評論 「戸川純」エロスとタトナス、自我と無我

土橋数子  

俳句かい。

マイナーカルチャーから無我を探すこのコーナーもいよいよネタが尽きそうなので、いよいよ最終回かもしれない。80年代アンダーグランドカルチャーの香り漂うアーチストばかり取り上げて、自分で自分の守備範囲を狭くしていたが……。まあ、80年代カルチャーを語るなら、マイナーではないが、戸川純様は外せないだろう。

戸川純。子役として芸能界デビューし、ウォシュレットのCM、その他ドラマにも多数出演。ミュージシャンとしては、1982年に上野耕路とのユニット「ゲルニカ」でアルバムデビュー。「戸川純とヤプーズ」としてライブ活動を行い、1984年にソロでアルバム『玉姫様』を発売した。

知名度も高く、クオリティもご本人の志向も「メジャー」なのだが、その表現の深さゆえに「アンダーグランド」と形容されることが多かった。変化自在の天使の歌声、文学的な歌詞と独特のライブパフォーマンスで、80年代カルチャーシーンにおけるミューズ的存在。当時の自殺志願少女たちに泣いて寄り付かれていた。

独特の間をおいたしゃべり方が「わざとだ」などと揶揄されたり、確か「元祖不思議ちゃん」とも言われていたっけ? でも決してぽ~っとした不思議ちゃんではなく、かなり思慮深い女性で、お若い頃は様々な偏見に苦しんでいた様子だ。不思議ちゃんとは、非凡な彼女に群がる平凡な人たちのことで、おそらく私もそのひとり。「純ちゃん、大好き!」な十代後半を生きていた。

ソロ・ファーストアルバムは、ヴェルベットアンダーグラウンドのファーストのアルバム(バナナ)と同様、捨て曲なしの名盤。中でも私がヘッドホンをかけて部屋の隅に座り込み、血沸き肉踊らせた一曲をご紹介しよう。


「諦念プシガンガ」(アルバム『玉姫様』より)

空の彼方に浮かぶは雲  嗚呼我が恋愛の名において  

その暴虐の仕打ちさえ  もはやただ甘んじて許す

牛のように豚のように殺してもいい  いいのよ我一塊の肉塊なり


空に消えゆくお昼のドン  嗚呼我が恋愛は終止せり

あの泥流の恩讐が  もはやただあとかたもなしや

愕然とする間もなく  腐敗し始める  我一塊の肉塊なり

(歌詞おわり)


高校生は、タイトル冒頭から辞書引いたよ。「こんな言葉を知ってる、失恋をこんなに文学的(あるいは誇大妄想的)に表現できる純ちゃんってすごい」と思っていた。そのときは「諦念」を「諦めること」と解釈していたが、こうして何十年も経ってもこの曲をもう一度聴いてみると、その色あせない凄みに愕然とした。そして「諦念」については「真理を諦観する心」に寄った意味合いであると再確認した。


戸川純の表現する歌からは、女性のエロスの探求、死の誘惑、自我の深層に向かってとことんまで進み、やがては崩壊するという、ドロドロとしたものに満ちているのだが、それは時に崇高な広い場所をイメージさせる瞬間がある。ファルセット(声の裏返り)の瞬間に光が見えたりする。

ドロドロは、エロスの深層のその先、自我の深層の先にあるものに向かっている。そこはおそらく無我の領域だと私は感じている。こうしたものをメジャー、つまり大衆表現として昇華していたことが凄いし、それを許容できた時代というものが、今とは違っていたのかもしれない。


戸川純の哲学的探求が無我に帰結するか否かという以前に、戸川純の表現形式はかなり無我的だ。それは変化自在と言ってしまえばそれまでだが、これだけ自我を持て余していそうな本人像とは裏腹に、まったく自分というものを落とした「まな板の鯉」に徹しているからだ。アクセサリーを付け替えただけで、全身が変身を遂げることができる人。

ファッションや役柄もそうだが、パブリックイメージも変化自在。80年代当時、玄人音楽雑誌ではブリジットフォンテーヌを語り、メジャー誌ではチェッカーズと対談し、文芸誌では太宰治を語り、映画誌ではジュリエッタマシーナを語り、朝日ジャーナルでは「右翼的の父の影響で道路を左に曲がれなかった」というエピソードを披露し、女性週刊誌では恋多き私生活を暴露され、ロリータ趣味の雑誌ではお姫様扱いされていた。まあ、根っからの役者なのだろう。


戸川純はバブル華やかりし80年代の混沌とした文化を体現していた。当時も戸川純の天才性を賛美する人は多く、十分評価されていた。しかし、いま彼女はいわゆるメジャーシーンには居ない。

80年代の終焉からほどなくしてバブルは崩壊し、人々の生活にも重く苦しいものが徐々にのしかかってきた。聴く歌くらい、明るいメッセージを求めたのだろうか。あまりディープなものは受け入れられなくなったのかもしれない。戸川純も妹さんが亡くなる、体調不良が続くなど、実生活でさまざまな苦難に見舞われていたようだ。


ならば、「時代に咲いた徒花」だったのだろうか。いや徒花も咲くだけ見事なのではあるが……。


戸川純は、時代を体現しつつ、やはり先を行き過ぎていたのだと私は思っている。ミュージシャンや俳優に彼女をリスペクトしている人は多いし。近年はライブに足を運んでいないのだが、観てきた人の話によると、体調も徐々に取り戻して、活動もコンスタントに続けているとのことだ。


写真集『戸川純JUNTOGAWAASONLYALUMPOFMEAT』に次のような文章がある。


「生命」

死と直面した刹那、人は生を生々しく実感する。

突然、自分に向かってとび出してきた車に

「死にたくない」と瞬間的に本能が反応する。

また、意識的に死と正面きって向かい合った時、急に五感が冴える。

鳥の声、車の音、心臓の鼓動、吸う息、吐く息、木々の緑色の鮮やか。

目もつぶれんばかりの陽の光。


(引用おわり)


私はもう「純ちゃん」に依存する少女ではないし、ファンとしても随分遠ざかっていたが、これからの活動を楽しみにしたいと思っている。体を大切にして長生きして欲しい。そして、すごいおばあちゃんになって、確固たる再評価を得て(美輪様みたいに!)、自我崩壊の先にあった無我を表現してくれるのではないかと思っている。




編集後記

今年の後半から執筆をさせていただきました。稚拙な文章をお読みいただき、誠にありがとうございました。なにかツッコミがございましたら、どしどしお寄せください。来年からは新たな切り口で無我表現を探求し、そして原稿が遅れないように、がんばりたいと思います。私自身の生き方も、いろいろなものを削ぎ落として精進していきたいです。(土)