伊福部隆彦著『老子眼蔵』復刊を望む

高橋ヒロヤス  

MUGA執筆陣に新しく加わっていただいた土橋数子さんの親戚が伊福部隆彦氏のお弟子さんだったというご縁で、今では絶版となっておりアマゾンの古本市場では数万円の値がつけられている貴重な書、伊福部隆彦著『老子眼蔵』をお貸しいただいた。

その内容に、非常に感銘を受けた。

老子の教えは、素晴らしいことは直観できても、これまで読んだ邦訳では、どれもいまひとつピンと来なかったのだが、この『老子眼蔵』の冒頭部分を読んだだけで、初めて腑に落ちた気がした。

自分が伊福部隆彦氏の名前を知ったのは、以前「ぐるごっこ」などの記事でも触れたことのある、ダンテス・ダイジというヨガ行者兼禅師が、自らの師として伊福部隆彦氏の名前を筆頭に挙げていたからである。

彼は『老子狂言』という自著を伊福部氏に捧げ、序文に次のように書いている。

 

(以下、ダンテス・ダイジ『老子狂言』序より引用はじめ)

老子の体得者 無為隆彦先生について


無為隆彦先生は、本名は伊福部隆彦という。

40何歳かの年に、1年間の本当に正直な生活行為と、「老子道徳経」との体読により突如、タオを悟る。

以後、曹洞禅に参じ、老子のタオと道元の名づけた仏教とのまったき同一なるを参禅弁道により悟了す。

その教えの中心は、その時々に変化していく自己の義務すなわち「名」を徹底的に生き切るという、一切のものに対する報恩感謝の生活道にあった。

ヨーガで名づけるところのカルマ・ヨーガである。

この無為隆彦師との出会いなくして、現在の私の冥想はあり得ない。

(引用おわり)


力不足であることは自覚しつつ、『老子眼蔵』の内容について、自分の限られた理解力の及ぶ範囲で触れてみたい。


◎老子出現の眼目

伊福部氏によれば、老子ほど誤解されている人物はいない。その書は、東洋無政府主義の書あるいは隠遁者の指南書であるように見られたり、または虚無思想、ひどい場合は功利主義等のレッテルを貼られることが多い。これらの誤解は主に、第1章の有名な「道可道非常道」という語句の誤読に由来するという。

従来、この語句は「道の道とす可べきは常道に非ず」と読まれ、その意味は「語ることができる道は、常道(真の道)ではない」、すなわち「常道(常に変わることのない恒常的な道)は存在するが、それを語り尽くすことはできない」という風に解釈されている。

しかし、『老子眼蔵』ではこれを「道の道たる可きは常(かわらざる)の道に非ず」と読む。その意味は、「道というものは時々刻々千変万化して生成発展しているものであって、決して固定した恒常的な道というものがあるのではない」ということである。

伊福部氏によれば、老子出現の眼目は、「思想によって生きるということの否定」にある。つまり、固定した特定のイデオロギーや観念に基づいて生きることによっては時々刻々千変万化して生成発展している「道」(「リアリティ」と言ってもよいのではないかと思う)を生きることはできないといったのである。


(以下『老子眼蔵』より引用はじめ)

無為に生きようとするところに老子の思想がある。道に生きようとするところに老子の思想がある。しかし無為や道は、思想ではない。それは事実である。無為や道を思想と見るのが抑々の老子認識への間違いである。

思想によって生きるということを老子は否定したのである。われ等は既に生きる前に、生かされているのである。他の何物にもよらず、このわれ等を生かしているものによって、われ等は生きればよいのである。これを老子は無為に生きるという、無の為(はた)らきのままに生きるのである。ここに無碍の道がある。

思想によって生きるのは、そのこと自体が実は迷いである。必ず?礙するものをもつ。

思想なるものは、それはそれが独自なるものであり体系的深さをもてばもつほど、それは仮設性をもつものであり、従ってそれによって生きようとする時われ等を生かしているもの、この世界を展開せしめているもの、無為、道と合致せざるものをもつのである。その為に必ず彼は現実において破れるのである。

(引用おわり)


 伊福部氏は道元禅をも実践していたから、道元と老子に共通点を見る。つまり、道元のいう「眼横鼻直(眼は横についており、鼻はまっすぐについていること=明々白々な当たり前の事実)」より他に真の認識はない。世界は色の外に空はなく、空の外に色はない。空の外に色を求めたり、色の外に空を求めたりするのが迷いである。道はわが前に現成している。この現前の道より他に、殊更に常道という如きものはないのである。常道を求める心そのものが迷いである。


(『老子眼蔵』より引用始め)

老子出現の眼目は、一切の仮設性を人間知性の中に絶たんとしたところにある。一切の仮設を脱落して、現前する道そのものに一如となり一体となって生きることの絶対的福音を伝えんとしたところにある。

その道とは何だ。

それが眼横鼻直なのだ。眼は横に切れており鼻は真っ直ぐについている。朝々太陽は東から出て夜々月は西に沈む、それが道なのだ。朝眼が覚める、起きるという道がそこにある。起きれば着物を着るという道がある。着物を着れば顔を洗い口を漱ぐという道がある。是くの如く道は刻々現前に現成する、それを行ずるのが道であり、行じてゆくところに更らに道は現成する。そこに何らの仮説を要しないのである。

(引用おわり)


◎無と有と玄

自分が『老子眼蔵』で最も感銘を受けたのは、その「無」及び「無為」についての解説である。

すなわち、無とは「何もないこと」ではなく、無為とは「何も為さないこと」ではないということである。このような誤解により、老子は虚無思想や隠遁の書という偏見の対象となってしまった。

 老子第1章は「無を天地の始に名づけ、有を万物の母に名づく。」と述べるが、これは、老子のいう無と有の語の概念を明らかにしたものである。

つまり、「現象界以前を無と名づけ、現象界を有と名づける」というのである。

『老子眼蔵』では、無有は単に場所を意味するのではなく、はたらきをもっているという。万物を誕生させたものは無であり、万物を生み育てているものは有である。しかも、その有は生み育てているだけでなく、生み育てながら、しかもそれが又、亡びさせてもいることなのである。

しかし、この無有の二つは、全然別な二つのものではない。二つと見えるが実は一つのものであり、一つのもののはたらきである。ただその場所によって呼び名が変わっているにすぎない。

そして、その同じきものが「玄」と呼ばれる。この玄のさらに玄なるもの、そこからすべてのはたらきが出てくるのである。老子は、この世界なるものは、玄のはたらきであるという。玄は無とあらわれ、有とあらわれて、この世界をあらわしているのである。


(『老子眼蔵』より引用始め)

無有は別々な二つではない。それは一つのもののあらわれで、そのあらわれの場所の相違によって呼び名が変わっているだけで、これを同じく玄と呼んでもいいと老子は言っている。

玄は不断の流動をもってあらわれている。しかもそれは、天地の生ずるに先立つもので、音もなく形もなく、しかも廓然として比べるもののない存在で、かつ永遠に死滅することのない存在である。それはあらゆるところに普くあらわれて極るところがなく、つねに休むことなく、一切のものを生々化々しているところのものである。

彼は瞬時も留まっていない。それは河水の流れるように無限の過去から無限の未来へと流れて逝っているが、流れて逝きっぱなしかというとそうでなく、草木が土に還っては芽を出して来るように、くりかえしている。

この循環流動の全体的過程において、われ等に認識されるものの上にあらわれる部分を有と呼び、認識できないところに隠れてしまう部分を無と呼ぶのである。

従って無も有も、ともに玄としてのはたらきをもつ。それは瞬時も停止しない展開であり、そしてそれは無は有へ、有は無へとゆくところの循環である。

この無自体のもっているはたらき、これを老子は無為という。

(引用おわり)


◎「無=不存在」ではない

『老子眼蔵』の「無」についての解説は実に明快なので、そのまま引用する。自分はこの解説に接して、老子がようやく腑に落ちた思いがした。


(引用始め)

心棒を入れる穴の部分、土器における空虚なところ、室における空間、それらのもののことを「無」というのではない。それらは事実として単に「無いもの」又は「空」にすぎない。

しかしこの「空」「無いもの」があることによって、「有るもの」即ち轂(こしき)や土器や室の壁やが、それぞれの用を為す、この無いものと有るものとの関係、これがちょうど無と有の関係と同じであると、現象界の一物の存在形式をとり来って、現象界をして現象界としてあらしめるもの(無)の存在を譬喩し象徴させているのである。

即ち、この現象界たる有のもつはたらきは、有だけでそれを為しているのではなく、有の奥にある、又は有のはじめにある無のはたらきの為であるというのである。ところが、人々は有のはたらき、この現象界のはたらきは悉く現象界自体のはたらきであると見ている。この考え方は人々の心の上に甚だ根深い。ギリシャ以来の西洋哲学の如きは全くこの有のみの考え方の上にある。唯物史観の如き特に然りである。今日の科学的世界観の如きまた然りである。

老子はこのような世界観に反対する。世界は有だけによって存在するのではなく、有が有としてのはたらきをもつのは、その奥に、又はその背後に無があり無のはたらきがあるからであると彼は言うのである。この真理の説明的表現として、轂(こしき)や土器や室の壁の例を譬喩としてとったのである。

この無有の世界観的認識は、老子哲学の根本思想であって、この観念がしっかり腹に入っていないと、老子五千言は到底理解できないのである。それにもかかわらず、多くの老子注釈者等は、無の語を単に、不存在の意味と見たり、存在の否定として解したりして、老子の思想哲学をまことに浅膚なものにしているのである。

(引用おわり)


◎無為の真義

 『老子眼蔵』の核心は、「無為」というものの解釈にあると思う。「無為」を「何もしないこと」ではなく、「無のはたらき」と解釈することによって、老子の姿はまったく異なった様相を見せる。


(引用始め)

無為を、多くの老子注解者等は、既に言うように無を不存在と解した為に、為をツクル、ナス、オサメルなどと解し、結局無為をツクル、ナス、オサメルの否定語と解している。即ち無為はツクルナシ、ナスナシ、オサメルナシなどとするのであるが、これ甚だしき間違いと言わねばならない。

それなら無為はいかなる意味に解すべきかといえば、無のハタラキ又は無の作用と解すべきである。これを無の正しい解釈とするのである。

それなら、その無のはたらきとはいかなることか。既に言うように無は不断にその有への妙(はたらき)をあらわそうとしている。あらゆるものがこの現象界にあらわれてくるのは、無のはたらきのためである。

春になる、草木が芽を出す、それも無のはたらきである。子供が生まれる、それも無のはたらきである。今まで風がなかったのに急に吹き出した、無のはたらきである。一天晴れ渡った空に雲が湧いてくる、無のはたらきである。われ等の住んでいるこの世界というものは、瞬時も同一状態にとどまっていない、不断に新しい状態が展開して進展している。それは何によるか、それは無のはたらきの為である。老子はこの無のはたらきを無為というのである。無為の為は、「はたらき」の意味なのである。

(引用おわり)


「無為」を「何も為さないこと」ではなく、「無のはたらき」と解釈することによって、老子は虚無思想から一転して積極的な活力の源泉となる。


◎無為の偉大さ

「この故に聖人は無為の事に処して、その天地をもってあらわす、教を行うのである。」(老子第2章)

この「無為に処して生きる」中に人としての正しい道の生き方があるとするところに老子の道がある。そして事実、この道以外に人の生きる道はないのである、と伊福部氏はいう。


(『老子眼蔵』より引用始め)

ところが、われわれ人間はこの無為の絶対を認めたがらない性質をもっている。それはわれわれの暗愚である、又は迷いと言うてもよい。そういう暗愚な迷いを持っていて、なかなかこの無為の絶対が認識されないのである。

即ちわれわれは私のはからいによって生きられるように思うのである。また、それによって生きようとするのである。

然るに無のはたらきは絶対である。従って思うとおりにゆかない。「あてごとと何とやらは向こうからはずれる」で、私のはからいは無為の前に破られる。それはつねに力ないのである。ここに人生、事志と違うものができ、憂鬱があり、苦悩があり、怒りがあり、悲しみがあり、焦燥があるのである。

これらの一切のものは、それ故に、もしもわれわれが無為の絶対を認得して、無為のままに私のはからいなく、響のものに応ずるように生きるならば、必ず雲散霧消して、そこに自由無碍の天地が現成する。所謂大道現成して天人合一の境を展開し、自ら大神通の中に大神通を行い得るのである。即ち、大神通現成するのである。


無為は然し自己の外にのみあると思ってはならぬ。無為は心外にあると共にまた、心の内にもある。自分の心の中に起こってくるいろいろな思想や感情、それらのものが、そのように起こってくるのもまた、無為によるのである。

それは正念正想のみではない、あらゆる妄念妄想の起こり来る悉くが無為である。観じ来れば、存在するもの悉くが無為によるのであって、無為の外にわれも他もないのである。


無為に生きるとは如何なることか。わが私のはからいを一切棄て去るのである。自分自身が無になるのである。既にわれがあって無に対し、無の絶対を認めて、それに随順するというのは、未だ真に無為を解するものではない。又それでは未だ無為を真に生きることはできない。自己自らが無と一体になるのである。無為以外に自己がなくなるのである。

天地もこの無為の中に呼吸し、自己心の一閃影もまたこの無為の中に生滅する。ここに至ってはじめてわれ道に一致するのである。道そのものになるのである。

(引用おわり)


老子は第37章でこのように述べる。

「道の本体は無のはたらきである。そのはたらきは、為さざるところがない。政治に与るものが、もしよくこの無のはたらきに従ってこれを守ることができるならば天下すべてのものは、自らにしてその徳に化するであろう。

もしまた、この化したる万物が、人為をもって更らに変じようとするならば、私はそれに名づくることのできない道自体をもって、これを鎮めるであろう。蓋し道自体はかく為そうという意欲をもっていない。自然そのものである。だから静そのものであり、それ故に天下は自らにして定まるのである。」


『老子眼蔵』はここから、老子の説いた「徳」、「天下」、「不争」などについても実に興味深い論を展開するが、長くなりすぎるので本稿では割愛する。これらについては是非原著をあたっていただきたいのだが、冒頭で述べたように今では容易に入手不可能なのが残念である。


◎潜態論との共通性

このように見てくると、『老子眼蔵』の説く老子哲学と、MUGA第1号から第5号にわたり河野龍路氏による連載記事で紹介した小田切瑞穂博士の「潜態論」との共通性を感じずにはおれない。

小田切博士の潜態論は、「一切の現象の本質は、感覚し得ない潜態にある」という前提に立って、これまでの西洋科学では無視されてきた潜態(=無)を世界記述の中に取り入れようとする試みであった。

無を「不存在」や「存在の否定」とみなすのではなく、有と切り離すことのできない万物の根源とみなす『老子眼蔵』の哲学は、潜態論が前提とする世界観と共通していると言ってよいのではないか。

『潜態論』は自然科学の立場から、『老子眼蔵』は人文科学(政治、道徳、哲学)の立場から、色心不二、無有一如の生命のありよう(「私=世界」という認識)を説き明かしている。「有」のみが存在のすべてであると考え、「有」の分析に終始した挙句に行き詰まりを見せている現代世界にあって、この世界観こそ、人類が21世紀を生き延びる道であると自分は信ずる。

西洋近代科学文明にブレイクスルーをもたらす画期的な世界観(とはいえそれは何千年も前から存在してきたのだが)が、日本という極東の地で二〇世紀に相次いで発見(再発見)されていたという事実には、ある種の歴史的な必然を感じる。

今こそ伊福部隆彦氏の老子思想と、小田切瑞穂博士の潜態論を再評価し、世界の前に提示すべきときではないか。そのためには、両者の著書の一刻も早い復刊が不可欠である。このままではせっかくの貴重な人類の知的遺産が宝の持ち腐れになってしまうという危惧を抱かざるを得ない。