クリシュナムルティの陰の生活?

高橋ヒロヤス  

クリシュナムルティ偏重と誤解されても困るのだが、様々な資料を当たっていた時期だったため、モチベーションがあるうちに続けてもう一本、Kのネタを書いてみたい。

以前このメルマガで、クリシュナムルティの不倫問題その他について取り上げたことがあったが(http://www.mugaken.jp/spirituals/Krishnamurti.html)、当時はスキャンダルの発端となった書物、不倫相手であるロザリンドの娘ラーダ・ラージャゴパル・スロス(以下「スロス女史」と呼ぶことにする。)が書いた“Lives in the Shadow with J. Krishnamurti”(London, 1991)を全部読んでおらず、これに対する反論本であるメアリー・ルティエンスの本に依拠して描いた。

 

今回、件のスロス女史の本を一応読み通したので、この機会に再びこの問題をもう少し詳しく取り上げてみたい。

 

最初に結論めいたことを述べると、スロス女史の出版の意図が、この“暴露本”によってクリシュナムルティ(以下K)の人格を貶めることにあったとしたら(多分そうだと思うが)、その目的はまったく果たされていない。

 

逆に、Kのプライベートを知る彼女の詳しい描写によって、ありのままのKの人格的魅力が漏れ伝わってくる結果となってしまっている。

 

この本で一番読むに値する、生き生きとした描写は、幼少時代のスロス女史がKやロザリンドと共に過ごしたカリフォルニアでの生活(主に第二次世界大戦中の時期)を描いた章である。

 

他の部分は、彼女自身の神智学的偏見と、両親から受け継いだ怨念に染まった描写に終始しており、冗長でもあり正直読むに堪えなかったが、その中でも興味深い箇所はいくつかあった。それについては別の機会に取り上げることにしたい。

 

ロザリンドの合法的な夫であるラージャゴパルは、新婚直後から、自分のオフィスで仕事に没頭し続け、生活のリズムも不規則で、ほとんど家庭生活を持たなかった。ラージャゴパルは、最初の子供(ラーダ、つまりスロス女史)の妊娠が分かった時、子供ができた以上、もう夫婦関係を持たないと妻に宣言した。ロザリンドはそれを聞いてわが耳を疑ったという。赤ん坊が生まれた後、ロザリンドが昼寝している間にラーダのおむつを替えたり、抱っこしたり揺りかごを揺らしたり、オイル・マッサージしたりと赤ん坊の世話をすべて引き受けたのは、当時の夫妻の住居(アーリア・ビハーラ)の近くの別荘で暮らしていたKだった。

 

Kとロザリンドの関係の発端は、1932年春のことだったという。Kは、集会で多くの聴衆に講話した夜は、しばらく興奮状態(いわゆる“ハイ”な状態)になり、寝つけないことが多かった。そんなある日の夜、集会が終わった後、Kは上機嫌で落ち着きがない様子だったが、解散して皆が寝静まった夜中に、別荘からアーリア・ビハーラに引き返してきて、ロザリンドのベッドに入ってきた。

 

Kは若い頃から、「プロセス」と呼ばれる肉体的激痛を伴う症状に襲われることがしばしばあった(リードビーターなどの神智学者は、それをクンダリーニ上昇やエネルギーの浄化作用とみなしていた)。弟のニティヤは、そんなKの恐ろしく苦しむ姿を見て、「まるで生きながら身体が焼き尽くされる人間の苦悶を見ているような」耐え難い気分になったと記している。「プロセス」が起こる時期になると、Kはロザリンドや他の女性に、まるで母親に対するかのように縋り付き、苦しみに耐えようとしたという。

 

ロザリンドは、このときも傷ついた子供が母親の慰めを得ようとしているのかと思った。しかしそうではなかった。

 

ロザリンドは一時期Kの弟ニティヤに恋しており、ニティヤが死んだ後は、Kに惹かれていた。彼女がKではなくラージャゴパルと結婚したのは一つの謎である、とメアリー・ルティエンスは書いている。憧れだったKから熱烈に求愛されたことはロザリンドにとって夢のような経験だったろう。彼女はKの情熱に応えたが、ラージャゴパルに対する罪悪感に苦しめられることはなかったとスロス女史自身が述べている。ロザリンドとラージャゴパルとの間に夫婦生活は全くなく、ラージャゴパルに愛人ができると二人は離婚した。

 

ロザリンドは、ある夏の夜、Kと一緒にアーリヤ・ビハーラの屋根の上に並んで座り、星空を見ながら、愛の詩を語り続けるKの横顔にうっとりと見惚れていたことを覚えている。ロザリンドは、ラージャゴパルとの結婚生活に欠けていた愛情と温もりをKとの関係の中に見出していた。あまりゴシップ的なことは書きたくないのだが、この本によれば、60歳近くになってもKのロザリンドに対する肉体的情熱は衰えなかったようだ。

 

ラーダ(スロス女史)は、あたかも父親が二人いるかのように感じていた。気難しくて近づき難いラージャゴパルよりも、いつも一緒にかくれんぼをしたり、熟した果物を木の上から投げつけても決して怒らずに常に愉快なリアクションを取ってくれるKに家族としての親しみを感じていた。このような家族の在り方が正常ではないことに気づいたのは彼女が大きくなって学校に通うようになってからだったという。

 

Kは、ラーダが小学校に入学すると、家の近くのバス停まで毎日一緒に送って行った。帰りにも毎日迎えに行った。有名人であったことから、Kは目立たないように大きな麦わら帽子を目深に被っていた(彼が「世界教師」であったことを知っている人々もいたのだ)。ラーダは学校の友達と一緒にKにいろんな悪戯を仕掛けた。石を投げたり虫を目の前に突き付けたりしたが、Kはニコニコしたりびっくりするふりをしたりして皆を楽しませた。

 

Kが他のどんな大人たちとも違うことを子供たちはよく理解していた。Kはしばしば子供のように振る舞った(彼はいつも食べ物を半分残す癖があって、ロザリンドによく怒られていた)。ラーダは自分よりもKに注目が集まるおかげで、自分の悪戯がしばしば見逃されたことを感謝している。おもちゃがなくてもKと一緒に過ごすことが楽しかったので、広い家の中で全然退屈することがなかった。他の大人たちと違って厳格ではなく、いつも遊ぶことに熱心だった。Kという愉快な大人の存在はラーダにとって他の子供たちへの自慢だった。

 

スロス女史の本は、ペーパーバックで400頁近くに及ぶ大著にもかかわらず、直接引用する価値のある記述がほとんどない。そのことが、この書物の質を物語っている。せっかくKの身近にいながら、この程度の本しか書くことができなかった原因は、彼女の直接体験による記述が、Kと幼年時代を共に過ごした日々のことに限られており、それ以外は母親のロザリンドや父親のラージャゴパルの意見を代弁した主張にすぎないことから来ている。冒頭にも書いたように、結果的にこの本は、素顔のクリシュナムルティがいかに愛すべき存在であったか(とりわけ子供にとって)を明らかにすることには役立っている。

 

興味深いのは、Kの代表的著作である『自我の終焉』や『生と覚醒のコメンタリー』、『道徳教育を超えて』などを編集したのはラージャゴパルであるということだ。彼の編集手腕は見事であるというほかない。もっとも、それ以外のKの著作も同じようなクオリティを保っているという事実は、誰が編集してもKの言葉の質は不変だということを示している。

 

スロス女史自身は、クリシュナムルティの言葉を極めて表面的にしか理解していないように思われる。彼女は、Kが自分自身の言葉を実践していなかったこと(特に性的な関係において)を問題にしているが、彼女はKの次の言葉を読んだことがなかったのだろうか。

 

「いわゆる聖なる人々は、セックスに耽っているなら神に近づくことはできないと主張し、それを押しのけますが、実際にはそれに取りつかれているのです。性を否定することによって彼らは自分の眼を抉り取り、舌を噛み切り、地上のすべての美を否定しているのです。彼らは自らのハートと精神を飢えさせ、生気を失った人間です。彼らは、美は女性に関係するからという理由で、美を追放したのです。」

 

「愛と貞節とは何かを理解する必要があります。貞節の誓いはまったく貞節ではありません。なぜなら言葉の下には欲望が渦巻いており、様々なやり方でそれを抑圧しようとすることは、それが宗教的であれ何であれ、醜悪さの一形態であり、その本質において貞節ではないからです。誓いや禁欲による僧侶の貞節は、本質的に貞節ではない世俗性です。あらゆる形の抵抗は、分離の壁を築き上げ、それが人生を一つの戦場に変えます。そして人生はまったく貞節ではなくなります。」

 

「セックスを否定することは別の形の残忍さです。それはそこにあります。それは事実です。私たちが知的な奴隷であるとき、他人の言葉を際限なく繰り返し、服従し、従い、模倣するとき、人生のすべての道は閉ざされます。行為が単なる機械的な反復にすぎず、自由な運動ではないとき、解放はありません。この絶え間ない存在の充足への欲求があるとき、私たちは感情的に歪められ、閉塞があります。そこでセックスは、自分自身の、中古ではない唯一の問題になります。そしてセックスの行為においては忘我があり、自分の問題や恐怖を忘れることができます。その行為の中で自我は存在しなくなるのです。」

 

「男と女が一緒に暮らし、セックスして子供を作り、その関係の中に争いや苦々しさや葛藤を持ち込まないでいることは可能でしょうか? 恋に落ちて、所有欲に基づく関係を持たないことは可能でしょうか。誰かを愛し、彼女も私を愛し、結婚する――それは完全に真っすぐで単純なことです。その中に葛藤はまったくありません(結婚するというのは、共に暮らすことを決意するという意味です)。他方なしに一方を持つことはできないでしょうか―その後にわだかまりをつくることなく。二人の人間が恋愛し、共に知的で感受性があり、そこには自由があり、葛藤をもたらす中心がないということはありえないでしょうか。愛しているという感情の中に葛藤はありません。愛しているという感情にはまったく葛藤がありません。愛していることにはまったくエネルギーのロスがありません。エネルギーの損失は、嫉妬、所有欲、疑念、疑い、愛を失うことへの恐れ、保証と安全への絶え間ない欲求といったものの中にあるのです。誰かと性的な関係を持ちながら、通常その後に生じる悪夢なしに過ごすことは確かに可能です。それは自然なことです。」

 

Kはロザリンドを愛し続けたが、ロザリンドは疑念を膨らませていった。特にKがインドでナンディニ・メータという美しい未亡人と知り合ったことを知ってからは疑いがひどくなった。ロザリンドはKを問い詰め、直接ナンディニを見ようとインドまで行った。ロザリンドの味方であるスロス女史(ラーダ)も書かざるを得なかったことは、Kとナンディニの間に関係があったという疑いに何の根拠もなかったこと、嫉妬に狂ったロザリンドが、Kが1年のうち数か月を過ごしていたカリフォルニアに滞在することを拒否し、ロンドンの寒い気候に晒したこと、Kが自らの正当な権利を取り戻すためにラージャゴパルに対して訴訟を提起しようとしたとき、法廷で二人の関係を暴露するとロザリンドがKを脅す手紙を書いたことなどである。

 

スロス女史自身、Kに何度も電話や直接面会で訴訟を思いとどまるよう直談判を行い、大手術の後で体が弱っている高齢のKにラージャゴパルとの面会を強要し(結局ラージャ側のドタキャンで面会は流れた)、その顛末をKがスロス女史に電話で報告すると、その会話を録音してKを名誉棄損で訴えたりしている。スロス女史は、法廷でKの私生活が暴露されるとKの全業績は地に堕ちることになると散々脅しているが、この本に書いてある以上の材料はどうやら存在しないようである。

 

90歳を超えた老齢のKに対し、何十年も前の関係を持ち出して恫喝を繰り返すスロス女史の行動は常軌を逸しているとしか思えないのだが、Kはそんな彼女にも一貫して愛情を示している(さすがにラージャゴパルとロザリンドのことは無視するようになった)。

 

自分は、スロス女史の本を読み通してよかったと思う。そのおかげで、プライベートなKの純粋で温かい人間性を知ることができたし(高橋繁敏氏が翻訳したマイケル・クローネンの『キッチン日記』という本でもその一端を窺うことはできたが)、「クリシュナムルティは高尚な教えを説きながら実生活では女にだらしない男だった」というような下世話な批判がまったく不当なものであることを確信できたからである。