評論 「すきすきスウィッチ」のすき間的無我

土橋数子  

「マイナーカルチャー」というカテゴリーが狭いのか、実は筆者がそれほど詳しくなかったのか、よく考えたらマイナーということは、インディーズ(自主制作)が多いなだけに、自我的表現だらけだったりして、早くもネタに苦労しそうだ……。

でもその自我だらけ(それはそれで面白い表現)のすき間を潜って、「アレ?」と思うような世界観を歌っている音楽があるので紹介したい。


すきすきスウィッチ。1979年から80年代半ばまで活動。佐藤幸雄を中心としたニューウェーブバンド。スキマスイッチとは無関係(と思う)。83年に5枚組のソノシート『忘れてもいいよ』をリリース。浮世絵ちっくな背景に「す」がど~んと浮かぶジャケットデザイン。20数年前、このバンドのことは何も知らなかったが、思わず“ジャケ買い”した。

ソノシートが入ったファイルタイプの中面は、迷路の中を「す」が、「すすすすす~」と駆け回り、最後は炎上するマンガチックなイラスト。 この音楽の世界観とマッチしていたので、メンバーが描いていると思ったら、斬新なデザインで知られる装丁家・祖父江慎の最初の仕事だそうだ。ソノシートは、ほとんどライブ録音。後にCD化もされているが、すきすきスウィッチが残した作品はこれだけである。

私はこれをカセットテープに録音し、ひとりっきりのアパートでよく聴いた。そんなラジカセ生活は、当時としても十分アナクロであった。


さて、その音楽はといえば、重厚の反対。ありていに言えば、ユニークなポップス。ギターとパーカッションとシンセと声が縦横無尽に織り成す、すきすき(隙き隙き)のチープシックなサウンドだ。拍子は風変わりだけど、それは実験的というより、実験に夢中になっている男子という感じ。この分野における後発の音楽に多大な影響を与えたということだ。


ここらで歌詞をご紹介しよう。

「水道管」(『忘れてもいいよ』ソノシートより)

ぼくときみと、むすぶ水道管。泳いでゆくから 今夜台所でまってて おフロ場でもいいけど

ジャ口開けて待ってて きみがいること想って 平泳ぎでゆくよ。

(歌詞おわり)


インターネット社会の今でこそ、「人はネットワークでつながっている」なんてことが当たり前の概念となったが、当時はつながりとか結ぶとか、ことさらに言われなかったきがする。言われてみれば、確かに水道管はつながっている。各台所をむすび、海や川ともつながり、全地球とつながっている。それに気がついたら、ひとりぼっちのアパートでも妙に安心したものだ。


次の歌も「私」をとりまくつながり環境のことを歌っている。

「機械のせいにしない」(ソノシートより)

テレビが眼になる 洋服が皮膚になる 僕らはこうしてつながっている 新聞が鼻になる洋服が皮膚になる 僕らはこうして広がっている いつものあの電車に君も乗ったね ぼくの足でもあるよ 今度のPINKの新曲はどうかな 君もラジオで聴いたろ 水道が知恵になる 電気が血になる 僕らはこうしておさまっている 機械のせいにしない メディアのせいにしない

(歌詞おわり)


古代の人々は、自分と他人との境目が薄かったと聞く。近代になって自我が強烈に意識され、そこを守るように硬い殻が作られてきた感がある。その一方で、テクノロジーが身体を拡張するような形で、世界中の人々がつながれてきた。人が次の時代へ向かって進化しようとするのなら、自我はある意味で最後の砦なのかもしれない。


さらに、パラパラと歌詞を拾い上げてみたい。

「街中アンテナ、空には電波、でもあれとこれとがつながらないね」「思い出が外にある 骨も外にある」「ビニールもガラスも溶けながら覚えている」「これだよと言い、ここと書く」「私は何人か」「言葉でのり付けしてしまうように」「わからないことがないことがなかった」


自分を自分として強く意識して守るような存在の仕方に揺さぶりをかけているような歌。私たちが自我を発達させてきた大きな要因の中に「言葉」がある。言葉のない世界で暮らしていた古代の人々は、自我はなかっただろう。少し言葉を持ち始めた時代には、言葉と言葉のすき間に、風通しの良い空き地があっただろう。


今の私たちは言葉を駆使して、あらゆるものにレッテルを貼りまくっている。それが既成概念となり、自我を強く守っている。言葉の領域ではない大切なものがあるはずだが、それが見えなくなるくらいに。


すきすきスウィッチの音楽は、飄々と、リズミカルに、そのすき間を狙う。あるいは、言葉のレッテルを貼ろうとする瞬間を、物事を認知する瞬間を狙って、ちょっとイタズラっぽく、飛び跳ねたり、間のびさせようとしたり。普段生活の中で凝り固まっている既成概念をほぐしてくれる。

全身全霊で没入する無我体験とは質が違うかもしれないけれど、すき間的なところから、一気につながった世界へと駆け出し、地球を七回半回って戻ってくるような愉しさがある。


さて、あれから月日が経った。私の手元には録音したカセットテープしかなかったし、ライブも観たことなかったし、正直言って忘れていた。ところが、去年になって久方ぶりにこの佐藤さんという人が音楽活動を開始した。日曜の昼間に、中古レコードショップで1時間ライブをするというのだ。家庭の事情で夜は出歩けない私も、そんなすき間時間ならなんとかなる。

素晴らしいライブだった。フレッシュさと懐かしさがまぜこぜ。男子はおじさまになっていらしたが、再開した実験に、やはり夢中にのようだった。


最後に、お店ライブでキャッチした新曲の歌詞をご紹介しよう。

「あなたと 話していると あなたとわたしは、わたしたち」


「主」と「客」のすき間を潜って、一周して、つなげちゃっている。レッテルを貼りまくったこの世界をほぐして、ほぐして、小さな粒にして、お互いに共鳴する世界観。「絆」という確固たる言葉を持ち出してつながりを強要されるのではない。しくみとしてもうすでにつながっていることに、「気がついて、思い出して」(歌詞より)。


「私」が溶け出して、すき間に流れ込むような、そんな無我的バンド。活動再開ということで音源も出るようなので、楽しみにしている今日この頃だ。