発事故の後、東京を脱出して熊本県に「新政府」をつくり、「初代内閣総理大臣」に就任した坂口が、憲法が生存権を保障しているのに、金を稼がない人間が生きていけない世の中は憲法違反だと捉え、0円で生きていける環境(可能性)を提供するための活動について書かれたものである。

本の帯にある文章を引用する。


「匿名化したシステムとは戦わない。何も破壊しない。ただ、歩きかたを変えること。視点を変えること。そして、思考しつづけること。それだけで世界はまったく別の相貌を見せ始める。路上生活のエキスパートたちに教えを請い、歌うように、踊るように、DIYで国をつくった男が語る、いまここにある希望。革命はすでに起きている!」


「新政府総理」としての坂口の精力的な活動は、上記著書のほか、彼自身のHP(「0円ハウス」http://www.0yenhouse.com/house.html)でもツイッターなどを通してリアルタイムで表現されているので、興味のある方はそちらを参照してほしい。


僕が坂口に興味を持ったのは、彼の途方もない行動力の源泉に、「無我の衝動」とでも呼ぶべきものがあるのを知ったときだ。


2010年11月18日(木)付けの彼のブログには、次のように書かれている。


(引用始め)


僕はこの日を一生忘れないだろう。今まで生きてきて、こんな体験、確信を得たことはなかった。とても感じの良い綺麗な中華料理店。だだっ広い空間が広がっているが、お客さんは僕たちだけ。その時点で空間が変容しているということを知覚した。


変えなくてはいけないのは、日本という誰かが勝手に決めた境界線によって現れた「国」なのではなく、世界中すべてのことだったことを理解した。


今日、朝起きた時に、いつも同じように来る朝を見ながら、その朝が実は毎日違うんだ、毎日新しく生まれ変わっていることを初めて知った。その瞬間に僕が一番好きなアルバム、ボブディランのNEW MORNINGの曲が頭の中でちょうどよい音量で鳴った。そう、今日はまさに新しい朝なのである。ここからすべてがはじまる。


そして、僕はやらなくてはいけないことがある。自分という存在が完全に消失した瞬間を、完全に自分の目で見てしまった。見てしまったのだから、動かなくてはいけないのだ。だから、僕は歩きはじめようと思う。


とにかく、僕は今すぐにやらなくてはいけないことがある。希望があるということを人々に伝えないといけない。そういう音楽が鳴ったのである。みなさん、御精読ありがとうございました。またjournalで再びお会いしましょう。よーいスタート。


(引用おわり)


この記述を最後に、彼は「自己実現」ならぬ「社会実現」(その意味は後述)に向けた実践的生活に入る。


坂口は、路上生活者がダンボールなどを利用してつくった家を「ゼロ円ハウス」と命名し、都市にあふれる幸(資源)を利用すればゼロ円で暮らせると指摘する。


坂口「お金が無ければ歌えばなんとかなるし(註:街頭ライブのこと)、家にあるほとんどの家電や音楽機材などは拾い物。服は弟からのお下がりをもらい、御飯はいつも誰かに御馳走になっていました。そういう時は、おもしろいことをエンターテイメントとして喋らないといけないのですが、それも芸の肥やしになる。ホテルでバイトしている時は、安い賃金だったけど、そのかわりVIPのお客さんと仲良くなり、本を百冊買ってもらったり。お金を使わない方が、人と繋がることも多く、自分のためになると思っていました」


学校では一人で新聞を発行し、ファミコンではなくノートに地図を描いてドラクエのようなRPGのゲームをつくったり、サンリオを模倣した文房具商品も自分でつくっていた。


坂口「ファミコンで遊んでいる人も実は “何か欠落した感じ”があることをわかっているんです。『もっとおもしろいことがあるはずだけれど、自分ではつくれないからこれで遊ぶ』というような。なんにせよ僕は自分でつくろうとかなり早い段階で思っていましたね。」


小学生のとき、学習机に毛布をかぶせて屋根にし、その下に住むという巣作りのおもしろさに目覚め、建築家になることを決めた。


坂口「ただ、建築の世界を目指す上で、まずはどこへ行けばいいかわからなかった。クラスメイトはとりあえず東大や京大を目指していたけれど、僕は正直意味が分からなかった。なぜ、そこに行きたいのかと尋ねても、誰も答えられないんです。ただ偏差値だけで選んでいる。その割には、その数値がどうやって計算されたかもわかっていない。わかりもしないものに委ねて進路を決めているのが不思議だった」


図書館に通い、いろいろ調べていくうちに、石山修武というユニークな建築家を知り、彼が教えていた早稲田大学理工学部の建築学科を目指す。


坂口「高校3年の時点で早稲田大学理工学部の合格率は20%くらいでした。僕は小学校から高校2年まで、テストで苦しむ人の気持ちがわからなかった。既に答えのわかっている問題で100点取れないことが不思議で仕方なかったからです。僕からすれば周囲の子は、100点を取ろうとしていないから取れないとしか思えなかった。でも、高校3年になって、もう答えのある問題に飽きてしまった。まったく勉強しなくなったので成績は急降下していました。

実のところ僕としては大学に合格するかしないかはどうでもよくて、落ちたとしても上京して、キャンパスに忍び込んで石山先生の研究室のドアをとんとんとノックすればいいと思っていました」


結局、担任の教師から「早稲田の指定校推薦というのがあって、10年に一度学科指定が違うんだけど、今年はあり得ないことに建築学科が来ちゃったよ」と聞かされ、推薦では1、2年の成績が反映されることになっていて、合格するには充分だった。


坂口「僕としては、高校生にぜひ言いたい。大学を選ぶよりも先にまずは、自分のやりたいことに携わっている先人である教授を見つけることが大事だよということ。そのために徹底的に調査する。それしかないと思う。先人が見つかれば、受験で落ちたってかまわないのだから。ただ会いにいけばいい」


大学へ入学してすぐに石山教授の部屋を訪ね、挨拶するが、そのときの格好は作務衣を着て、髪はモヒカンで後ろにギターを背負って、限りなく裸足に近かった。怒った先生からは、完全に無視される。


坂口「僕は『相手が気に入るようなやり方で怒らせる』ことが好きなんです。僕にいろんなことを教えてくれた先輩たちは、いつもあり得ないことをする奴を無条件に受け入れてくれた。それを経験的に知っていたから、石山先生にも試みてみたわけです。

先生との関係は濃くなりましたが、周囲は東大に落ちたから仕方なく来たというような学生が多かったので、僕とは内的必然性が違い過ぎた。必然性がないのに建築をやっている。つまりは金を稼ぐために勉強しようとしていたから、話して楽しいものではなかったですね」


坂口が、路上生活者がダンボールなどでつくった家に関心を抱くようになった理由は、彼らが都市において唯一自力で家や仕事、生活を発明し、つくりだしていたからだという。


坂口「普通に都市で暮らしている人たちが『利用価値のないゴミ』と見なすものを自然素材のように扱っていたし、彼らはまるで鳥が小枝で巣をつくるように暮らしていた。お金が極力かからない生き方をしていた。考えてみれば、水も空気もタダで手に入るもので、土地も人がつくりだしたものでなく、自然に与えられたものでしょう?

本来は所有できないものが誰かに管理されていて、それを使うため、買うために働き続けないといけない僕らの暮らしは、ちょっとおかしいのではないか?そう思うようになりました。

建築学科のクラスメイトにそういう話をしたら、『ふざけるな』と言われたけれど、そういう反応をしたのは、そんなことを考えたら自身の仕事も生きて行く意味もなくなるからで、つまりは本質的なことを考えようとしないだけ。そのときは『10年後また話そう』と言い、その後の僕はやりたいことを徹底的にやってきた。そのためか建築学科を卒業した何人かは、最近になって僕の話を聞きに来るようになりました」


しかし坂口は、「建築家として名前を売る」というような自己実現のレベルの話にはまるで意味を感じていない。彼の目指すところは、「自己実現」ではなく、「社会実現」である。

では、社会実現と自己実現の違いとは何か。


坂口「決定的な違いはありません。違いがないことに気づくことが大事。僕が小学生のとき、建築家になりたいと思ったのは、自己実現のためではなく、ある種の社会性に気づいたからです。

学習机の家をつくったときに感じたのは、いままで自分の住んでいた家とは明らかに違う何か。それは人間が根源的に必要とする空間に触れてしまった瞬間だった。

子供の頃、誰しも秘密基地をつくったりしていましたよね。大人からすればどうということのない路地や店裏が自分だけの空間に見えていた。子供であることはどこかで不安だから、どうにかして自分だけのシェルターをつくらないと生きて行けない。だから子供は何もない運動場に線を描いたりして夢中になって遊んだ。そうやって空間をつくり出したのは、ある種の生きて行くことの危うさを本能的に感じていたからだと思います。僕はそういう怖さをどう回避していくかを小さい頃から考えていた。だから建築家を目指したんじゃないかと思います。

でも、周りを見渡したとき、建物はもう充分過ぎるほどあるから、『建てない建築家にならなければいけない』と考えた。そうなると根源的な意味での住まうこととは何かを問い始めることになり、必然的に家や生活、仕事とは何かを考えざるを得ません。つまりは『ただ生きるとは何か』について見出し、伝える必要があると思った」


坂口にとって、これは「建築はまさに社会活動である」という「気づき」であり、この認識により、自分自身を生き直し、考えのレイヤーが変わったという。


坂口「僕の家にあるものはほとんど拾ったもので、そういう暮らしをしてきたからなおさら思うのは、ものを買ったり所有するよう強迫された生かされ方は、そもそも違法なんじゃないかと思います。

たとえば、土地を売買することは普通のことと思われていますが、菅直人さんが野党時代に議員立法でつくった土地基本法の第4条にこう記してあります。『土地は、投機的取引の対象とされてはならない』。そうなるといま行われている不動産業は全て違法ではないのでしょうか?」


坂口「“多摩川のロビンソン・クルーソー”と僕が呼び、師事している人がいます。あるテレビ番組に僕が出演した際、ロビンソン・クルーソーの家をビートたけしさんとともに訪ねました。番組の制作者は構成台本に、ロビンソン・クルーソーについて『土地を不法占拠している』と書いていた。そこで僕はその人に『不法占拠の根拠となる法を示せ』といったらひとつもあげられない。

深く考えない上に、知らないまま物事を断定するのは罪です。知らないことはどれほど怖いことか。知れば変わります。そして、問題は現実を根源から変えるには、法律をわざわざ変える必要はないということです。というのも、憲法25条には『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』と書いてあるわけですから、本当はホームレスや生活苦から自殺してしまう人が存在していること自体が違法な状態です。こういう事実は高校生にも知って欲しいですね」


多摩川のロビンソン・クルーソーたちにインスパイアされて、坂口氏は0円の私塾「零塾」を始めた。これは、教育は無償でなされるべきで、社会を変えようとする人間を生み出すということは、そのこと自体が社会に対して有益であるはず、という考えに基づいている。


この活動は、坂口氏にまた新たな気づきをもたらした。


坂口「零塾を始めた途端、僕は『自分のことを不幸だと感じている人たち』とたくさん出会いました。これは路上生活者と会う中では、まったくなかった体験です。彼らのうちに『自分のやりたいことをやれない』などと嘆いている人はひとりもいなかった。

仕事をして昼からお酒飲んで好きな音楽を聴いて、俳句を詠む暮らしをしている人に、『あなたは幸福なんですね』といったらその人は『幸福なんじゃなくて生きているだけだよ』と返した。その時、僕はピカーンと来た。つまり『なんで人は生きている理由や意味を探してしまうのか』と思ったわけです。つまり、彼らは『おまえは生きてないんだろう』と言っているわけです。彼らは生きる=幸福だと言っている。生きることの幸福さに気づいている。『生きる意味は何だろう?』と問う人たちは、幸福ではないところから人生が始まっている」


坂口が世界的にも注目されるようになったのは、移動式の小さな家「モバイルハウス」の建設がきっかけだ。すべてホームセンターで売っているものでつくっていて、透明の波板でできた屋根と窓からの採光もよく、車輪が4つ付いている。可動式だから、法律上の「不動産」ではない。


坂口「モバイルハウスは、「家を持たないといけない」という幻想をぶっ飛ばす試みのひとつです。まず若い子たち、お金のない人たちに向けているので、2万6000円でつくりました。これは住宅ではなく、工作物でしかないから農地にも置けます。

東京でいちばん多い空き地はどこか知っていますか? 市民農園です。これは年間8000円で約10平米が借りられます。借りている人みんながつくった野菜で自給自足しているわけじゃない。だったらそこを開放してもらい、モバイルハウスを建てたい。いまそういう働きかけをしています。モバイルハウスは、コンクリートの基礎もいらないし、軽過ぎるから震度8でも壊れない。年間8000円+2万6000円で暮らしていけるというわけです」


坂口は、家やマンションのローンの返済のために働くという社会通念化した労働観に異を唱える。


坂口「誰しも『こういう世の中ならいいな』『本当はいまの暮らしは嫌だ』とか自分の考えをもっていますよね。でも、やりたいことを選ばずに嫌々働いたりしている。徹底的に考えずに『やりたいことをするのは無理だから』という理由で、胸の奥に思いを秘めつつ、人から言われたことをやっている。

僕からすれば、そういう引き裂かれた思いで暮らすなど、狂気の沙汰ですが、これが路上生活者を落伍者と蔑む人の思考回路でもあるわけです。人生の中で立ちすくんだことがないから、自分が当たり前だと思っている外の世界が想像もできない。そういう体験のなさは、いかに野生の思考をしてこなかったかの証明ですよ」


坂口「『ホームレスは都市に寄生している』という人も多いけれど、もうちょっと読み込んでくれ、解像度を上げて社会を見てくれと思います。彼らはインターネットにはのらない情報を独自のネットワークで伝え、都市にあふれる資源を利用し、自立して生きている。

彼らを落伍者という人たちは、震災が起きていままでの暮らしが成り立たなくなったとき自活できるのか。自身が死にそうになったとき、誰かが助けてくれるのか。そうではないからこんなにも自殺が多いのでしょう? 年間3万人が死んでいる社会が間違っていないなら、それをまず立証して欲しい。

だから僕はそんなにも労働の好きな人たちに『あなたの労働が本当にただ生きる上で必要なことなのか試させてもらいますよ』という、イタズラとしてモバイルハウスを考えたわけです」


ゼロやタダを前提にした坂口氏の活動は、より少ない投資でより多くの利益を求める経済活動とは異質なものといえるだろう。彼にとって報酬(見返り)とは何を意味するのだろうか。


坂口「家族や先人たちに贈与を受けたので、僕にはそれへの返礼義務があります。人類学者のクロード・レヴィ=ストロースがいうように、贈与に返礼するのが経済の成り立ちで、だから僕の行いは貨幣経済ではなく、いわば贈与と返礼という態度による経済です。

28歳のとき、生活のために働くことを止め、あらゆる労働から解き放たれ、ただ自分の仕事をすることを選びました。それ以来、飢えずにちゃんと生きています。

また、零塾を始めると宣言した途端、感銘を受けた人が『ぜひ協力したい。何をすればいいか』と支援を打診してきました。そこで僕は自分の作品を買ってもらい、数百万のお金を得ました。

労働している人は自分の時間をもっていません。人に動かされる時間は全部盗まれているということで、そこはミヒャエル・エンデを読んで欲しい。エンデに興味をもてば、彼がシルビオ・ゲゼルという経済学者に影響を受けており、貨幣や土地の問題を考えていたこともわかってくる。徹底して考えるとは何かの気づき直し、生き直しなんです」


坂口の「無我的生き方」の本質は、彼自身が次のようにうまく表現している。


坂口「自分のためでなく、誰かのために何かをやろうと思った瞬間に、人もお金も必要なものがやって来る。自分のために生きないことを選んだことで、人は人から必要とされ、仕事が生まれる。そこに強いられた労働は一切ありません。これこそが仕事であり、生きるための技術になるのだと思います」


坂口恭平の具体的な言動や価値観の意義やその是非については詳しく論じるつもりはないし、それはたいして意味のないことだろう。僕が興味をもつのは、「無我的生き方の実践例」としての坂口恭平の生き方であり、彼にインスパイアされた人たちがそれぞれにオリジナルな「無我的表現」を模索していこうとしているその現状である。


坂口や彼の仲間たちの活動を見ていると、無我表現は、徐々に時代を動かそうとしていることを感じる。坂口恭平のような人がどんどん出てくれば、この世界に新たな希望が生まれるかもしれない。



参考文献:

坂口恭平著『TOKYO 0円ハウス 0円生活』(河出文庫)

同『独立国家のつくりかた』(講談社新書)


※今回のコラムは、主に次のインタビュー記事を参考にさせていただきました。

「自分のために生きることを止めたとき、躍動した暮らしが始まる。」(尹雄大氏による坂口恭平氏インタビュー記事)http://www.mammo.tv/interview/archives/no281.html