アラスカ便り 第4回 アラスカ便り―北の果てに暮らす日々―
長岡マチカ(文化人類学を学び、現在、アラスカ在住)
「雪は今も降り続いている」
ベッドの上で目を覚ますと、まだ日の昇らない窓の外がいつもより明るい。外気を吸い氷のように冷たくなったガラスに顔を近づけ、昨日までの色とりどりの風景が白一色に変わっているのに気がつく。道端のトラックも、庭の三輪車も、向かいの芝生も、山を覆う針葉樹も、元の色は何だったかと首を傾げるほど真っ白に塗り替えられている。春まで溶けることのない雪。一年の半分ほどをこの白さに囲まれ過ごすことになる。
その雪の白さも空からの光によって様々表情を変えることがある。朝焼けが白い尾根を赤紫色に、夕日が白く起伏する針葉樹の森をオレンジ色に染めていく。月明かりの降り注ぐ雪は長い夜の闇を青白く照らし、雪雲に覆われた昼間には大地と空との境界が曖昧となり銀色が立ち込める。真っ青に晴れ渡る日には陽光の照りつける地面から金色の光が立ち上る。上からも下からも差す光、あたり一面眩しい白金色に包まれる。移り変わる雪の情景は、見渡す限りに広げられた真っ白なスクリーンに、光のグラディエーションが映し出されていくようでもある。
今年の11月のアラスカは記録的な寒さだった。内陸部ではマイナス40度まで下がり、例年に比べ雪も多かった。雪をかいた玄関先も、踏み固めた足跡も、しまい忘れたスコップも、作りかけた雪だるまも、朝目が覚めると跡形も無くなだらかな隆起に覆われている。まるで毎日リセット・ボタンを押したかのように、前の日の軌跡がサラサラとした新雪の下に消えていく。
雪の降り続くなか、今年も感謝祭の日がやってきた。毎年11月4週目の木曜日に北米で祝われるこの祭、ヨーロッパとネイティブ・アメリカンの収穫祭を起源とし、収穫と共にヨーロッパからの航海の無事、殖民の成功などに感謝を捧げるため17世紀から祝われ始めたと言われている。20世紀半ばに「国の祝日」となった感謝祭には学校も公の機関も全て休日となる。
感謝祭の料理は七面鳥の丸焼きがメイン。今年の七面鳥は前日にローズマリーとセージとタイムを浮かべた塩水につけておいた。いよいよ焼き始めるという祭当日の朝、羽の付け根から空洞になった腹の中からザラザラとした皮の下まで、ハーブを混ぜたバターを塗りこんでいく。七面鳥の重さとオーブンにいれる時間の関係を示す表を見ながら、宴の始まる4時間前に焼き始める。宴の直前、表面にこんがりと焼き色をつけるためそれまでかぶせておいたホイルは取り外して。
何年か前、知り合いに招かれた感謝祭の席でネイティブ・アメリカンの友人と隣り合わせに座ったことがある。多くのネイティブ・アメリカンの犠牲の上に成り立った開拓殖民、感謝祭に複雑な思いを抱く人々もいる。穏やかな微笑を浮かべながら隣で七面鳥を頬張るその友人に、私自身感謝祭にどう向き合っていけばいいのか少し戸惑っている、と話しかけた。彼女は穏やかな表情のまま私の目を見つめると、こう言った。
「私はね、『感謝』にフォーカスするの。前からいた人々も、後からやって来た人々も、共に『自分たちを超えた何か (something beyond ourselves)』 に感謝する日。『クヤーナ(quyana)』(彼女の言葉ユピック語で『ありがとう』)とね」
彼女の言葉を思い出しながら、オーブンから七面鳥を取り出す。背中部分に濃い黄金色の光沢が貼りついている。どうやらうまく焼けたようだ。玄関のチャイムが鳴る。扉を開けるとシャンパンとパイを抱えた友人家族が笑顔で立っている。「ハッピー・サンクスギビング!」明るい声が夕闇に響く。
友人達を迎え入れると、雪の中に冷やしてあったワインを取りに出た。雪道には残されたばかりの足跡がいくつも連なっている。しばらくすれば柔らかな雪がまるで誰も足を踏み入れなかったかのように表面を滑らかに整えていくだろう。ふと降り続ける雪の中に、あのネイティブ・アメリカンの友人の静かな眼差しを見る。
「クヤーナ・・・」、そっとつぶやいてみる。真っ白な吐息が月明かりに照らされいくつもの小さな結晶を散りばめたように光っている。雪は今も静かに降り続いている。