歎異抄に学ぶ「南無阿弥陀仏」の開かれた世界

那智タケシ  

ここ一ヶ月、『歎異抄』の世界に浸かっていた。とある偉い浄土真宗のお坊さん(大学の学長をしている方)の都内で行われていた仏教入門の講座を一般向けの書籍としてまとめるという仕事をしていたのだが、ほとんど顔を上げないほど「南無阿弥陀仏」の世界に浸かっていたので、顔を上げた時は少しばかり世界が違って(地に足が着き、開けて、より明瞭に)見えたほどである。

 

『歎異抄』と言えば、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人について書かれた本であるが、著者は弟子の唯円である。五十歳ほども年下の弟子であった唯円が、親鸞聖人に直に触れ合い、話を聞き、対話をして心を震わせ、その言葉を書き残したのが『歎異抄』である。しかし、この書物にはもう一つ別の顔がある。

 

「歎異」とは「異なる」を「嘆く」ということ。「抄」はエピソードを集めたもの。つまり、『歎異抄(たんにしょう)』とは「異なるを嘆く」本なのだ。これは宗教書としては珍しいスタンスである。なぜ「異なるを嘆いている」かというと、親鸞亡き後、教え子たちが異なること、間違ったことを教えていると言って、「嘆いている」のである。「なくなく筆をそめて書きました」という表現まである。

つまり、「もっとお金を出せば、もっと救われる」と説いたり、「念仏とは別の深い秘密の奥義を私は親鸞から授かっている」という者がいたり、「南無阿弥陀仏」だけを称えていれば修行になる、唯シンプルにそれだけでいい、老若男女誰もが救われる、という親鸞の教えと真逆のことを言う教祖めいた人たちや、金儲け主義の人たちが教え子の中に出てきたことを嘆いているのである。これは現在でも、似たようなことをやっている人もたくさんいるようだけれど、鎌倉時代にも同じことが行われていたというわけだ。

『歎異抄』は、それを非難、排撃するというよりも、只々「嘆いている」本なのである。しかし、その「嘆き」というのは阿弥陀仏から親鸞を通して流れる慈悲の情からやって来たものであり、決して、批判、排撃に終わらない。それがこの小さな書物を偉大なものにしているのだ。

 

『歎異抄』が真宗の門徒のみならず、明治以降は文化人、哲学者、作家等、様々な人々に大きな影響を与えて来たのは、この「慈悲」によってであるだろう。西田幾多郎は、「すべての書物が燃やされても、『歎異抄』さえあれば我慢できる」と言ったそうだが、その気持ちが少しばかりわかるほどに、この本には何か突き詰めたものがある。

ぼく自身、たまたまこの仕事をいただいたのだが(何かの縁かもしれないが)、この『歎異抄』に触れることで目が開かれるところがあったことを告白する。正直に言えば、これまであまり触れることのなかった大乗仏教の奥深さに魅了され、すっかり感嘆してしまったのである。

 

大乗仏教では、むしろ禅にシンパシーをいだいていた。浄土真宗といえば念仏仏教というイメージで、さすがに「葬式仏教」と単純には片付けていなかったものの、不幸な大衆を念仏で極楽浄土に救うための極めて日本的で土着的な仏教、というくらいの認識だった。しかし、このイメージは、『歎異抄』に触れることでまったく覆されてしまった。イメージというよりも、古くは善導大師、そして法然上人、親鸞聖人と流れる念仏の教えは、事実としてまったくこの認識とは違っていたのである。

 

念仏と言えば「南無阿弥陀仏」。

 

これは一般にはお葬式の時に称えるものという認識だろう。けれども、念仏というのは「生きている人が人生に感謝して生きるためのお礼の言葉」である、というのが、師匠である法然から伝えられた親鸞の教えであり、本来の伝統である。

 

「南無」とは「深く信じる、帰依する、感謝する」

「阿弥陀仏」とは無限の光(智慧)と命(慈悲)。

「阿弥陀仏を信じます。今日も生かしていただいてありがとうございます」とお礼を言う。

 

これが念仏である。つまり、本来は死者のためものでもなく、霊を成仏させるためのものでもない。我々生きている人々が、この世界でそのままに救われるための感謝の言葉であり、極楽往生とはこの世界そのもののことである。

 

つまり、「南無阿弥陀仏」というのは極めて明るい、開かれた意味なのだ。

 

それくらい知っているよ、という人もいるだろう。しかし、そこから先が親鸞聖人の独特のところなのである。

 

なぜ「南無阿弥陀仏」によって救われるということを信じることができるのか、という話になる。

 

実は、天上にある架空の「阿弥陀仏」を信じるのが念仏ではない。現世が苦しいから極楽に行くことを祈って念仏を称えているのでもない。

仏教は人が仏になる教え――仏陀が人であったように、阿弥陀仏も元は人であった。『大無量寿経』によると、法王菩薩という王様が、阿弥陀仏になってこの世界を救うという四十八の願いを立てて、仏になったのである。その願いの第十八願こそが「念仏往生の願」である(十八番「おはこ」)の由来はこの阿弥陀の念仏の願いである)。

 

「願い」というのは、誰かのためを思ってのものであるだろう。「弥陀の誓願」とは、阿弥陀仏が、「地獄餓鬼畜生の世界」、すなわち俗界にいる我々衆生すべての人を救うために願ってくれたものである。すなわち、慈悲の願いである。

さて、その慈悲の願いを信じるとは、どういうことだろうか?

 

親鸞の有名な言葉で、次のようなものがある。

 

「善人が救われるなら、悪人はなおさら救われる」

 

「悪人正機」として有名なところである。

 

なぜ善人よりも悪人が救われるのか?

 

我々現代人の感覚からすると到底理解できない言葉である。善人はより善い人であるためにがんばっているのに、悪人の方が救われるのはおかしい、と感じることだろう。しかしこの場合、善人とは「自力で善を作ることができると自負している人」のことであり、悪人とは煩悩に満ちた、「私」のことを言う。

阿弥陀仏の願いとは、善人、悪人、頭の良い者、そうでない者、老若男女、すべての人々を漏れなく救うという願いである。これを「摂取不捨」――摂(おさ)め取ると言う。阿弥陀仏は、どんな存在でも分け隔てなく、慈悲の手の中に摂め取ってくれる。自力で自分を救えると思う者はその道を進めばいいだろう。しかし、だとしたら、自分自身が悪人であり、自分で自分を救うことができない、どうしようもない煩悩に満ちた存在だと認識している「私」こそが阿弥陀仏によって救われる、救ってくださる、というのが「悪人こそ救われる」の本当の意味である。だから逆に、自力の人は信じることができないので、念仏の道に入ることは難しいと言う。自分一人ではどうしようもない存在だと認めるからこそ、善き知識を持つ師や友達との出会い(親鸞の場合は法然である)によって、信じるのが他力の道だと言うのである。

 

つまり、ここで注目すべきことは、本来、修行方法としては最も簡単な念仏だが、「信じる」の前提として、「自分自身を省みる」という厳しい自己認識があるのだ。自分がどうしようもない悪人だからこそ、慈悲の存在を信じるのである。いや、そんな自分でも生かされている、という事実によって、この世界に感謝することができるのである。

 

自分は善人か? 悪人か?

 

『歎異抄』を読んでいくと、この究極の問いに突き当たる。

 

親鸞は自分を「悪人」と言う。

 

「煩悩具足の凡夫」とまで呼ぶ。「具足」とは鎧兜が一式揃っている様――つまり、煩悩具足とは、すべての煩悩が備わっている、足りているということである。怒り、嫉妬、執着、迷い、プライド等々・・・。

 

しかし、だからこそ「南無阿弥陀仏」によって救われることを信じることができる。「自分が至らない、煩悩に満ちた存在だと知っているからこそ、阿弥陀の慈悲が頼もしい」という驚くべき宗教的展開に転じていく。

 

ここにおいて、親鸞の悟りというのは、自分自身を知ること(これを「自分を信じる」と同意だと言う)から、救われた、明瞭な、生き生きとして世界を信じる、という智慧と慈悲の光に満たされたものへと大転換して開かれていく。どうしようもない、まったく救いようのない、何一つ良いところのない私であるからこそ、見守ってくれている、救ってくれる存在がある。それは、今、自分のような存在を生かしてくれている何か不思議なはたらきに感謝することにつながり、その感謝の言葉が念仏である、という確信へと――。

 

仏法に不思議なし――UFOや超能力が不思議なのではない。それは真の不思議を覆い隠す目くらましにすぎないのではないでしょうか?と講座をしているお坊さんは問いかける。これについてはまったく共感できるところである。ただ、今、ここに生きていること、存在していること、出逢っていることが不思議なのだ。りんごが木から落ち、風が南から吹き、星が万有引力の法則によって寸分違わず周って、自分がここに立っていることこそが真の不思議なのである。これ以上の不思議があるはずもない。

 

すなわち念仏とは、「阿弥陀仏」というファンタジーを信じることではない。あの世の極楽に行くための六文銭ではない。この世界を成り立たせ、自分を今、この瞬間、生かしてくれているという事実の「不思議」に直面し、驚愕し、感謝することであり、その力を信じることである。私たちを救ってくれ、慈悲でもって見守っていてくれている何ものかを畏敬の念と共にありありと感じ、言葉に出してお礼をするということである。

 

仏教入門の講座をしている先生によると、他力とは、一言で言えば「お蔭さま」のはたらきであるという。私たちが普段挨拶で何気なく使っている「お蔭さまで元気です」。その「お蔭さま」こそが私たちを生かしてくれている何かである。これは極めて腑に落ちる説明であるのではないだろうか。

「お蔭さま」に主語はない。「私のお蔭」ではない。それは自我を超えたはたらきでありながら、誰もが感じることができ、感謝することができる、私たちすべてを生かしている何ものかであり、日本人の多くが肌で感じている何かである。

念仏とは「お蔭さま」のはたらきによって、今、生かされているという不思議に感謝することであると言う。つまり、「至らない愚かな自分」から始まった末の世界の絶対肯定であり、そのはたらきと慈悲を信じる心そのものである。

 

ここまで来ると、もはや葬式の時の念仏というイメージとは真逆の、現実に生き、地に足の着いた、それでいてすべての人に向けられた願いとして「阿弥陀の願い」というものを受け取ることもできるのではないだろうか。

 

「善人が救われるなら、悪人はなおさら救われる」

 

「阿弥陀の願いは親鸞一人のためにあった」

 

こうしたいかにも誤解されやすく、時には批判も受けてきた表現は作為的なものではなく、親鸞の厳しい宗教的境地が実存的なものとして個人の中に宿り、肉化した故に自ずと出てきたものであるだろう。

このような「無我的な表現」に自然に備わる独自性というのは、時に、自我に捕らわれた我を省みて、「悪人」と喝破するほどの呵責のない、厳しい境地から生まれる。しかし、その何一つ隠すことのない裸の実存から発せられる生きた声が、我々の心の最も深い部分を打ち震わせるのである。そこに嘘偽りがないからこそ、私たちの表皮に張り付いた虚構を剥ぎ取り、肉の中に入り込み、心臓にまで届くのだ。よって、ある種の仏縁(有縁)によって『歎異抄』を開くということは、親鸞聖人と時代を超えて心を通わすことであり、包み隠さず、裸の実存をさらけ出して対話することでもある。

 

「念仏」もまた、一つの、この世界に開かれていく現在進行形の形である。座禅をする人は座禅をすればいいし、瞑想をする人はすればいいし、難行をする人はすればいいだろう(親鸞もまた、このようなスタンスであった)。問題は、自己中心的な働きを執拗に続ける自我を直視した上で、どうやってそれを大地の一部の等価なものとして認識し、位置づけ、石ころのように地に落とし、それにこだわることなく世界に向かって開かれていくか、である。この厳しい自己認識という土台なくしては、すべての修行は座禅であれ、瞑想であれ何であれ、自我の拡大へとつながってしまい、修行すればするほど、拡大すればするほどその「状態」「境地」に取り憑かれ、傲慢、尊大になり、戻ることは極めて困難になる(比叡山で二十年間修行した親鸞は、その危険性を充分に熟知していたのだろう)。現在進行形で、常に自分自身の裸のあり様を見つめていくことなしには・・・

だからこそ、まずは「悪人」である自分を見つめるのだ。

 

地に足を着いて生きる――これは等身大の、真実の上に立って生きるということである。ただそのままであることであり、そのままであることを認めることである。どんなに愚かで、無様であっても、等身大で裸の自分であればこそ、つながるもの、感じ合うものがあり、心通わせて微笑むこともできるだろう。このどうしようもない社会について、認識を同じくして、同じ地平に立って、同じものを見て何かを語り合うことも可能になるだろう。イメージ、観念、妄念を取り去れば、問題は、シンプルで、そのままにそこにあるのだ。

そのままにあるものをそのままに認められるかどうか、――その時、そのままのものが不思議になる――悟りとはそれだけである。特殊な「境地」でも、神秘体験でも、継続的な「状態」でもなく(残念ながら、それこそ目くらましなのだ)、ただそのままであり、観ている何かであり、観られている何かであり、あなたであり、私であり、空から降り注ぐ小鳥たちのさえずりであり、喜びのシンフォニーそのものである。すなわち世界それ自体の豊かさ、奇跡的な摂理によって運行しているこの世界の偉大さに気付き、跪くことである。

 

ここにおいてはもはや自力も他力もない。凡夫も悟り人もない(この見地からすれば、人は皆、ことごとく凡夫である)。ただ事実だけがあり、その事実を認めた先には、開かれ、救われた世界があるだけなのだ。

 

卑小な自我を見つめ、正確に認識して、一事物として落とし込んだ上で、この自分を生かしてくれている慈悲に包まれた世界に対してお礼を言う。それが「南無阿弥陀仏」という言葉になる。そのように念仏を捉えた時、仏教における大乗、小乗、宗派の違いといったものは解体していくように感じた。キリスト教との類似性についても思うところがあったが、それはまた今後のテーマにしていきたい。