アラスカ便り 第5回 アラスカ便り―北の果てに暮らす日々―
長岡マチカ(文化人類学を学び、現在、アラスカ在住)
「光のコラージュ」
西の空の太陽が辺りを紫色に染める頃、両手いっぱいにケーブルを抱え外に出る。等間隔に小さな電球の並ぶその白いケーブルを、軒下にいくつか突き出す釘にひっかけていく。右の端から左の端まで白い管が家屋の輪郭をなぞる。子ども達は電球のついた杭を雪の中に突き刺す。杭を繋ぐ黒いケーブルが紫がかった雪の上をまっすぐ這っていく。白と黒の管の先端を玄関脇のコンセントに差し込むと、闇に覆われつつある視界がパッと照らされる。眠りかけていた空気が一気に踊り始めたようにも見える。冬至近くのアンカレッジは一日のほとんどを暗闇の中で過ごす。家々を飾る色とりどりの小さな光がそんな闇の中の街をほのかに照らしてくれる。
11月の感謝祭が終わると、窓際にクリスマスツリーの電飾が輝く家も多く見られ始める。メディアからはクリスマスキャロルが流れ、店先にはサンタやトナカイのモチーフが赤と緑のオーナメントに彩られている。クリスマスには毎年ネイティブ・アメリカンの友人から電話をもらう。「メリークリスマス!キリストの光が世界を照らしますように!」明るい真摯な友人の声を聞きながらクリスマスという行事の由来を思う。近所には馬屋でのキリスト生誕の情景を描いた蝋人形を並べライトアップする家々もいくつか見られる。今はほとんどがクリスチャンのネイティブ・アメリカンの友人にクリスマス・イブのミサへ連れて行ってもらったこともある。祭司の立つ教会の祭壇にはたくさんのろうそくが揺れ、透き通った賛美歌が響き渡っていた。
クリスマス一色の店先。それでもよく目を凝らすとここ何年かは青色を基調としたユダヤの祭ハヌカの飾りが並べられた小さなコーナーがちらほらと設けられようになった。よく知らない相手に対しては「メリークリスマス!」でなく「ハッピーホリデイ!」という言葉をかける人々も増えてきている。子ども達も公立の小学校でクリスマスキャロルの他にハヌカの歌や、アフリカン・アメリカンの祭クワンザについて習ってきたりする。
ユダヤ暦にのっとったハヌカ、毎年ちょうど街がクリスマスムードで盛り上がる時期に8日間続けて行われる。日の入りと共に8日間毎晩ろうそくに日を灯すことから「光の祭」とも呼ばれている。ユダヤ人の友人宅でハヌカの祝いに参加させてもらったことがある。ろうそくの炎がゆれる中、2000年以上前の出来事、エルサレムの寺院に残されたほんの少しの油で8日間ろうそくの炎が燃え続けたという奇跡のストーリーが語られる。玉ねぎとポテトを揚げたものやドーナッツなどの油を用いた料理に舌鼓をうちながら、ヘブライ語の文字の書かれた独楽を回しチョコレートのコインをやりとりするゲームを楽しむ。隣で友人が言う。「周りには奇跡の光が溢れているのよ。私達が今こうしてここにいるのも奇跡」
12月の街の賑わいを離れ、山の中に自身で家を建てランプやろうそくの炎で生活する友人宅でホリデイを祝ったこともある。暖炉の薪がパチパチと音を立て、手の中のグラスには手作りのベリー酒が揺れていた。祭の名前には触れずとも、ゆったりと静かに年の終わりの空気に身を浸す。ランプに油を差しながら友人が言った。「私はこの冬至の時期が好き。溢れる光と闇のコントラスト。闇に覆われているからこそ光の源が分かるのよ」
ささやかなライトアップを終え、すっかり暗くなった屋内へ戻る。ダイニングテーブルの真っ白なろうそくに火を灯す。闇の中に子ども達の顔がオレンジ色に照らされている。「部屋を一瞬の内に隅々まで満たすものって何か分かる?光なんだよ」長男がどこかで聞いたのだろうなぞなぞを口にする。様々な場を様々な形で満たす光を想う。窓へ目をやると、半月が雪の表面を青白く照らし出していた。