座談会 第34号 断片を統合する新しい人間像

2014 4/16 in四谷の某事務所にて


★ 編集会議出席者

・那=那智タケシ(ライター・無我研代表)

・高=高橋ヒロヤス(弁護士・翻訳家)

・土=土橋ユキ(ライター)

・テ=ティモ(アルバイト)


●スピリチュアルと鬱
那 高橋さんの原稿の「スピリチュアルは鬱を救うか」(MUGA33号掲載)というテーマから始めたいと思います。
高 この前、ダークマターの研究をしている友人からメールがあって、メルマガを読んでくれているらしいんです。彼は医師なんだけれど、精神科の現状についてなんか一言あるみたいで、もっと調べていろいろ書いてみてくださいってメールが来たけれど。今の医療の現状はとんでもないって。
那 薬もよくなっていて効果はあるらしいんだけれど、結局さ、薬がなかったらどんどん病んだ人間が増産される社会になっているわけじゃない? それで薬漬けにして、大丈夫だって言われても、何か違うよね? 結局、薬物中毒みたいになってしまう人もいるし。
高 でも一回やり始めたら途中で止めるのは危険だって言うしね。
那 薬を飲んでいる人をいっぱい見てきたけれど、みんなぼーっとしてる。考えさせないようにしている。
高 思考を無理やり止める。
那 何で鬱を治すために無理やり思考を止めるかというと、結局は思考の残滓というかさ、それがストレスでどんどん溜まって真っ暗に見えて、希望がないと思って鬱になってしまう。そういうシステムはわかるけれど、ストレスなき社会にはできない。軽い社会にはできるかもしれないけれど。
土 薬の作用で余計に自殺願望が増えるという話もありますよね。
那 対処療法だもんね。
土 鬱は診断が難しい。叔父は若い時にパニック障害だったんです。でもそれがパニック障害だとわかったのは年を取ってからで、それまでは心臓病だと言われていたんです。どきどきしちゃって。何でも昔は調子悪いと鬱病と判断されて、パニック障害でも鬱病の薬をもらっていたというのはあるんですね。それで悪化させていたということがあるんですね。ちょっと狭い範囲の話ですけれど。
高 うん。
土 あと製薬会社が患者の会をものすごく取り込んでいる現状があるんですよ。とある外資系の製薬会社が主催している「精神医療のこれから」みたいな講演の取材に行ったことがあるんですけど、外国の方も講演されていて。統合失調症の薬の話がメインなんですけれど、すごい世界だったな、と。統合失調とは鬱とは違って、周囲の人からの理解が薄いのである意味、もっとたいへんなところもあるんですけど、その患者の人のことはさておき、それをすべて取り込んでいるという図式が見えて、怖いなと思ったことがあります。
高 製薬会社にしてみれば、薬をどんどん作って売るというのが自分らの利益ですからね。
那 精神病を唯物的に、機能的疾患として捉えるという風潮があるじゃないですか? だから差別してはいけないんだ、とか。
土 ええ。
那 それって精神病じゃないじゃんっていうか、脳病みたいに捉えているわけでしょ? でも、後天的環境とか、考え方で精神病になるタイプが9割以上だと思う。それを一緒くたに唯物的に捉えて薬で治療しようというのは、それこそ製薬会社の洗脳という気がするよね。
土 うん。
那 例えば、ぼくの親戚にも鬱病のおばさんがいますよ。産後鬱になって、それからもずっと鬱病なんだけど、その人がどういう人かというと、いつも何か心配してる。ぼくとは2、3回しか会ったことないのに、まだあの子は結婚しないの、大丈夫かしら? と心配しているんだって(笑) それで鬱になって薬漬けになっている。これはもう性格なんです。余計なことを考えて、心配事を増やして、出口が見つからなくなって、私にはもう生きている価値がない、というペシミズムに陥る。考えすぎの病気というかさ。
高 考え方を変えるだけで……
那 親もそういう人だったのかもしれない。心配性というか。
高 本当に薬が必要な人はそんなにいないのかもしれないね。
那 でも、その人に良い意味での人格的影響を与える人が周りにいなかったのかもしれない。似た者同士の集団でその人が一番それを濃密に受け継いでいたり、ストレスのはけ口になっていたりする。人間関係とかって治せないんだよね。医者だって人格者とは限らない。カウンセリングのテクニックはあるのかもしれないけれど。
高 薬をくれるだけでね。
那 友達に付き合って、精神科のクリニックに何度か行きましたが、行ってさ、3分で帰って来た。どうしてそんなに早いの?と聞いたら、「薬どっちにする?」と聞かれて「こっち」と選んだだけだって。それで「わかりました」と言われて帰って来た。そういう世界ですよ。鈴なりに並んでいて。
土 カウンセリングはしないんですかね?
那 そこはしていなかった。
高 一回目だけですって。
土 ああ……
那 昔の話だけど、その子は、結局、山の上の隔離病棟に入ってしまった。お見舞いに行ったけれど、異様な空間というか。独特の世界。でもみんなピュアな感じで、真面目な人ほどなるんだな、と。
土 それはありますよね。環境因子みたいのがあって。企業は今、メンタル対策というのをすごいやっているわけです。鬱病になられたら困るというわけで。
高 メンタルヘルスね。
土 サラリーマンの2割が心の病にかかったことがあるとかね。ちょいちょい新聞なんかに出るわけですけど、対策として何をするかというと、入社する時にメンタル耐性のテストがあるらしいんです。メンタル耐性が強い人を入れたりするらしいんですよ。でも、会社にとっては、メンタル耐性が弱くても、逆にそういう人がクリエイティブな才能を発揮したりすることもあるから、そういうことは問題にしません、というところもあれば、とにかく他の成績はよくてもメンタル耐性が弱ければ不採用にするという所もある。
高 うん。
土 まず入り口を狭めるわけですよね。入ってこないように、と。それでも会社で調子が悪くなった時に、カウンセリングの体制を整えている。産業医とか。そして休んでもらって、大会社の場合は何パーセントかの社員はそうなると見据えて運営している。それでちょっと休んでもらってまた戻ってもらえばいいという感じ。つまり、まともに生きている人だけでやろうという感じで、全体でやろうという感じではない。排除して、治して戻って来てください。全逮を抱擁していないというか。それが社会全体に言えるのではないか、という。
那 今の社会は健常者の範囲が狭いよね。でも、元から狭いのかもしれない。村社会だし、村八分というか。
高 昔は、家から外に出さなかった。座敷牢みたいな所に入れて。
土 ああ、ひどい人はね。でも、昔はそういう子たちとよく遊んでいた気がするけれど、そういうのは今、皆無ですよね。
高 ああ、そうか。今、そういうのはどうなっているんだろう?
土 特殊学級というのがあって、そういう子たちとも普通に遊んでいた。今は、学校すら違うというか。隔離がひどくなっていると思います。
高 今、特殊学級というのはなくなっている?
土 私の子供の学校にはなくて、在籍はしているけれど、養護施設や養護学校に行っている。何かのイベントの時にたまに来るという場合もあるんですけど。
那 正常という枠が狭くなればなるほど精神病者が増える。その枠にいなくてはいけないというストレスもあるじゃない? 
土 一回なったらおしまいで、出世コースから外されるとか、そういうプレッシャーも要因としてありますよね。
那 人間とはなんぞや、社会人とはなんぞやという枠組みがすごい狭くて、ヤフーのコメント欄とか見ても、芸能人がちょっと不倫とかすると許せない、とか。おまえら何様なんだよ? というか。犯罪者は「死刑にしろ」とか。
高 自分もそうなるかもしれない、とは考えない。社会からはみ出たものは排除しようとする。
那 昔の公立学校は優等生もいれば、ヤンキーもいれば、少し頭の弱い子もいる。多様性の中で人とのかかわり方を学んでいた。それが今は私立が増えて階層性というかね。すごいつまらなくなっているし。
土 ボーダーラインの子もいるわけですよ。でも、あの子が入ってくると足を引っ張られるから困る、と言われる。
那 階層の中でも、例えば高い階層の中で、落ちこぼれそうになったら鬱病になってしまったりね。枠自体が狭く、断層化しているというか。だからこの間言ったレイヤーの話なんですよ。エリートコースから落ちたら自殺するしかない、というような社会。それって、人間というのはこんなものだという大きな世界観がない時代に生きているから、信じるのは親から与えられたレールとか、エリートコースとか、環境の中で与えられたものを信じて何とか生きているわけじゃないですか。我々現代人は。その世界が狭いということですね。圧倒的に。そこから落ちたら自分はもうだめだという。資本主義経済社会から落ちこぼれたら自殺だという。精神病の増加というのは、その世界観の狭さも原因がある。
高 そういう人を受け入れる社会になっていないから。
那 スピリチュアルも一つの逃避かもしれないけれど、受け皿にはなっているのかもしれないね。
高 それこそオウム真理教だってそうだった。ただ、あのピラミッドの中で出世したり、また別の階層性があったけれど。

●SFが与えるビジョンの可能性

那 ティモ君に貸したフェリーニの「サテリコン」という映画があるよね? キリスト以前の古代ローマの話で、もろに快楽主義の世界。
テ はい。
那 あそこでは同性愛者も奇形の人も、奴隷もたくさん出てくる。完全なエピキュリアンの世界でカルバニズムも何でもあり。でも、何でもありで受け入れている豊穣な世界がある。みんな、けっこう幸せそうな感じでしょ?
テ そう思いました。
那 映画だけど、ペトロニウスの原作もあんな感じ。キリスト以前の話ということで、何の道徳もなくやりたい放題。吐くまで食べて、冒険して。普通に人も死ぬ。
テ すごかったです。
那 確かに、めちゃくちゃな世界で、悲劇もたくさんあったと思う。でも、ある種の「人間とはこうあるべし」「社会人とはこうあるべし」という枠組みがないから人々はストレスが少なかったんじゃないかな。鬱病の人はあまり出てこないというかさ。ああいう世界観って現代の人間にもしかしたら必要なものかもしれない。確かに、本当に神的なものとのつながりは薄いのかもしれないけれど、ある種の神話があったんですよ。そこでは多様性が包含されていいて、存在を許されていて、有機的につながった宇宙像があった。今、そういう共有する宇宙像というのがなくなっているから、それぞれの世界に閉じこもってしまうというか、断片化していく。そういうものを再提示する必要があるのかな、と思います。SFだったら「ブレードランナー」とか、東洋と西洋が混濁とした、今の新宿っぽいような世界観を提出できた。
土 懐かしい。
那 そういう世界観を提出できたという意味ではSFも捨てたもんじゃなかった。人間って共有する神話のイメージ、ビジョンが必要で、それを提出できる人が今は少ない。でも、映画とか文学、芸術とかは、人が思っているより大きな役目を持っていると思うんです。「魔法少女まどか☆マギカ」を推したのは、そういう世界観が垣間見えたからです。無我研では流行らなかったけど(笑) 
一同(笑)
那 見てくれたの?
高 まだ見てないです。子供がすごいアニメ好きなんで、子供と一緒に見ようかなと思っていたんですけど。
土 残酷なシーンがあるというから子供と見れないな思って。
那 そこまでじゃいなから見てみてくださいよ。劇場版の前後編だけでもいいから。
土 見てみましょう。劇場版でも世界観は伝わる?
那 劇場版しか見てないんですが、そっちの方が完成度が高いという話はあります。
高 うちの子は深夜アニメにはまっていて。
土 うちはテレビがないので。でも、ディズニーの新作を見てきましたよ。「アナと氷の女王」。クラスのみんなが見てるってことで見に行った。まぁ、面白かったですよ。ロマンスものから人類愛につながるような。王子様と女の子のロマンスから人類愛と、愛って何という時に人を思いやることを提示していて、とてもよかった。ただ、昔話をすごい歪曲するディズニーというのは相変わらずで。古典的なものを作り変えてしまう。シンデレラもそうだけど、小さい子はそちらを本当だと思ってしまうのかな、とか。なぜそれが語り伝えてきたというのをはしょっているところがある。
高 エンタメに走ってしまうとわかりやすくせざるを得ない。
土 ディズニー復活してる、とは思いました。新しい人が入ったのかな。
高 「桐島部活やめるってよ」はテレビで見ましたよ。
那 面白かったでしょ? 意外と。
高 うん。面白かった。
那 監督がわかって撮ってるから。
高 でも、那智さんの評論の方が面白かった(笑)
那 あの時の熱気がね(笑)
高 あの映画だけ見てそこまで感動できたかはわからない。
那 ちょうどつぼにきてたんだろうね。
高 映画そのものを見るより、そのことについて語っているものの方が面白い時がある。
土 それはありますよね。そこまで深読みするか、とか(笑)
高 まどマギもそれについて語っているものが面白かったりする。
土 まどマギ見たい。

●「永遠の0」とヒューマニズムの限界
那 今、映画化する小説の短縮化の仕事をしていて、昨日、著者と会ったんですけど特攻隊の生き残りの人が書いた小説なんです。
土 映画化するんですか?
那 来年公開だって。2割ほど短縮してリライトしてくれって。サイパンに出撃する予定だったんだけれど、終戦3日後が出番だから助かった人。
高 映画が当たったら本も売れるかもしれませんね?
那 自費出版だけど、映画の広告の一つかな?
土 本自体は生原稿があるだけなんですか?
那 そうそう。それを脚本にしてはいるんだけど、小説はまだ出版されていない。映画は割と有名な俳優を使っていて面白そうだよ。
高 今、特攻隊とかブームだから。「永遠の0」とか。
土 「永遠の0」を見たら、これが特攻隊のあれでみんなに広まっていいのかなって。
高 映画は見てないけれど、小説は読みましたよ。でも、あの作者は本当の特攻隊の人の本をかなり下敷きにして、リアルに引っ張ってきていて、あれ自体リライトじゃないけど、本当のオリジナルとは言えるかはわからないけれど、構成力はあるな、と。
那 テレビの仕事をしてきた人だから、そのあたりは上手いよね。ただあの小説で一番気になったのは、孫たちみたいのが訪ねていくじゃない? その孫たちの描写の薄っぺらさというかさ。
土 わかります。
高 そうそう。ギャップがすごいんですよ。リアルな特攻隊の人たちの心情とか、戦闘の様子とそれを訪ねていく孫たちの様子の描写が違いすぎる。
那 わざとやっているのかな?
土 狂言回しとして?
高 資料を集めて構成する力はあるけれど。ある種の右よりのヒューマニズムの世界観。
那 エンタメとしては上手くまとまっているけれど。
土 映画はSFXがすごい迫力でうわっという感じですばらしかった。ただかわいそうなのは、今の若者の役をしていた子たちで、よくがんばっていたなというか。映画の方が若者の成長みたいのを強引に描こうとしていたんですね。かなりステレオタイプに描いていたので。
高 あの作品のすごいところは、当時のリアルな戦記をリアルに描写しているというところであって、映画もそこをいかにリアルに表現できているかというところがポイントで。作品として伝えたいことはよくわからないけれど。
土 泣いちゃうんですけど。話を聞いている子供たちも泣いている。いいいけどね? 私も泣いているし。ただ若者がぼろぼろ泣いてる描写なんですよ。
那 そこで冷めちゃうよね。
土 そうそう。それってテレビのコメンテーターがね、泣きながら話を聞いている感じで。
那 ヒューマニズム系の作家が多すぎるというか。売れっ子はそっちの世界観ばかり。
高 通俗作品。
那 涙するものに対して、これが今まで読んだ最高の小説です、という感想がついて、ますます売れてゆく。そうなった時に、日本人ってやばいなという。まだキリスト教圏の作家なら、ヒューマニズムの上位概念に神のようなものがあったりするけれど、今、日本にはそういうものがないから。いい話で泣ける、というので終わっていて、それが評判を呼んで売れる。
高 俗しかないんだよね。聖がない。
那 ティモ君とかもヒューマニズムだけでは満たされないわけでしょ? サテリコンなんていわば、アンチヒューマニズムでしょ。
テ そう思います。
那 ロックだって元々はそういう反動から生まれたものだから。
土 ロックって一つの時代が終わったものなのですかね?
高 今は商業音楽になってしまった。
土 ファッションというか。ピストルズとかよかったよかったというしかない。
高 60年代のわけのわからない衝動の中で作っていた。無我夢中で。
土 あれを超えるものはもうないですよね?
高 信じられないくらいいい曲が短期間でたくさんできた。それに追いつくような曲が今は出てこない。
土 ジャンルでいうと違うところから?
高 今はロックとは違うところから新しいものが出てこないと。まったく違うもの。そんなこと言っていると今、音楽活動をしているティモ君に失礼かもしれないけれど。
テ いえ、聞く分にしてはわかります。
高 ティモ君はジャンルにしてはどんなあれなの?
テ ロックも聴きますけど、響くものならジャンル問わず。
高 自分ではどんなのをやるの?
テ ギターです。シューゲイザーというジャンルがあるんですけど。90年代に流行っていた、轟音ギターみたいなものをやりたいなと。
土 ノイズ系?
テ どっちかっていうとそうです。
高 envyみたいな?
テ あれは最初ハードコアだったんですけど、だんだんポストロックみたいのを取り入れてきているんですけど、本当、何と言うか、ジャンルは関係なく響くものなら何でも好きですね。フェリーニの映画でも何でもかんでもそうなんですけど、音楽でもジャンルはジャズでもブルースでも何でも聴くんですけど、関係ないですね。カントリーとかでも響くものはありますし。
那 「8 1/2」も良かったでしょ?
テ 良かったですね。主人公に共感しちゃったりして(笑)
那 映画監督の?
テ 自分もそういうところがあるんで。逃げちゃうような。好きですね。あの2作。良かったです。同年代にそういう話をできる人がいないので。


●自分も含めたすべての断片を心身脱落させる
那 今、人間が観念化してしまっているな、とすごい思いますね。仕事がひと段落したから今月は毎日雀荘行ってるんです。ほぼ100%勝てると思っている日はその通りになるし、実際、けっこう勝っています。前と違うのは、4人こうやって座っているでしょ? この人ついてる、実力ある、と思ったらその人しか見てないんですよ。出っ張りを抑えつけるように打つ。最初の一回くらいは相手が勝っても次からは勝たせない。心身脱落じゃないけど全部が落ちていって、平らになったら自分が上がっていくという感覚があるから。だから、一人しか見ていない。それを抑えつけちゃうと流れができて勝てちゃうんですよね。それは観念ではなくて、結果としてどうなるかわかっているわけです。それで3連勝、4連勝としていくと、不満というか、感じるんです。
高 (笑)
那 毎日、同じようなメンバーに3連勝、4連勝しているとね、ちょっと緩めてしまう。すると2、3回だめになる。あるいは疲れて抑えつける力がなくなってきて、流れが止まって、次勝てないってわかる。すると抜ける。それで、ぼくの席に別の人が座るでしょ? 見ていると絶対勝てないんです。そういう風になっている。だから原理的なものがある。観念じゃなくて、あるんです。
土 うん。
那 それって心身脱落というか。最近、道元の本とか読んでいるんだけど、今は自分も含めて全部断片に見えてしまうんですね。自分だけじゃなくて、他のものも落ちていく。だから断片化したものを落としていって、粘土じゃないけど柔らかくして、一旦平らにして、流れを作ってから立ち上げる。岩のままだと一体化しないというか断片化しない。それを崩して落として、粉々にして、エネルギーを流してから、一から立ち上げて質的に変えていくという作業をしていて、やっぱり固いものというか観念でもなんでも、がちがちになっているものを一旦崩して断片化して、統合してから立ち上げていくのが一人の人間かな、とか。そういう感じが今、すごい強くなっていて。人を固めているのは観念で、それを崩していくと何もないのではなくて、素材があるというかね。素材の中から花が咲くように勝手にエネルギーが立ち上がってくる。
 だから一人しか見ない。8割は一人。全体はもちろん見ているけれど、抑えるべき人をちゃんと見ているということです。エネルギーの厳密な原理があるけれど、それは観念では見えない。現象だけがあるんです。なんかね、麻雀をしながらそういうことを感じているんです。
土 それって応用できそうですよね。
高 この間の85%勝つ方法の記事も面白かったけど、それも書いてみれば?
那 この間は3対1で「受け」ながら打つというベーシックなものだけど、今はもう少し精度が高くなっていて、その中の一人を注視しているやり方です。じゃあ、どの順番で見るかというと、「俺、強いでしょ?」という雰囲気のエゴを出している相手を最初に見ます。そういうのがいたら、そいつだけをマークする。次に、実力のある人や運のある人。この3パターンで分けているけど。だって、自分が不愉快になる相手に勝たれたら絶対自分は勝てない。だから、そういう相手は自分を殺してもマークしないとだめなんです。こいつだけは絶対勝たせないという打ち方はできるわけです。でも、今日、来る前、3、4回打って負けてきたけど(笑)
土 (笑)
高 現実生活で応用するというのはありですよね。
土 「見る」っていうのは何を見るんですか?
那 例えば、座るでしょ? 座った瞬間に「うっとうしいな」とか「こいつのってるな」というのはわかるわけです。だいたい。そしたらその人から見ていく。その人の打牌とか。あるいはどちらを捨てても同じ確率の牌があるとする。そしたらどっちを捨てるかというと、そのマークする相手に対して不利になる方を捨てていくわけです。ついている人がピンズがいらない牌になっているとしたらピンズで待つ。つまり、ついている人からエネルギーを吸い取るような打ち方をするんです。それを繰り返していくとだんだん削っていくことができるから。苦手な奴とか、こいつ嫌な奴だなというやつがいて、エゴとエゴでぶつかると必ず負けてしまうんです。嫌なことをして勝とうとするタイプに勝とうと思うと、エゴが強い方が勝ってしまう。でも、今は上から抑えつけているから苦手がなくなってきた。むしろ、そういう相手に勝たせない打ち方ができます。もちろん、自分の心身の状態が悪いと何もできないですけどね。デリケートなものなので。


●一つの断片が自分より上にある時、人はゆがむ
那 芸能人で霊能者に洗脳されているとか、されていないとかいう人がいましたね。専門家でも洗脳されていないと言っていたけど、あれはやはりある意味、洗脳なんです。顔を見ればわかるんだけど、断片化の理論でいくと、全部が断片化しているように見ていないということだよね。霊能者のすばらしい世界が自分の世界より上に来ていて、その人の存在全体を規定している。それは強度の差はあれ洗脳なんです。例えば、ワンマンな社長のいるブラック企業がある。そういうところにいたこともあるけれど、みんな去勢されたみたいな顔になっていた。人間って自分より上のものがあるとゆがむんだよね。スーパーワンマンな社長がいて、全部俺の言うことが正しいんだって。人間ってこういう存在の下に入ってしまうとゆがんでしまう。それが力であっても、美しい理論であっても。若い時に先輩からしごかれるというのはあってもいいけど、人生全体として見た時に、自分がずっと頭上がらない上の存在がいたら、それがどんなに素晴らしい人であってもゆがんでしまうことがある。だから、人は絶対的な父性を超える必要もあるわけで。
高 ロールモデルの話とカリスマの話は似ているようでまったく違うよね。
那 ロールモデルになる人は、全部の断片を調和させて、結晶化して質的に変わった人かいたらその人はロールモデルになりうる。でも、理論や共産主義のようなイデオロギーを信じて動いている人を真似したら、またゆがんだ人間を量産させるだけであって。
高 毛沢東主義とかもそうですよね。
那 北朝鮮なんかは国営放送でそれをやっているけれど。でも、もうイデオロギーや宗教の時代じゃなくて、個々人が世界の断片を統合して、独自に結晶化させることで新たな価値を生み出す社会になる必要があると思うんですよ。でも、それをさせないようにする権力者側の洗脳というものは事実としてあるわけで、進んでカリスマの下に入っていく傷ついた人々もいるしね。
高 簡単じゃない。
那 無我表現だなんだと言った時も、それもまた一つのイデオロギーになったら意味がない。無我、無我だなんて言って、お釈迦様みたいに微笑んでいるとか、いいことしなくちゃいけないとか、マザーテレサみたいになるとかそういうイメージだったら、自分より上の条件付けになってしまうわけだから。マザーテレサが自分の上にきたらだめなんです。それは危険なことでさ。無我っていうと、自分は諸法無我というか、そっちなんです。全部が自分と同じ価値を持った断片的なものなんだから、自分も含めて特別のものはないと言った時に、場の理論ってのがある。その場、環境においてどう調和させていくかという。
 場における姿勢とかつながり方に表現がある。だからどちらかというと僕は諸法無我なんです。いいことするとか、欲がないとか、お金も欲しくない、性欲がないというのは無我じゃなくて、エネルギーの減退で、多少はそういうのがあってもいいけど、むしろ等価的に物事を正しく見るというか、そこからどうやって新しい価値を立ち上げていくというか。それは個性があっても絶対わかりあえると思う。イスラム教徒でも仏教徒でも、キリスト教徒でもない新しい、トータルな人間が生まれた時に、その人たちは絶対にわかりあえる。そういうことなんですよね、たぶん。でも、これを普遍的に伝えるような表現にすることは非常に難しい。これだけ言葉尽くして何となくということで。ここにいる人は似たような価値観というか方向性にあるから伝わるかもしれないけれど。
高 でも、今の自分の上にものを置かないという言い方はわかりやすいし、そういう形なら何か書けそうな気もするけど。
那 書くのにはものすごいエネルギーがいるし、準備もいりますよ。話す方が楽ですよね。
高 まぁ、話すことで整理されることもあるから。
那 そう、滅多にこういうことは話さないしね。でね、ワンマン社長でも、スピリチュアルなカリスマでも、宗教でも、共産主義でも、上に何かあるとゆがむ。そういう人間をたくさん見てきた。どんなにすばらしいカリスマの下にいても、ナンバー2がゆがんでいたりする。実際、そういう超人的なカリスマと仕事をしたこともあって、体術も哲学も、表現方法も天才的で、ぼくも一ファンで尊敬していた人なんですけど、ナンバー2を見た時、あれっ?て思ったんです。明らかに条件付けられているんですね。
土 でも、カリスマの下にいる危険性とか一点突破で表現するとわかりやすいかもしれませんね。もっと深いものがあるとしても、つぶつぶを統合する前段階として壊すというか。
那 そういうのを無理やり拡げていくと、実は、進化論とか、弱肉強食の理論にもつながるんですよ。弱肉強食とか、一見、残酷な理論に見える。でも、今の理論で言うと、万物を断片化して取り込んで新しい形を生み出していくプロセスというか。そういうことでも語れちゃうなと思ったんです。肉食動物が草食動物を食べ、ある意味、断片化して自分に取り込んでいくというか。新しい進化論も可能かな、とか。より高き何かになるために自然の営みがある。これはある種の神人論になっちゃうんだけどね。物質世界において神が誕生するとかトンデモになっちゃうんだけど。


●アドヴァイタと仏教の相違
那 今、悟り系と呼ばれるものはほとんどヒンズー系ですよね。サマディに入るというか。
高 アドヴァイタっていうインドの不二一元論からきてる。
那 それを仏教と一緒くたにしているのが問題だと思うんだよね。
高 まぁ、仏教の時代からアートマンがありやなしやという論争は続いていて……
那 でも、仏教系の人とコラボしていたり、何なのかなって? アドヴァイタと一緒になっているのを見ているとどうしても首を傾げてしまうんですよ。
土 エゴをなくせとかはみな言いますよね。でも、エゴの先に大いなる自己とか、ハイアーセルフとかを想定している。
那 その手の業界の出版社がそっち系を宣伝していて、そういう本ばかり出ていると、みな、その影響を受けてそっち系の思想に染まる。でも、やはりそれはおかしいんですよ。何もぼくが正しいとかそういうわけではなくて、普通に見てもおかしい。仏教をちょっと学んだだけでそれは違うとわかるんですよ。例えば、手塚治虫の「ブッダ」を読むだけでも、思考を止めて無心の境地になる聖者の下に修行に行った釈迦が「これは違う」と言って立ち去っているわけで。「この瞑想をしている時はいい、でも、それを止めたら世界は生病老死の四苦八苦の世界があるだけで何も変わっていなかったと。だからこれは最高のものではありません」と言うんです。それで聖者は「あなたが本当に悟ったら戻って来て私に教えてください」と言う。それで自我も含めてすべては因果から生まれたもので、固有のものは何もないという諸法無我を悟ったブッダは戻って来て、聖者は弟子になる。漫画でさえ描いてある基本的なエピソードですよね。その事実が無視されている。どちらがどうというわけではないのですが、仏教とアドヴァイタの悟りの質は違うんです。決して、一緒くたにできるものではないはずなのに巧妙にブレンドしている感じで。ぼくは何より生理的に受け付けないですよ。ブラックのコーヒーに砂糖が入っているのはすぐわかる。
高 本来なら、日本の仏教界から今、那智さんが言っているような声があがってもいいんですよね?
那 まぁ、興味もないんだろうし、まともに修行している人がどれだけいるかという問題もある。
土 今、スピリチュアルに限らず、自己啓発という名の洗脳が多く行われている気がしますね。
高 企業の場合は意図的に道具として取り入れているんでしょうね。もっと真剣に自分の人生を賭けてこういうものにのめりこんじゃう人もいるから、罪深いことではあるよね。
那 ティモ君は若手部隊として体を張ってそういう場に潜入取材をして欲しいよね(笑) 我々は口だけだから。
テ 全然いいですよ。
高 いろいろと求めているって意味でも試してみるべきじゃない?
テ そうですね。
一同(笑)
那 でも、資金はないけどね。
テ そういう現場に行ったことがないから。前の職場の店長が100万円のセミナーに行って来たんです。店をすっぽかして。
高 そうなの?
テ 自己啓発セミナー。社長と一緒に行きまくっていたんです。延々とそれに金をつぎ込んで。逆に社員は信用できないと離れて行った。
土 ありがとうを100回言うとか?
テ それ系の。
那 そういうところを卒業した人と会ってみたいな。来ないかな?

高 まぁ、来ないでしょ(笑)

●一人の人間より大きなものはない
那 今回、書いた小説の「地下にいる宇宙人の話」(第33号掲載)だけど、あれ、「UFOが君を治したんじゃない、君が大きくなることで病気を治した」って話になっているでしょ?
テ 面白かったです。ツボを抑えている感じで。
那 あれね、「UFOが治した」ことになると、断片が自分の上に来て、UFOカルトになってしまうんです。
高 ああ。
那 「君が掘り進み、大きくなることで治した」という時に、UFOさえ彼女にとっては断片ということで、腑に落ちるわけです。そこで「あの宗教者が治してくれたからあの人はすごいんだ」となると新興宗教やヒーリング系カルトの信者になるし、「あのUFOは何々星から来てアストラル界うんぬん」となるとUFOカルトになるし、「UFOってのはアメリカの陰謀で」となるとどんどんそっちに行ってしまって、戻って来れないと陰謀論になる。でも、「そんなのは君という存在よりもはるかに小さな問題だよ」と言った時に、一人の人間が大きくなることでいろんな問題を解決できることになる。解決のキーを外や、自分の上に設定した時にカルトが始まる。
高 なるほどね。
那 だから、スピリチュアル系にしても陰謀論にしても、大抵外か上に設定している。内なる大いなる神とか真我とか言っても、それはやはり自分という存在を規定する大いなる断片になってしまっている。そんなの関係ないじゃん、君はどんな理論や宗教からも自由だよ、すべてを打ち壊せよ、一人の人間より大きなものはないよっていう超人論の方が健全かな、というところで。
土 一人ひとりが粒ですよね。クラスターというか。自分の中でもそうだし。
那 だって、会社とかにいたって超ワンマンな社長とか、パワハラする上司とか、自分の目の上のたんこぶになるような存在がいたら、人間って不幸になるわけでしょ? 
土 だから鬱になるっていうのもありますね。
高 最初のテーマに戻って来た。
那 そこで自分より大きなものはないんだっていう。ワンマンな社長だろうと何だろうと、一人の人間として人生を考えた時に、例えば、偉そうに言ってるおれの言葉だって、ティモ君からしたら一断片でしかないんだよ。クリシュナムルティの言葉やダンテス・ダイジの言葉がいかにきれいで、真実だとしても、それは一人の人間にとって一粒でしかない。それを統合して意味を作るのはそれぞれの人間。だからそれが健全なあり方で、断片を自分より上にしてはいけない。これ、二十代から言っているんだけど。超人になりたいとか言っていた時代から言っているんだけど、自分より大きなものはないって言う時に傲慢に聞こえちゃうんだよね。
土 ああ……
那 でも、そうじゃなくてさ、主役は全部それぞれの人なわけであって。仮にぼくがね、ここでスピリチュアルセミナーなんか開いて、那智タケシのこうした理論をコピーみたいに言う人が出てきたらそれは違うわけであって。こんなのも君にとっては大した言葉じゃないんだからって言うしかない。断片といっても、どうしようもないものもあれば、クリシュナムルティの言葉のように美しいものもある。でも、その美しいものに条件付けられた時に、Kのコピーになってしまう。そのジグソーピースを組み合わせて絵を作るように、その組み合わせ方に個性が出るわけであって、まんまそのビジョンを体現してもそれは創造じゃないし、コピー人間にしかならない。だから万物は断片だと感じている。でも、それって仏教なのかもなって最近、思う。道元の研究本なんか読んでいると、意外と似たことが書いてあったりね。世界はばらばらなんだとか。
高 正法眼蔵ですか?
那 「正法眼蔵研究」とかいう本。難しいからまだ全部読めてないけど。
土 会社だったら、その社長が社長という役割だということを自覚できればいいんだけど、営業がいて、事務員がいて、社長がいる。役割として自覚した社長。そういう風になった組織はみんながチームで、みんながリーダーになれる。
那 逆に言えばね、ぼくが前にいた小さな出版社なんだけど、その人は亡くなったんだけど、業界では有名な超ワンマン社長で、みんなが信者みたにいなってたわけ。文章書かせてもすごい。写真もレイアウトもすごい。営業も、何でもすごい、と。そんな風に社員を洗脳していた。でね、一緒に入って来たやつらがね「社長ってすごいんですか?」と聞いてくるから「全然すごくないよ」って答えた。小世界で天皇みたいになってる人。でも、どうしようもないってこっちはわかっている分、余裕があるから立てられるわけ。「社長はこう思うかもしれないけれど、素人考えでぼくはこう思いますよ」とかね。向こうもこっちに対して何かそういうのを感じていて、中央場所から流れてきた人間っていうのもあって、コンプレックスがあるわけです。だから、ある程度経つと、向こうが気を使ってくる。
 例えば、新入社員のぼくが遅刻ばかりしていたら、別に怒られることもなくて、なぜか「Nが早起きする方法を考えよう」ということになったんです。そこで始業時間が8時30分で出版社にしては早かったから、「始業時間、もう少し遅くならないですか?」と冗談めかして言ったんです。するとありえない話なんだけど、本当に会社の始業時間が30分遅くなったんですよ。結局、自分はその時間も守らなくて、いつの間にか一人だけ午後出社でOKになって、最後はフリーで好きな時に行って仕事をする関係になっていった。自分より上のものはないとか、大したことはないってわかってる時点で対人関係に余裕が出てくるわけです。一度にすべては変えられなくてもね。 
 だから、さっき出版社から電話があって、「精神病者の人の自分史を書く仕事で、ちょっとやばそうな人だけど大丈夫?」って依頼があったんだけど、「何でも大丈夫だから」って答えたんです。いつも何とかしてるから向こうも頼んでくるわけで。それで必然的に少し精神病の人とか信仰宗教系の人とか、おかしな人とやたら会うんだけど、飲まれない余裕があるから、よほどのことがない限り何とかできるって答えてる。でも、本質的に自分をおびやかすものはないってわかってるというのは強いんです。もちろん、直接的な暴力とか、戦争は別ですけどね。
 相手がすごいと思った時点で負けなんですよ。麻雀でも何でもね。それはみんな幻想なんです。そういうのがなくなった時に、ティモ君より大きなものはないわけです。我々よりティモ君にとってはティモ君が上なんです。だからティモ君は音楽とか文学とか、映画とか好きで、無我研にもちょっと興味があって、彼女もいて、仕事もいろいろある中で、何か一つの新しいもの、ティモ君の場にしかないものがいっぱいちりばめられている。だからそれ形にしていけば、君の人生がより個性的で、豊かで、非凡なものになってくるわけです。断片の下で、よき父、よき母、よき公務員でというイメージの下に生きる時、人は凡庸になる。でも、そういうのを全部落として、自分が創造する時に、断片を粘土にして、陶器を自分で作る時に、君の人生は非凡なものになる。何か急に言いこと言い出した(笑) 
一同(笑)
那 でも、こういうこと言ってくれる人、なかなかいないんだよ。
テ そう思います。
那 だから、どんなにいい言葉に聞こえても、話半分でちょうどいいんだよね。いいとこどりでね。それじゃ今日はこの辺で。