座談会・岩崎順子(元の氣塾代表)
2017年3月3日 大阪府・都島のヒーリングサロン・ハンズにて
手の平サイズの宇宙から脱出する方法
岩=岩崎順子(元の氣塾代表・Lifeヒーリング株式会社代表取締役・
NPO法人日本レイキ協会相談役)
那=那智タケシ(MUGA研代表・ライター)
★岩崎順子さんプロフィール
1998年にレイキを知り、10年続けてきたエステ業を退職。05年にNPO法人日本レイキ協会設立の発起人の一人となる。「癒しを軸にしない」「安心立命の教えを軸に」したレイキの教えを指導伝授。トレーナーとしてレイキを指導して来た延べ人数は国内に留まらず海外の指導者も含め約1万人以上(2016年迄)。
現在は協会という組織運営から離れ、協会相談役に(2016年協会の講師・理事を退任)。2015年Lifeヒーリング株式会社を設立し、元の氣塾を開講。自ら講師及びトレーナーとなり直接指導をしながら、日本の各企業や医療、福祉、また動物達にもレイキが活かされるような社会を目指して活動している。著作に『あなた自身がパワースポットになる方法』(文芸社)がある。
HPはhttp://form1.fc2.com/form/?id=686131または「元の氣塾」で検索。
●スマホは手の平サイズの宇宙
那 岩崎さんとは最初、レイキの本を作るお手伝いをする仕事で知り合ったのですが、2年ほど前ですかね?
岩 そうですね。不思議なご縁で続けてお仕事を頼んだり、こうしてお話するようにもなったり。
那 今日は何をテーマにお話しようかと思ったのですが、やっぱり情報社会ということで、メディアリテラシーについてかな? 固定観念というのは昔だったら常識とか道徳だったものが、今はいろんな情報がどんどん入ってきちゃって。不安をあおるようなものもあれば、成功しなければならないとか、いろいろなエゴを刺激するものがある中で、それをどうやってあまりこだわることなく、落として生活していくかとか。
岩 そうやなぁ。
那 いろいろな情報や観念が人間の中に溜まりやすい時代だからこそ、瞑想とか、マインドフルネスとか、メンタルケアが流行っている。流行っているというのは、それだけ苦しいというか生きづらいというか。
岩 ええ。
那 その辺をちょっとざっくばらんに語ってみましょうか、ということで。岩崎さんの視点なり、レイキの考え方もヒントにしながら。
岩 はい。
那 元々岩崎さんがレイキを始めたのが、ご自身が仕事で辛くて。
岩 そう、心身症を患って、本格的なうつ病の手前? ストレスから来る。それがきっかけ。
那 エスティシャンでしたっけ?
岩 そうエステをやっていて、役職に就いていたから売上げを上げることの方が仕事としてはメインで。その時は会社の部長になっていたから、店長クラスを新しい部署を立ち上げて教育するとか。店舗の全体を見たり。
那 マネジメントしていく。
岩 そうそう。
那 それが向いてなかった?
岩 やっぱり、エスティシャンって、元々人とのコミュニケーションが好きで施術をやっていて、人を元気にしたいとか喜んでもらいたいとか、そういうのがあったりして始めているから、結局、出世していけば経営者側の視点にどんどんさせられていくのよね?
那 ええ。
岩 だから勉強になっていくのはいいんだけれど、結局、お客さんとの触れ合いとか、コミュニケーションを大事にするよりも、どうやって会社の売上げを上げていくかとか、そっちのことを考えざるを得ない方向にどんどん持っていかれる。それは私だけに限らず社会全体がそうなんだと思うんやけどね。
那 課せられるものが多かった?
岩 多かったね。多かったけれども、プライベートですごく癒されるようなことがあって、バランスが取れていたらまだましだったんだけれど、ちょうどその当時、結婚していた元旦那さんが仕事が上手くいかなくて、うつっぽくなって引きこもっていたから、家に帰って来ても空気が悪いし、会社行ってもそれだから、それが結局原因やな。ダブルで来たから心が壊れかけて。
那 その時に、レイキをやっている義理のお母さんが癒してくれた。
岩 そうそう。何も知らない状態で、助けられた。それがレイキとの出会い。
那 その辺りの経緯は前の本(『あなた自身がパワースポットになる方法』)に詳しく書かれてありますね。
岩 やっぱり、人間関係の中でのパートナーの支えというのは大事だと思うんですよ。今は家の中で家族でいてもスマホばかりしているから。
那 タブレットとかね。
岩 あれな、那智さん、スマホって手のひらサイズじゃない?
那 そうですね。
岩 これをいつも見ているということは、手の平サイズで社会を見ていると私は思うねん。
那 確かに。
岩 顔を上げて空を見たりしなくなる。私、空を見上げる時って、この空って世界中に繋がってんねんなって思って見たりするねんけど、この空って私が見ているけれど、例えばインドネシアとか、いろんな国でこの雲を見ているかもしれない、とかすごいバリアフリーの世界というか、繋がりを感じるんだけど、スマホを見ていると片手の画面上の世界に人は夢中で支配されていて、その狭い視野の中のものを信じ込んでいる。
那 そうだね。
岩 客観的に見ると、おかしいよね?
那 結局、スマホは自分が見たいものだけ見るから。自分の好ましいものだけクリックするからエゴの延長線上にしかなかなかいかない。
岩 なるほどね。
那 だから、みんな広がるんだって言うけど、結局はまさに手の平サイズで自分のエゴを心地よくするものだけをクリックしていて、わからないものとか、自分の世界を拡げてくれるものになかなかいかない。
岩 そやなぁ。
那 だからみんな閉じた顔になる。電車でも本を読んでいる人の方が精神的な顔をしている。あるいは外を見ていたりね。デジタルの世界より情報量がある。
岩 うん。
那 情報量としてすごい少ない世界に捕らわれていて、まさに手の平サイズの宇宙。なおかつそういう情報って粘着する。エゴを刺激する。自然の気みたいに、まさにレイキみたいに出ていかない?
岩 よりエゴを増幅させる。
那 そうそう。だから2チャンネルばかり見ていると、それが自分の考えみたいになってベタベタくっついていって、息苦しくなる。ネット人間になる。情報を生かすんじゃなくて。
岩 洗脳される。
那 そうですね。
岩 それが自分の宇宙になる。
●薄い情報に触れているからこそ、内観が必要
那 他者がいない宇宙というのかな? 本来、自分にないものを持っている、豊かな宇宙を持っているのが他者で、意外性があるから面白かったり、交流して、全部はわかり合えなくても、ある地点で共感できるとか。
岩 うん。
那 自分の世界を超えて交流するのが楽しかったり、それが自分の宇宙を拡げてくれたり。
岩 そうですね。
那 例えば岩崎さんはレイキをやってらして、ぼくは違うラインから来ている人間ですけど、違うけど、何かこの地点ではこの人と話できるなって。
岩 うん。
那 できない人もいるけれど、それは自分の世界だけを絶対化したり、頑なにこだわって閉じている人なんです。境界線がある。その世界の言葉しか話さないから交流のしようがない。他者との出会いというのは自分にないものを持っている人に対して開いてあって、どこかで共感しながら、分かち合ったり、お互いの宇宙を拡げたりというのがコミュニケーションで、たぶんそういうコミュニケーションの場とか、人間関係というのがネット社会になってからどんどんどんどん減っているというか、意外性がない感じがする。
岩 そうやなぁ。
那 SNSとか見ていても、正直に言うと。
岩 確かになぁ。フェイスブックとかSNS見るとさ、動物が好きな人は動物が好きな人だけ集まってやり取りするし、農業が好きな人も同じ。私は動物も農業も、スピリチュアル系も心理学系も絡むからさ、いろいろ見るねんけど、農業やったら農業ばかりに偏ったりとかさ、どうしてもそこのコミュニティに偏るよね。
那 しょうがないんですけど、もうちょっと閉じない方向というのかな? 人間関係のみならず情報というもの、未知なる情報に開いてあるというのは怖いことだけれど面白いことだから。
岩 そやなぁ。
那 ツールとして使うものだとわかっていればいいんだけど、それが現実の世界みたいに思っちゃうと何か偏ってくる。
岩 私もフェイスブックやってるやんか? 今、SNSっていろいろあるやん? インスタとか、ツィッターとか。ライン。ラインやフェイスブックは、私もやる前はすごい抵抗あったんだけけれど、グループを作ってシェアしたりするのはすごく使えて、仕事のツールとして使うにはすごい便利なものができたなっていうのは。
那 岩崎さんみたいな仕事をしていれば使い勝手はあるでしょうね。
岩 逆に知ってしまうと、気づけば3時間とか? 私は仕事で使っているけれど、ブログの文章を書いていたりとかしていると、あっと言う間に時間が経っている。時間の感覚を失ってしまうと気づいたんです。
那 なるほど。
岩 時間の感覚は、1時間くらいの感覚のつもりが4、5時間やっている。時間感覚が違うのね。スマホとかアイパッドを使う時間というのはそれだけ人生が短命になっていく気がする。人生の大半の時間を睡眠として、スマホの時間でこれだけ使ってしまったら、人生のどれだけスマホに向かっているんだろうって考えた時、もったいなって。
那 5、6時間でいろいろやっているように見えて、そんなに情報量ないというか。ネットで返信とかしていたりしても、たいしたコミュニケーションになっていないんですよね。
岩 そうそう。
那 その5、6時間に釣りでもやっていた方がよっぽど充実していたりする。釣れなくても水面見ているだけでね。あの辺りに魚いるのかな、とか。子供時代はよくやりましたけど。
岩 そやなぁ。
那 いくらやっても飽きないし、ああ、よい一日を過ごしたな、とか。水の中から魚が出てきた瞬間とかね。だからやっぱり、いろいろやっているようでたいしたことができていないのがスマホなのかな。かと言って、今更やめられない。
岩 企業も会社もスマホがなかったら仕事にならへんちゃう? みんなスパイラルにはまっている。
那 メリットもあるんだけど、それだけやっていても人間は深まらない。ぼくもスマホなしでは仕事もできませんけど。
岩 結局、大きなメリットがあるものって、それだけデメリットもあると思うんです。どれだけお金持ちで有名になっても、それに付随するデメリットも多いと思う。叩かれるとか。ちょっとしたことでものすごく悪く言われるとかさ。
那 芸能人とかね。
岩 何にでもその法則はあると思うんだけど、だからその分、内観する時間を取らなくてはいけない時代に来ていると思うんです。
那 外の薄い情報にずっとさらされているからこそ、内部の淀みとか、そういうものを観ていかないとクリアにならないし、深まらない。
岩 そうですね。いつも外にばかり意識を向けないで、自分の内に向けて、自分が何をしたいのか、どう生きたいのか、何者なのか問うというかさ、そういうことをしていかないと結局は競争、みんながこうしているから私もしなちくゃとか、常に他者と比較する自分がより増量していく。
那 いいね、の数とかね(笑)
岩 そうそう(笑) 始めたばっかりの時は気になって。気にならなくなるまで少し時間がかかりましたね。今は自分の発信したいものだけを発信していれば、いいねが100個でも10個でもいいかな、と思えるようになりましたけど。
那 いいねの魔力ですよね。
●エゴが勝ると真偽が見えなくなる
那 岩崎さんがレイキの教科書で教えていてね、これは素直な自分の言葉として出てこないからここは使わない、とか言っていたでしょ?
岩 うん。
那 きれいごと過ぎる部分とか。その感覚ってスマホだけ見ていたら出てこなくて、もっと自然な感覚じゃないですか?
岩 ああ……
那 ナチュラル。そういうベースがないと書いてある通りなんだって思ってしまう。
岩 そうやなぁ。それで言うとさ、私、つくづく思うのが、いかに人間って言葉とか、その人の見せているものとか、持っているものとか、そういうものに単純に騙されやすいな、というのを痛感する出来事が去年とかあったりして、本質を見ることができない? いや、こんな仕事をしていて、こういう風な状態になっているのを何で気づかへんのかな、とかさ。
那 違和感?
岩 そう、違和感。
那 そういうのって敏感な人は、何でそんなのに騙されちゃうのとか? 何かおかしいよねって感覚がある人もいるけれど、わからない人は本当にわからないんですよ。
岩 疑って人を見るとかそういうフィルターじゃないんですよね。
那 違う違う。
岩 何かを信じ切るというのも違うし、それが素直かと言ったら違う気がする。
那 知識量とも違う。本物っぽく見せるものがすごく多い社会になっているから、みんなわかりにくくなっているのかもしれないけれど。
岩 そうやなぁ。私、思ったんだけど、ホームページとか無縁だったのに何か作り出して、ホームページ作るのならたくさんの人に見てもらわなあかんとか、元々アナログ人間だったから、そういう世界でどうやっていいかさっぱりわからなかったのね。それで、見てもらわなあかんのや、何とかせなあかん、とか思っている時に、たまたまホームページのアクセスアップをする会社から電話勧誘があって。
那 SEO対策とか。
岩 そうそう。それとアプリを作ったら、うちから500人以上の人に見てもらえるようにするので、とか何ちゃらかんちゃら言って、もうわからへんからすっかり騙されてさぁ、そこそこ大きなお金をそこに払ってしまって、結局、何の役にも立たへんかったのね。それを通じて来た人はゼロ。お金だけは何十万円も払わされて、利用規約とかメールで送ってきたけど小さい字で契約書とか書いてあって読まれへんやん?
那 ええ。
岩 それで電話で私が思っていたのと違うからキャンセルしたいって言ったら、それはできませんと。裁判にしようが何しようがうちは落ち度がありませんので、って言われて、全部契約書に最初に書いてあるはずです、とか。ある意味、詐欺やんっていう。
那 ほぼ詐欺でしょ?
岩 うん。でも向こうからしたら最初から全部契約書に書いてあるって言うし、同意の元だって言い張るのね。私、何でこんなのに騙されたんやろ? あほちゃうかって冷静になって考えた時に、今の自分はそんなんでお金かけて上位とかどうこうせずに流れにゆだねとったらいいわって思えるんだけど、その時は、ホームページを見てもらうようにしなければならないっていう、それこそエゴの状態でいてて、それこそ自然の流れにゆだねていないわけよね。
那 うん。
岩 エゴの状態が強くなる時って、そういうエゴの情報とか、自分のことしか考えていない人たちとシンクロしやすいというか。
那 つけ込んでくる?
岩 そうそうそう。結局、ゆだねていれば、逆にそういう情報が来たところで、この人自分のことばかり考えているな、と思ったらすごくよくわかるから「けっこうです」で終わるというか。自分のエゴが強くなっている状態だとそういうのがすごく見えなくなる。それが真実のエネルギーで言ってきているのか、偽善で言葉巧みに言っているのかが、自分のエゴが先走っている時はまったく見えない。でも、そうでない時はすごくよく見える。
那 そっかそっか。だからぼくもメルマガとかやっていて、もっと部数を増やさなくちゃいけない、とか思っていた時期もあって、まぁ、何もやってはいないんだけど、でも、そんなに一般的に受けるようなこともやってないし、我々の趣味でやっているところもあるから、これくらいの規模かなっていう。わかる人にはわかってくれればいいな、とか。等身大で。ほんとにもっと普遍的な表現ができていけば自然に拡がるだろうし、いろんな人に会うだろうし、今のところこれぐらいで、無理して拡げようとするとろくなことないっていうのはよくわかった。それはエゴだから。
岩 そう、ろくないことないよね(笑)
那 だから、逆に言えば、エゴで何かやりたいんだな、と感じる人がいたらそれはうちではできないから断らざるを得ない。
岩 エネルギーが乱されていくもんなぁ。
那 八方美人でいたら何の会だかわからなくなるし、シンプルに具体的なものの中に自我ではない表現を発掘して紹介していこう、というか、地味だけどそういう立ち位置もあっていいだろうと。差別化しないと。だから無理して拡げたいとも今は思わないんです。趣味とか世界観が近い方にこういう形で出てもらうとか、それぐらいでいいと思っているんです。エゴが入るとどうしてもね。
岩 引き寄せるものも変わるよね。見えなくなる。
那 そうですね。
岩 エゴががーっと勝っている時ってしんどいんですよね。自分の理想の状態を知っていてゆだねていればしんどくないというか。しんどさって気づきやすい人と気づきにくい人がいてて、レイキとかやっていると気づきやすいんだけど、やっぱり手を自分の肩に当てているだけで、めっちゃ力入っているやん、とかさ。
那 そういうことね。
岩 エゴが良いとか悪いとかいうよりも、絶対、人間は生きていたら大なり小なりあるわけだから、それが力入りすぎて、やらねばとなっている時は自然とエゴが勝っていて、そういう時は身体が緊張状態に勝手になっている。
那 背伸びしているとかね。
岩 そうそう。背伸びしていて。で、レイキをしてそうなっているなと気づいたら緩めて、手放して、また気づいたら緩めて、手放して。それをずっと繰り返して感覚的に身についても、かと言って全然そうならへんというわけではなく、やっぱり、年の功もあると思うねん、私。
那 ああ……
岩 90歳の人がさ、エゴまみれで私やったるでぇーとか、あんまりおらへんやん?
那 まぁね。政治家とかには中にいるけどね。
岩 中にはいるけどさぁ。ある程度人生やり尽くしたし、後はのんびりとこうね、お迎えに来るのをゆっくりと待ちましょうっていうぐらいの生き方に年をいけばなっていくのが自然の摂理というか。
那 そうね。
岩 そう考えると若い時は、逆にエゴが大きくってゆだねるのが少ない。比率的にね。それが年と共に逆転していくのかなぁっていう風に思ったりもするけどね。
那 その自然のサイクルというか、流れができにくい時代ではあるのかもしれないね。
岩 情報とか、スマホとか、時代の流れがそうなっている部分でな。60、70歳からブログ始めましたとか、フェイスブック始めましたとかいうおじいちゃんとかいるもんなぁ。
那 いるいる。
岩 会社の社長ですが、1000人の友達目標でやっていますとか。
那 でも、変えられないからね。今更スマホを捨てられない。だからこれから現代人はどうしていくかという話だけれど。
●田舎で暮らすことで競争から離れるという方法
岩 どうしたらいいんやろうなぁ。私は、もっと田舎に住んだらいいと思うねん(笑)
那 (笑)
岩 もっと田舎に住んで、もっと自分らが食べるものを土いじって、育てる? それくらいのゆとりを持つ。外に出て土をいじる。それぐらいの時間の余裕がある生き方? 自分が食べるキュウリぐらいは自分で作れるくらいのゆとり?ができればスマホがあってもバランス取れるんかな、とか。
那 それは一つのあり方としては理想的なことではあるけどさ。全員ができるわけではないからさ。
岩 そう、全員ができるわけではないけど、過疎地化されているところはいっぱいあるやんか? 狭いところにみんな集まって来ているから、もっと散っていって(笑)バランスよく散っていけばいいと思うねんな。行政がもっと散って行ってもいい、地方再生する上で、もっと住みやすい支援をするとかさ、そういう流れになっていけばいいかな、とか。
那 壮大な話になってきたけど(笑)
岩 私はさぁ、あと3、4年したら、半分田舎に暮らして、半分都会暮らしをしようと思ってるのね。半分半分で移動できたらいいなと思っていて、そうすることでたぶん自分のバランスが取れる感じがしていて、半分は自然にゆだねて生きる? リズムをつかむため。半分は今までの仕事とか、やっていることというのを完全に切り離すこともできないし、それはやりたくないことではなく、やっていきたいことだから、そういうバランスを取るには、自分が身を置く環境を考えてあげるというのはすごく大事だなぁと思っていて。
那 環境を自分で変えていくというのも一つの手だよね。
岩 そうそう。環境を変えるって電磁波まみれの都会とか、そういうところにいてると、レイキ的な考え方でいうと、そういう波動に共鳴しやすい法則で、類は友を呼ぶじゃないけれども、引き合いやすい。みんながやっているからやらざるをえない。そういうのに巻き込まれるというはあると思うねんね。
那 競争に巻き込まれるということね。
岩 うん。環境がちょっとでも変わることによって、その巻き込まれ感から少し回避できるというのは一つあるかな、みたいな。
●レイキをやっているからエゴがなくなるわけではない
那 人間って本来、生き物なんだから、肩書きとか年収とか、いろいろなものを背負って競争ばかりしているんじゃなくて、昔のネイティブアメリカンみたいに宇宙を感じて、木の実食べたりしてさ、神秘的な交流したり、もっとナチュラルにあんまりとどめないで、レイキじゃないけれど、エネルギーが循環しているから生き生きできるというところがあるのに、積み重ねて積み重ねて私すごいんだ、見てくれって世界に生きていると、一度失敗するとその積み重ねてきたものが重荷になってしまうというか、自分を押しつぶしてしまう。
岩 そうやなぁ。
那 あるいは自分を攻撃してくるものに転じちゃって、等身大の裸になれない。
岩 うん。
那 だから裸の自分っていのうは今の自分のテーマでもあるんだけど、等身大の自分でいいじゃんっていうのが、禅とかのものの見方にもつながってくるんだけど、無執着というか。遊んでるけどいいやん、みたいな。
岩 これが俺だぜ、みたいな(笑)
那 そこでかっこつけないで、無我とか何か言っていてもこんなもんだよってところで繋がれるというか、悟りとは、とかばっかり言っていても普段は違うわけでしょ? だからそういういろんなものを落としていったうえで裸の人間として交流する中で、そんなに重ね着しなくてもいいやん、という世界観というのかな?
岩 そうやなぁ。
那 そういうのがないと、私はこんなドレス着てますっていうことばかり言わなくちゃならなくなる。
岩 ほんまにそうやな、そう思うわ。
那 岩崎さんがやっている臼井式の伝統レイキはナチュラルさを重視するじゃない? 今、自分は詰まっているとか? そういう直感を養う。落としていくとかいうのは、いろんなやり方はあるとしても、一つ、日本人に向いているというのは感じたんです。神道的で留めないから、情報社会と真逆のベクトルがある。
岩 基本はね。レイキをやっていてもエゴを増幅させることもできるし、レイキをやっていたらエゴをもっとそぎ落としていくこともできんねんな。
那 うん。
岩 結局、宇宙の意志って、自分の意志とつながっていると思うねん。自分のエゴを増幅させたいと宇宙に放っていたら、じゃあ増幅したらという感じでどんどん重くなっていくし、エゴを落としたいねんってほんまに望んでいたら、やっぱりその、じゃあ落としましょうというね、落とさなあかんと気づくことが起こるだろうし、何か、結局、自分の意志がほんまのところどうしたいというのを放っていて。
那 自由意志だからね。
岩 そうそう。ただ体感しているというか、体現しているという感じねんな、と思うねんな。
那 レイキをやっているからエゴがなくなるとかそういうことではない。
岩 やっぱりエゴをなくしたいと自分が宇宙に望んでいるかがすごく大事で、本質的に。もっと私、レイキをやって有名になりたいとかさ、お金持ちになりたいとかさ、何かそっちの方にもし行っているとしたら、エネルギーというのはそっちに向かう。でもレイキをやってそんなことどうでもいいと思える人間になりたい、とほんまに望んでいるのか、いや、あわよくば有名になりたい、このレイキというものを通じて、と思っているのか。そこも紙一重に変わってくると思うねんな。
那 そうだね。
●他人からの承認の数で評価される時代
岩 子供の時からスマホが身近にあって、自分がいいねの数とかで評価される環境にあったら、自分の価値観というのが他人に評価されることで決まってくる。だからブランドもののバッグをいくつ持っているからすごい、というのもどんどんなくなっているやんか?
那 うん。
岩 他人の評価、この人すごい愛情いっぱい、優しい、優れているとか、成金ではなくって、そういうところの評価を求め出している? その人のあり方の評価を求めているというかさ、今、そこに時代がすごくシフトしているという気がするねん。
那 なるほどね。あったかい家庭持っていて、いいね、とか。
岩 そうそう。
那 リア充ってやつ?
岩 そう。好きなこと仕事にできていて、いいね、とかさ。こんな料理もできるあなた、いいね、とかさ。そんなに素晴らしい趣味に充実させていて、いいね、とかさ。その人のライフスタイルのあり方とか、人格のあり方を評価してもらう?
那 そうかもしれない。
岩 そこにどんどんいっているかなぁ、という感じがするね。
那 それは一見、成金でいいね、と違うように見えて、どこかで同じなのかもしれないね。そこで人から評価されて満足するわけだから。
岩 そうそう。だからその満足感が何で得れる時代になっているか。その価値観のシフトが起きている。
那 だから競争の原理がお金とかじゃなくて、他人からの承認の数になっているという時代なのかな?
岩 そうだよね。
那 SNSやっていないからその感覚があまりなかったけれど、そうかもしれない。
岩 きっとそうかなって。
●情報に違和感を感じる感性を磨く
岩 本も昔は簡単に出せなかったし、お金も必要だったけれど、今は本って簡単に安い金額で、在庫を持たずに誰でも出版できるみたいのがブーム化してきているというか、それも一つの承認欲求を埋めることにつながっているのかな、とか。
那 そうね、ブログの延長線上で、誰でも発信できるという流れが出版に及んでいる。だから出版にも当然、ネット文化が入り込んでいる。質の勝負ではなくて、「いいね」の数でその作品の良し悪しが評価されてしまう。アマゾンなら星の数とかさ。すごい文学作品よりもこの本の方が評価高いしいいのかな、とか。いいねがいっぱいあるもんね、とか。大衆の低きに流れる評価によって作品自体の評価が決まってしまう時代になると、何が本物で、何が偽物で、何がエゴを刺激する情報かというのがわかりづらなくなる。
岩 そうやね。わかりづらい。
那 情報の海から本物を見つけるというのが難しい時代。古典でも何でも、本物をたくさん見てきた人はわかるかもしれないけれども、最初からそういう時代に生きている子供たちは、非常に難しい。親もわかっていないし。
岩 そう、難しい。親もわかんないもん。だから子供に罪はなくて、親とか、その前の世代がそういうのがわかるセンサーを持つために何が必要かという時に、私の場合は自分の方法としてはただレイキという手段やねんな。
那 それをちゃんとやれば、そういう感性が養われる。ナチュラルなものとそうでないもの。違和感があるとか。自然の気につながるという感覚を養うレイキも一つのやり方になる。
岩 うん。
那 優れた文学作品とか映画を見たり、優れた絵とか陶器を見るのもそうだし、自然に触れたり、馬に乗るとか、土いじりするとかもリアルを感じる感性を磨くことになるのかもしれない。生き物に触れることもね。何でもいいと思うんだけど、ぼくなんかはボクシングとか好きだけど、同じ体重の男が裸で殴り合って、どっちが強いか結果が出るわけだからすごいリアルなんですよ。ごまかしが利かない。理屈では勝てなくて、リアルがあるから好きなんだけど、競馬だって、頭でイメージしていても現実は違うわけで。ぼくはギャンブラーだけど、思っていても現実は違うわけで、それですごい鍛えられたところはあるんですよ。おれはすべてわかったと思っても現実は違うわけだから、しっぺ返しが来る。勘違いしていたらちゃんと負ける。流れが見えていれば勝てる。現実から査定してもらえる? そういう場ってすごい貴重だと思うんですよ。
岩 わかる。感じることってちゃんとそこに答えがあるもんな。
那 そう、間違っていた時には間違っているという答えがあれば、勘違いしたままでは終わらない。だからリア充と思われている人で、あったかい家庭で、いいねが100個、200個あっても、本当はこの人愛がないんじゃない?とか、わからないじゃない? 本当のところは。逆に言えば、いいね、もらっていてもほんとは私だめなのかな? とかそういうことに気づけるリアルな場というのがもっとないと、勘違いしたまんまになってしまう。
岩 そうやなぁ。すごくネットの世界観にはまっていくと、やがてターミネーターの世界が来るのかなぁ、とか思う時がある。自分たちが死んで100年後とか、ターミネーターの世界になってるのかな、とか。
那 AI? コンピューターが支配している。マトリックスもそうだけど。
岩 私なぁ、もう支配されている時代に移行していると思うねん。
那 確かにね。
岩 個人情報なんか繋がっていたら丸出しだからさ。誰がどういう趣味を持っていて、どんな仕事をしていて、どんな友達がいて、どういう思考回路を持っていて、好みが何で、全部丸裸やんか。スマホを使っている人たちは。それが例えば行政とか裏社会に繋がっていてさ、この人こういう仕事でこういう趣味趣向だと思ったら、この人にこういう情報発信してこの人と会わせよう、と思ったら絶対にできるやん。不可能はないねんな。そうしたらその人の人生とか生き様をコントロールすることができる。情報さえ入っていたら。
那 マイナンバーで資産も全部管理してね。
岩 そう、全部。そう考えたら支配されていないように見えて、実は、全部裏から支配されて、誰と出会って何をするかというのも操られてしまう可能性もあるねんな。それを何か「そんなことされてたまるか」と思うんやったら、この手の平サイズの宇宙観からちょっとでも離れていかないと絶対にこれで支配されてしまう。
那 もう支配されているのかもね。原発のことでわかりやすかったけど。情報を信じているだけで染まってしまう。冷静に考えてよ、気持ち悪いと思わない?っていう感性がなくなってしまっている。
岩 そう、日本人は特に情報に染まりやすい。牛乳飲んだらあかんとなったらみんな飲まなくなるし、自分で研究したわけでも、身体で感じたわけでもなく、結局は情報やんか? その情報に染まったら、その情報をまた散布するわけやん? 情報の操り人形やな、と思うよね。
那 だからさっき岩崎さんとあるスピリチュアルな文章を読んでいて、ここはいい、ここはいい、あれ?ここは盛っちゃってないかなって。俺は人がこんなこと言っていたら嘘だと思うし聞かないな、とか感じて、そういうのにすごい敏感なんだけど、生理的に。そしたら岩崎さんも「ここはいらない」と言ってくれるからほっとするんですよね。同じ風に感じていたんだって。違う経験で来ているのに、なぜかここがひっかかるというのはナチュラルじゃない。美しい観念が盛られている。岩崎さんはレイキかもしれないし、俺はギャンブルとか内観とかかもしれないけれど、不自然な流れってあるんですよね。そういうのにすごい敏感であるっていうことは大事だけれど、その敏感さを養うのは難しい。正直、持って生まれたものもあるから。
岩 それはあるけれど、敏感さは私はレイキで磨けると思うねん。自分の生命力や治癒力を高めるということは、本来持っているセンサーを高めることだから。そうすると何でも通して信じるフィルターから、これはゴミだよ、これは通していいよというセンサーになってくると思う。
那 そういう教え方を岩崎さんができているから、そういう人がたくさんいればいいと思うけれど。
岩 そうでない人もたくさんおるからな(笑)
那 ネットとかでレイキとか見るとね、正直、こんな人の所に行きたくないなぁ、とかさ。
岩 わかるわかる(笑)
那 スピリチュアル系の仕事も来たことあるけれど、直感的に断ってしまったこともある。生理的に受け付けない場合はどうやっても無理だから。
岩 わかる。レイキの業界でも、波動が合う人と合わない人があるし、レイキをビジネスでただ売りにしている人もいれば、スピリチュアルの現実逃避に利用している人もあるし、いろいろやからな。
那 スピリチュアルってほんと怖いですよね。そういうところで、ちょっとしたことで、逆のベクトルに、エゴを肥大化させる方向にすごい行きやすいから。
岩 うん、行く。
那 スピリチュアル自体は嫌いじゃないのに、ナチュラルなエネルギーの感覚とか嫌いじゃないのに、いざネットとか見たら「ん?」って毛嫌いしていた時期があったんだけど、本来それはパワースポットじゃないけど自然の気みたいなもので、ぼくもよく神社に行くけど、人間の固体を超えたエナジーを感じるとか、それは誰でも持っているものなのに、何か必要以上に盛ってしまうというか。そういうのが多すぎちゃって。
岩 そうやなぁー。それがちょっと激しくなってくると宗教と名の付かない新興宗教みたいな会社であったり、団体であったり、そういうものになっていくのね。セミナーであったりとか。
那 それが一見、わかりづらい世の中になっているというか。
岩 結局、みんな共鳴するところに行くんだけどね。
那 有名になりたい人とか、お金持ちになりたい人はそこに行く。それを言ったらおしまいなんだけど。
岩 ちゃんちゃんでね。
那 でも、それとはもう一つ別のベクトルで、やっぱりそれは不自然なものじゃないか、とか、何かおかしいよ、とか、自然でないものを感じる感性とか、そういうものを磨くのは大事で。岩崎さんと俺が「これ、おかしいよね」と同時に感じたように、一見、きれいなことを言っているように見えて、エゴが入っているとか、観念入っているとか、わかる視点もあるわけじゃないですか? 好き嫌いとは別に。
岩 うんうん。
那 だからそういう視点を持つために感性を磨くとか、リアルに触れる場を作るとか、そういうことがもっと必要な時代になってきて、変な陰謀論とか、いろんな情報にさらされていく中で、違和感を感じることができるようになっていくかというのがこれからの、まぁ、教育とかね、大きな話になるけれど、メディアリテラシーというものの役割になっていくのかな、と。
●自分だけはきれいな場所にいられない時代だからこそ
那 何でもそうだけど、成功法則でも、スピリチュアルでも、エゴと結びついた時に変容してしまう。自分の首を絞めてしまうという原理を感じるんです。
岩 私、いつもいろんな情報を見て、常に我が身を振り返るんです。自分は大丈夫かな、とか。私は大丈夫、と思っているのが一番やばいからさ、だから明日は我が身くらいの気持ちを持って、自分は完璧じゃない、自分もそうなんねんで、という意識を持つのが私は大事だなと思っていてさ。
那 確かに。
岩 それぐらいの気持ちを持っていないといけない仕事を私はしているし、と思ってんねん。主婦で、普通に暮らしていたらそんなこと思わなかったけど。
那 多少、自分を厳しく見ておかないと。そういう情報にもたくさん触れるでしょ?
岩 そうそう。
那 ぼくも片足突っ込んだら、今まで興味も関心もまったくなかったのに、気づいたら足が取られていたり、くっついてくるものがあったり、苦しくなったり、これ外さなくちゃとか。観て、落としていかなきゃならない。誰もきれいではいられない。足を踏み込んじゃったらしようがないことで、何でもそうだけど自分だけきれいな所にいられないわけだからね、人間って。
岩 そうやねんな。
那 それは自分のせいではなくて、そういう世界ということなんです。
岩 そうやねん。私や那智さんが言うように自分らしくいることをすごく意識して、それをやり続けることが、逆に言ったらそれが仕事って感じやんか? 調和を持って生きるようにするとか、エゴが増幅されないようにするとか、情報に飲み込まれないようにする。それが仕事やから、逆に言ったら。だからすごくそこに対して、自分のずれというものに対して、周りも敏感に反応すると思うんだけれども、周りが反応するからそうならんようにするのではなくて、自分がレイキを通じてこれを社会にちゃんとした形で広げていって、これからそれこそスマホとかやりすぎでうつになったり、情報に振り回される人たちに、一つの方法論としてこういうやり方があると伝えようとする限りは、やっぱり自分自身が実践者であり、サンプルであることは必要であると思うねんな。被験者というかさ。常に自分を人体実験し続ける? 自分自身がまず自然体で、流れに身をゆだねていけるようにするためにも自分を厳しく見続けなくてはならない。
那 そうですね。常に余計なものを落とすために、自分自身を省みていくことが一番大事になる時代になってくると思います。今日はとてもざっくばらんに話せましたし、それこそ自然で、面白い読み物になると思いますよ。ありがとうございました。