座談会 第37号 ネットが非人間的存在を生み出す原理

2014 8/12 in四谷の某事務所にて


★ 編集会議出席者

・那=那智タケシ(ライター・無我研代表)

・高=高橋ヒロヤス(弁護士・翻訳家)

・土=土橋ユキ(ライター)


●貧困層ほど富裕層優遇政策を支持するねじれ現象

那 ネットとか、変なニュースばかり見ていると世の中がすごい変になっている気がするけれど、あんまり見ちゃうと身体感覚が失われていくというか、おかしなことになっていくんだよね。日中韓関係とか、そんなのばかり見ていると。
高 ネトウヨみたいな?
那 スマホがあるからつい見ちゃうんですよね。
土 そうですね。
高 ぼくも気がついたらずっと見ちゃうみたいな。
那 やばいでしょ? 見ちゃうよね。刺激を求めて見ているだけなんだよね。
高 まとめサイトとかいっぱいあるじゃないですか? 見ちゃいますね。
那 身体感覚なんだよね、なくなると怖いのは。例えば、中国からの漂白剤たっぷりの毒割り箸の問題とか見ていると、ひっぱられるわけじゃないですか? 結局、使わなくなったり影響されてる。でも、そういうのってなんか、必要以上にそういう情報を浴びてあれだめこれだめとやっていくと、だんだん身体感覚が失われる。今まで自分の身体感覚で処理して、今日はこれ飲んじゃいけない、とか、今日はこれだけ食べようとか、意外と正解だったと思うんですよ。自分で直感的に選んでいた。それが情報の量を浴びることでひっぱられて、スマホの中の世界の住人になっちゃってるというか。それを感じて。そういうのを全然見ない人もいるわけですよ。そういう人と話していると、あれ、俺、おかしくなっているな、とか。これだけ条件付けか人間をゆがませるとか、自分より上の断片を持ってはいけないとか言っているにもかかわらず、こういうのを見ていると、染まっちゃうわけです。これは怖いなというか。
高 しかも掘っていくと際限なくできちゃうわけですからね。
那 そうそう。
土 テレビとは違うわけですか?
高 テレビは受動的に流れてくるものを見るだけだけど、ネットは自分に関連があるものを調べれば掘っていけるわけでしょ?
那 能動的に情報をゲットしていく。
高 自分で染まっていっちゃうよね。
那 結局は、自分でクリックして、自分の好きな情報をゲットしているわけです。例えば、嫌韓に影響されている人は、そっち側のバイアスがかかった情報だけをクリックするわけですよ。どういうことになるかというと、極端な嫌韓の情報だけが満載の人間ができあがる。それって、一番洗脳しやすいパターンというか。権力者側はネット情報を通していくらでも若者を操ることができる。
土 そういうリアルに、ネットから出て来た人っていますか?
那 ネットから出て来た人というか、例えば2chなんか見るとみんなそれですよ。権力者のバイアスがかかった情報に乗っかっている人ばかり。集団的自衛権にしても原発にしても、政府の見解に染まっている。人間って単純な生き物だと改めて思う。
高 安部政権はネットを有効に利用している気がしますね。LINEとか2chも含めて。
那 だって、感覚的に見たら、安部さんってどう見てもやばい人なんだけど、言っていることだけ見たら、一見、筋が通っていることを言うからさ。
高 やっていることだけ見たら、2chを一生懸命やっている人の生活がどんどん苦しくなるようなことをやっている。
那 そうそう(笑) 
高 消費税を上げるだけ上げたり、残業代出さないとか、大企業の法人税を下げるとか。
那 それを貧困層がなぜか支持している。靖国のパフォーマンスとかそれだけで。
高 ナショナリズムとか、日本人というアイデンティティを触発させてね。
那 最終的には徴兵制をやりたいわけでしょ?
高 やるよ、あれは。このまま後5年くらい政権が続けばそこまでいく可能性はありますよ。
那 核保有とね。だから、わかりやすい人だよね? 何をやろうという人かというのは。
高 安部が総理大臣になったらこういうことをやりたいというのはわかっていたんだけど。
那 それで支持率がね、嘘か本当かわからないけどまだ50%ある。まぁ、他に誰もいないというのはあるとしても。
土 ほんとですかね、あれね?
那 わからないけど、大衆はどれだけ消費税を搾り取られても、生活が苦しくなっても安部ちゃん支持が多いわけです。
土 2chは安部さん支持なわけですか?
高 どっちかっていうとそういう人が多いようですね。中国や韓国に立ち向かうというか。
那 庶民のための政治とか、非核三原則とか言うのは左翼扱いされる世界。
高 人権派とか、プロ市民とか言われて。
土 でも、若者がやっているわけではないんですね?
高 若者が多いんじゃないですか? パソコンばっかりやっているニートとか。
那 結局はさ、自分が何ものでもないというところで、韓国も同じなのかもしれないけれど、国から与えられたナショナリズムによって自分をいっぱしの存在だと思いたい人々がいるわけです。どんなに生活が苦しかろうが、残業代がもらえなかろうが、年金がもらえなかろうが、自分はすごい日本人なんだというアイデンティティの方が彼らにとっては大事ということでしょ? 人間にとって何が一番大事かと言ったら、自我意識というか、自分をいっぱしいのものだと思いたい根拠が必要なんです。アイデンティティほど重要なものはないということですよね。無我研的に言えば。
土 うん。
那 それと精神の退化を感じます。左翼運動して日本社会を変えたいという意識でアイデンティティを確立していた世代の方がはるかに上等じゃないかと。それくらい今のネットに影響された日本人の精神というものの退化を感じてしまうんです。実際、ネトウヨみたいな人が目の前にいたら、ここにいたらさ。まともにものも言えないやつだと思うわけ。自分の思想なんかもちろんゼロだと思うよ。でも、そういう人が日本のマジョリティを占めているとしたら、これから5年後、10年後怖いことだと思う。彼らが投票できる年齢になった時どうなるかということですよね。だから、ネットだけ見てるとネガティブな要素が満載に見えてしまう。怖くなるよね。
土 産業界は安部さん支持じゃないですか? 原発も稼動して。
高 富裕層はね。
那 だから完全にアメリカ型になっているわけでしょ? 9割貧困層で、1割富裕層みたいな。TPPにも参加して、そういう方向でやっていきたいわけでしょ? これだけわかりやすいのに、なぜか貧困層が支持しちゃう。
高 ねじれ現象というかね。
土 実際は貧困ではないのかもしれないですね?
高 でも、どんどん増えていくでしょうね。
那 年収200万ぐらいの非正規社員がうじゃうじゃいるし、実際、生活できない。正社員にもなれないし、社会でそれなりのステータスとか、ポストとか、責任ある仕事が任されるチャンスのない若者がたくさん出てくるわけでしょ? どうなるかというと、ネトウヨじゃないけど、君たちは外国人より優れた日本人なんだというナショナリズムによってアイデンティティを確立しようとする社会的弱者が増大するというかね。貧困層が溢れた時に、反日の中国や韓国と何が違うの?というかね。同じ構図ができあがっちゃうわけですよね。だから、貧困層とか社会的に何ものでもない人ほどそういう運動にかかわっていくというのが、そうした国々の一つの構図でしょ? 今の日本って安部政権によってそうなろうとしているわけじゃないですか? ものすごくわかりやすいんだけど、ある種の奴隷化というか白痴化が進んじゃってるから、どうすることもできない流れというものがある。
高 この流れはしばらく続くでしょうね。


●日本の穢れと言霊文化はもう通用しない

那 スピリチュアル業界なんかも、元々は社会的弱者のような人々や、会社の中でいじめられていたり、何ものにもなれない人たちがそういう世界に流れ込んで、ヒーラーになったり、占い師になったり、自己実現を図る場所でもあった。もちろん、癒される側もそういう人が多い。シャーマン的な人や、宗教的資質のある人がいたとしても、それを支持するのは社会的弱者であったわけです。それはそれで一つの社会の受け皿として機能していて、意味もあったんです。恐山の盲目のいたことかね。この社会の中で一つのマイノリティのための職業として成立していた。ところが今のようなチャンスの少ない社会で自己実現を求める若者たちがそういう世界に流れ込んで、安易にアイデンティティを確立しようとすると、恐ろしいくらいのレベルダウンが起こる。稀にいる本物も埋もれてしまう。そこにはある種、日本社会の縮図というものがあるんです。でも、もうそういう小さな世界で図れないくらい大きな流れができてしまっている。
土 批評ばかりする人も増えていますよね。
高 実際に徴兵制が敷かれて、韓国や中国と戦いに行くのかって言ったらね? 逃避先というかね、社会的に何ものでもない自分を見たくないので、ネット上で架空のアイデンティティを作るというか。
那 だから下手したらさ、戦争に行く俺、かっこいいというところまで追い詰められた人々は徴兵制に賛成するかもしれない。俺は、日本を守るために行くんだ、憎い国を倒すために戦士になるんだと。
高 行くところまでいくとそうなりかねない。
那 それでカリスマっぽい総理大臣に「若者たちよ、立ち上がれ、戦おう」なんて煽られたら、そういう人たちは行っちゃいますよ。今の状況だと。
高 今の世の中が面白くないから、まだそっちの方がいいんじゃないかという人も出てくるよね。
那 昔の戦争と違って、今の戦争と言うのは、毒ガスとか、近代兵器とか、非人間的なものじゃないですか? 関が原の合戦の時代とか、近代の日露戦争の時とは違う。そこにアイデンティティとかロマンなんてないんです。
高 飛行機だって無人機飛ばして、ボタン一つでピンポイント爆撃できる。
那 結局、犠牲になるのは一番弱い層の人たちでしょ。子供とかさ。
高 今のパレスチナもそうですね。
那 本当に矛盾していると思うのはさ、日本人ってパレスチナ問題とか、中国の少数民族への圧制とかには本質的に興味がない。自分たちのことしか興味ないんです。周辺のことしか見ていないというかさ、世界にいろいろ問題があって、ゆがみがあって、さてどうするかではなくて、自分たちを嫌っている民族を何とかしてやるぞっていうレベル。
土 そんなに偏っていますか?
那 だって、情報量が違いますよね。それと、情報のスピードとか、量もコントロールされている。ウクライナの旅客機爆撃事件の時、深夜だったと思うけど、ぼく、たまたまテレビ見ていたんですよ。日本は一切やっていなかった。外国のニュースを見たら、延々とそれだけを何時間も流し続けてる。これが本当なのだろうな、と思った。通販の番組を見ながら、何か空虚な、不気味なものを感じました。
土 特にイスラエルの問題は相当バイアスがかかっているでしょうね。
那 イスラエルだけではなく、中国の少数民族虐殺の問題とかね。夕方のニュースで速報のように流れるわけがない。核実験による放射能の問題とか。それで何万人も死んでいるとしたら、大変な問題なわけだけれども、ある種の圧力によって報じないとしたら、日本のマスコミは死んでいるわけですよね? これって怖いことだよね。
高 原発事故なんて日本で起きているのに、世界の方がより反応している。
那 それこそ、見たくないものを見ないように、触れないようにしている。元々日本には穢れの思想があって、死とか、血とか見たくないものを見ない、触れないというのがあった。獣の皮を剥ぐとか、穢れ仕事はエタヒニンにやらせるとかね。それと言霊思想があって、自分たちが口にしたらそれが現実になってしまうから「戦争に負ける」とか言っちゃいけないという文化もあった。汚いものには蓋をするというか、見ない、言わない、触れない。これは昔からあるものですよね。触れたら感染してしまうというような潔癖思想。島国だからそれで済んでいる部分もあったけれど、もうそういう時代じゃないから。
 第二次世界大戦の時も、なんとなく「やばい」「負ける」と思っている人はたくさんいたと思う。でも、それを口にすることはできなかった。それって、今の日本の状況と酷似している気がするんです。原発の問題にしても、何か福島の放射能のことを言っちゃいけない、とかそういう雰囲気はありますよね。我々でも、社会で生きていて、言いづらいというの?
土 そうですよね。
那 例えば、ここ一年間、ぼくは「仕事の流儀」にも出た山谷でホームレス支援に30年間取り組んできた医師と老人問題の本を作る仕事をしていたんですが、その先生は山谷以外にも毎週一回、泊りがけでいわき市にボランティアで診療に行くわけです。でも、話していても放射能の事は触れづらいですよ。現地の人たいへんですよね、とかは話せても。やっぱりそこはタブーというのを感じる。たいへんなことがわかっているだけに、そこまで話しづらい。聞けないですよ。
土 私の子供の同級生の保護者が東電の方なのですが、企画部門や役員の人はともかく、現場の人には本当にいい人が多いんですよ。安定供給を技術で支えようと言うプロ意識が強くて、順繰りで福島に行っている。でも、私もニュースの話なんかしていても原発の話はタブーで、ベネッセからお詫びのはがきが来たとか(笑) そういう話はするんですけど、原発の話はあまりできないです。家の片付けなんかもするらしいんですが、現地ではいろいろ言われてたいへんだと思うんです。世の中的には東電は悪者になっていますけど、私的には現場の人はいい人だというのがある。でも、食べ物の放射能のこととかはさすがに話せないですよね。
那 みんななかったことにしているようだけど、作業員の被爆の問題とかね、500ミリシーベルトまで引き上げようという案が出たりとか、かなりぎりぎりの状況だよね。もう人材がいなくて追いつかない。そういうところから目を反らして前を向こうとしても、問題は先送りなわけだから。時々、大震災っぽい余震があるとぞくっとしないですか? もし燃料棒が1000本も入っているプールが崩れ落ちたら日本が終わるかもしれないっていう危機的状況が変わっていないというのに、それなかったことにしているんだって。日本だけじゃなくて世界中に迷惑をかける大問題じゃないですか?
高 チェルノブイリの比じゃない被害になる。あまりにも現実がひどすぎて直視できないというか。
那 ニュースでプールの燃料棒を取り出す作業を始めたと。千何百本を。一回でもミスしたら終わっちゃうくらいの作業を千回以上成功させなくてはならない。がれきもあって、寝転んでいるものもある。まずは簡単なものを一本成功させたと。そのニュースまで見た。でも、その後の続報のニュースを見たことがないのは怖いことじゃないですか? 日本人としては一番考えたくない、恐ろしい現実の問題がそこに現にある。でも、それはタブーになっている。マスコミでも。
高 確かに報じられていないね。
那 だから、すごい国になっている。戦争中に近い状態。穢れの文化とかもあるとしても、ここまできちゃうとね?


●教育や家庭問題ではおっつかない黒い玉――佐世保事件

那 何か明るい話題ないですかね?
高 無理に明るい話題を探さなくてもいいですけどね。佐世保の事件の話しますか?
那 明るくない。
土 犯人の子を育てたお母さんが教育委員会に入っていて、「叱らない育児」みたいのをやっていたみたいですね。
高 でも、教育だけでああなるのかわからないですね? ぼくは仕事柄いろいろな問題児を持っている家庭の人と関わることもありますけど、今、親が理解できない奇行をする子供がいるんですよ。そういう子は、やっていることを聞くと、もう教育や家庭環境でなっているとはとても思えないレベルなんです。
那 教育や家庭環境でなっているというより、教育や家庭環境がおっつかないレベルの人間が作られているんじゃないですか? それこそスマホ一つあれば刺激がいっぱいある。自分の好きな情報、袋小路の世界に入っていって閉じた世界を作り上げることもできる。人間の中の一番ダークな部分に惹かれてしまったら、そこで濃密なさ、黒い玉ができちゃう。教育じゃおっつかない。
高 佐世保の事件の子もそういう傾向があったようですね。
那 思うよ。大人でもそうなりかねないし、子供なんて特に社会性がない状態でそういうものにダイレクトに触れてしまうわけだから。最も濃い情報に触れることができて、自分でどんどんクリックして、好きな情報を手に入れていく。どんどん社会から隔絶した親かみたら理解できない子になっている可能性もある。でもそれはある方向に向けてクリックを百回、千回繰り返すことにそこに行っちゃったと思うんです。
高 そういう素養がネットで触発されるというのもある。
那 ぼくは高校時代、ラブクラフトとか、クトゥルー神話とか暗くて不気味なホラーをやたら読んでいる時期があったんです。小説をね。中学生までプロレスごっこしていた明るいばかな少年が、高校なったら急に根暗になってしまったりね。ネットはなかったけれど、本でなった。どんどんどん社会やクラスから遊離した変な存在になっていった。昔からそういうのはあるのだろうけれど、作品というのはある程度客観化されているから、どこかで、どれだけ変な内容でも、社会性があるわけです。社会の中でこういう異端のものがあり、暗い世界があるという位置づけで、探せばどこかに出口がある。ところがネットの情報というものは断片情報で方向性も一つだから、出口がない。どんどん奥にいって、奇形のような形の黒い玉になる。もはやあの佐世保の事件の子は誰も理解できないでしょ? たぶん、被害者の子は友達もあまりいなくて、お泊りが嬉しくて楽しみにして行った。親にも「友達の家に泊まりに行く」と言って、一緒に買い物もして、本当に喜んでいた。そういう相手を狙っていたというのは我々には理解できない。胸が苦しくなる。
土 うん。
那 それはクリック二回、三回じゃああはならない。千回、一万回でああなってしまった気がするんです。そこで煮詰まってああいう人間になってしまった。親も理解不能になって手がつけられなくなった。これまでの教育の方程式ではおっつかないくらいの速度で煮詰まったと思うんです。だからスマホ問題というのはこれからどんどん出てくると思う。だって、人間って情報の生き物だから、自分の好きな情報だけを選んで千回やったら本当に非人間的な何かができあがると思うよ。でも、それはもう規制できないし、規制したらそれこそますます黒いものに人は惹かれる。だから規制するのではなくて、どこかに広場を作ればいいと思うんです。異端児同士の広場というかね。異端児同士で交流して、社会性を身につけさせるような場を設けないとこういう事件って増えていく気がしますけどね。
高 ネットで情報にのっとられちゃうということはあるよね。あまりにも大量の断片的な情報が溢れていて、処理できないくらいのね。
那 今までは社会的な免疫機能としての宗教とかね、「人間は悪いことしたら地獄に行っちゃうんだよ」とか「おてんと様が見てるんだよ」とか、いろんな人間を社会人たらしめる伝統とか常識や決まりがある中で成長していった。それがおっつかないくらい足の下に暗闇があって、好きな方向に行けちゃうわけだから。社会問題とか家庭問題とか教育問題では通用しない別の穴倉が子供の下に待ち構えている。今までの教育論じゃおっつかない。教育評論家が何を言っても、佐世保の事件は語れないと思うんです。そういうレベルの事件ではない。どういう断片を集めるかによって良くも悪くも違う存在になってしまう。
高 ネット社会の弊害というのは目立ちますけど、逆に利点というのはあるんですかね?
那 最初はみんなあると思ったんだよね。
土 東浩紀の「弱いつながり」が注目されていますよね。90年代まではネットのつながりに意味はあると思っていたけれど、結局ないと結論づけているみたいですね。読んでないけど。
高 確かに、ネットがあるから無我研ができて、こうして集まったりもできているわけですけれど、その中で自足してしまってネットの中だけで何か出てくるというのはないかもしれないですね。
那 実際に何か出てきたかといったら、ない気がするね。
高 それがきっかけで出会いの場ができたりするのはあると思うけれど、サイバーな世界で本当に有益な、社会にとっていいものができたかというと、どうなんだという気がするよね。
那 だって、ヤフー検索で「心身脱落」なんて入れたら、2、3頁目くらいに俺の文章が出てきちゃうわけですよ? あれだけ歴史があって、研究もされているものが。図書館にでもいけば、道元の「正法眼蔵」も本格的な研究本もたくさんありますよ。だから、みんなが思ってるほどネットなんてたいしたことない。それをアップしているのは人間だから。浅いんですよ。ちゃんと知りたいなら本を読むべきで。
土 検索して、満足して終わりになってしまいますよね。
那 ブログなんかも1頁にすべて情報が書いてあるように見えるけれど、それは断片的な情報ですよね。一冊本を読むということは、断片が統合された、新しい意味とか、客観性とかね、そういうものを味わうことができるんですよ。本というのは本来、無数の断片を統合して普遍的な、今までにない新しい意味や価値を作り上げることのできる人が書いたり、出版したりできるものだった。今は誰でも電子書籍で本を出せるし、ブログの記事をかき集めたようなものも多い。斬新なものはほとんどない。でも、昔はもう少しレベルが高かったわけでしょ? 図書館に行けば知りたい情報の普遍的で客観的な形がありますよ。だから知りたい情報を千回クリックした人と、そのジャンルの本を十冊読んだ人とでは、情報量として同じだけ積み重ねているように見えて、ものすごい差が出る。一方向に突き進んだ断片的情報と、どこかに丸みがあって開いている統合的情報。客観的創造物が人に与える影響はネットとは違うんです。それは情報というより、他者との出会いというか、宇宙との出会いですからね。
土 本を最後まで読むというのを子供にすごい言っているんです。この「エルマーとりゅう」は最後で読みなさいね、とかね。
那 だから最近ね、現代版の諸法無我的な原稿を書き上げたんですよ。「悟り系で行こう」以来、そっち系の原稿をね。諸法無我やら心身脱落やら、超人論やら、原理的にまとまったものを2ヵ月くらいかけて書いた。機が熟した気もするし、一冊分書けば、何か伝わるんじゃないかなと思って。でも、それをブログで細切れに乗せることはものすごく誤解を生むし、できないですよね、僕は。ああいうものはブログでは書けない。何で書けないのかという時に、それは断片的に抜き出してアップしても、表現として完成されていないから言葉が強すぎて誤解を生むのがわかっているからです。自分の表現はやはりブログ文化と合わないというか、そういうのを痛感しますね。どこかで出版化してくれないかと思っているけれど。やっぱりネットというのは断片の文化だから、ああいうものは書けないし、表にできない。
高 ぼくは読ませてもらいましたけど、まぁ、そうでしょうね。逆に、小出しにしてはもったいないというか。
那 それが悟りやら何やらに関することを直接、ブログで書かなくなった理由でもあるけれど、シンプルなことを伝えるのには何百枚も書かなくては誤解を生むというのがあるから、書き手としての責任が持てなくなってしまったんです。
土 本で出しましょうよ。
那 でも、ある種、チェックメイトの作品なんですよ。スピリチュアル系の求道ゲームや活動それ自体を詰ましてしまう、終わらしてしまう作品。元も子もないんです。一切の断片的情報を信じることを却下してしまっているので、下手したら虚無主義にも見える。だから、一部の人には受けるかもしれないけれど、商品になるかどうかは難しい。そういう世界に全然関係がない人の方が受け入れてくれたりする。そういう活動に熱心な人ほど嫌味に感じるというか、抵抗がある。たぶん、そんな作品です。