「田中泯」の無我的存在感
★数子のマイナーカルチャー探訪「MUGAを探せ!」第4回
土橋数子
あまちゃんブームで80年代カルチャーが注目され、私なんぞも青春時代を懐かしんでいる。なんちゃって、実はここ数年、自宅のテレビはアンテナが繋がっていない。あまちゃんもちょっとしか見たことないくせに、知った風なことを言ってみる……。
そんなわけで、どうしても観たい番組があるときは、家の人のワンセグを借りるのだが、先日、好きなダンサーの田中泯が、フランシスベーコンを語るというNHKの番組があるというので、観てみた。フランシスベーコンの絵はそんなに好みではなく、途中からものすごい白河夜船、結局は寝落ちしてしまったのだが。
でも収穫はあった。田中泯が「マイナーな存在であり続けたい」「今はマイナーっていうとメジャーの前段階みたいだけど、ぼくにとってマイナーとは光り輝くもの。マイナーがなかったら世界は終わり」という発言をしていた。私からみたら、すっかりメジャーな活動をなさっている泯さんだが、だったら「マイナーカルチャーを探せ!」の中で書いちゃってみてもいいですね!(誰に許可? 笑)
田中泯。ダンサー。東京大空襲の日に八王子で生まれた。「お前が生まれたとき、東京は真っ赤だった」と母親に聞かされる。クラッシックバレエやモダンダンスを学び、師と仰ぐのは舞踏家の土方巽だが、自身の肩書きは舞踏家ではなくダンサーであるとしている。田中泯の踊りを舞踏というのは「間違い」ということである。「自分は百姓である」とも言っていて、80年代より山梨県を拠点に農業をしている。そこで「身体気象研究所」や「舞塾」などのワークショップが開催されていた。日本の若者や海外からの参加者も多かったという。現在は劇場以外の野外などでも踊る「場踊り」というダンス公演を続けている。
もしかしたら、俳優としてご存知の方も多いかもしれない。映画「たそがれ清兵衛」で映像作品に初出演し、その後、ドラマでもお見かけする。NHKのドラマ「ハゲタカ」では、大森南朋と共演していたが、彼は麿赤児という舞踏家の息子さん。麿赤児は白塗りコスチュームでいかにも舞踏家らしい人。
私が80年代カルチャーを謳歌していた頃、舞踏やコンテンポラリーダンスもけっこうなブームだった。アングラカルチャーの中には、面白い演劇もたくさんあったけれど、よりプリミティブな舞踏とかダンスの方に興味が向いていた。勅使河原三郎を観に行ったり、今はなき白虎社という白塗り舞踏集団の合宿に参加したりしたこともある。
和歌山・熊野の廃校になった小学校で行われたその合宿には、「現代の若者(変な)を取材」てな感じでテレビ局が入り、勝手に撮影された。後日、ヘトヘトになって山道を走らされている遠目の姿、およびサルの顔真似(受口)をしたドアップの映像がEXテレビで放映されたらしい。そのテレビを観ていた友達は、コーヒー吹いたどころか、指差して大笑いしたそうだ。
前述したように、田中泯もワークショップを行っていたが、そこにはご縁がなかった。なんとなく興味はあるけど、私からすると知的すぎて敷居が高かった。フェリックス・ガタリと共著を出したり、工作舎の松岡正剛と仲良しだったりとかね。高卒女子には意味わからん。
とはいいつつ、やっぱり80年代の当時から田中泯はスゴイという感じだったので、田舎からわざわざ東京に出て、観に行ったことがある。
田中泯は、原美術館の中庭で、褐色のドーランを塗って裸で転がっていた。もちろん、出演情報を元に踊りを観に行ったのだが、「美術館にいったら、褐色の裸体が転がっていて、それを偶然見ちゃった」という出来事だったような気もする。その褐色の体は、ものすごく遅いスピードで動いていた。何を表現しているのかはよくわからなかったけれど、何かが蠢いていた。目撃したこと自体になんとなく満足した覚えがある。
その後、こういったカルチャーのことはいったん忘れて、現実生活の慰めとしてのオカルトとかスピリチュアルのぬるま湯でチャポチャポしていたのだが、そこからまた仏教や哲学的なところに揺り戻り、無我研に入ったりしている今日この頃。田中泯は宗教的な発言はしなさそうな人だが、無我的表現者という意味では、これほどふさわしい存在はないのではないか。そう思って、去年久々に田中泯の踊りの現場に出かけた。
一般の劇場ではないところで踊る「場踊り」。確かに、見る者にも何かを要求する表現ではある。それは単に知的だとか、アートなセンスとか、小賢しいことではなくて、ずばり覚醒の度合い。それはスピ的「すべてはひとつ」という覚醒とはちと違う。いうなれば「蠢きを見逃さない目」がいる。だから、まだまだ修行中の私は、その踊りのすべてをしっかり見ることはできなかったかもしれない。それでも「場踊り」のすごさは感能した。クライマックスとおぼしき最後の踊りの瞬間、急に飛行物(ヘリコプター)がやってきたり、鳥の鳴き声が強くなったりした。場踊りが発揮する、ものすごい磁場の光景を観た。
さて、昨日、『意身伝心 コトバとカラダのお作法』という本を読んだ。著者は松岡正剛と田中泯。今も仲いいのね。インターネット上のインタビュー『MAMMO。TV』も読んだ。その中にあった田中泯の発言をご紹介しよう。
(以下、『意身伝心 コトバとカラダのお作法』より引用)
「私の踊り」なんてものはもともとない、それは人には見えないもの。
踊りって、所有できないものですよね。「私の踊り」という言い方をすることもあるけれど、踊っているそばからそれはもう空間のものになり、人のものになっていく。ぼくにとっては、土地というものもそうなんですね。
(以下『MAMMO。TV』より引用)
19世紀の終わり頃から、自分の中にあるものを踊りとして外に出すことが大事な踊りの要素だと言われてきました。でも10代の自分の内側にあるものなんてないわけで、「自分の中にあるもの」と思った瞬間に恥ずかしくなってしまう。自分で所有できないものが踊りでないか。それは「私の踊り」というよりは、やった結果そこに踊りが残った。そういう表現のほうが踊りらしいなと思えたんです。そういう意味で「身体」についてずっと考えていましたね。踊りは間違いなく身体のことですから。
(引用おわり)
踊りを、自分の中にあるものの表現とは捉えていない。言葉で言えないものを身体で表現するものでもないと言っている。その身体の中に蠢くものを、これから世界に表れる準備をする瞬間を、スローモーションで表現している。花が咲くときの瞬間を早送りすると、「早送りしていますね」となるけれど、花のスピードの世界は、「ゆっくり」ではないかもしれない。ものすごく遅い速度で動く田中泯は、ものすごく速いスピードでなにかを捉えているのかもしれない。
田中泯が俳優の仕事をすると「存在感がすごい」という声があちこちで聞かれる。私はここにいるぞ、という自己表現からは、存在感というものはおそらく生まれないだろう。「私の踊りはない」と言い切る無我的表現者にこそ宿るのが存在感なのだと思う。