ぐるごっこ 番外編 自己啓発セミナー体験記(1)
高橋ヒロヤス
あれは僕が学生だったころ。もう20年以上前の話になる。
当時一部の世界で流行りだった「自己啓発セミナー」を受けたことがある。
自己啓発セミナーというと、当時から一般的にはかなり胡散臭いイメージが付き纏っていた。確かに、やたら高額な受講料を要求して、宣伝や勧誘活動に力を注いでいるグループがいくつも存在したことは事実だ。しかし中には、地道にコアなメンバーを募っている少人数のグループもあった。
そのグループには、官公庁のエリートや、誰もが知っているトップ企業のエリート候補生が数多く参加していた。
そんな、当時一介の学生が加わるには場違いな、どちらかといえば閉鎖的なグループに参加できたのは、とある知人を介してだった。当時の自分はスピリチュアルな分野に関心はあったが、組織的な活動や集団的なセミナーは忌み嫌っていたから、知人に誘われた時にも本気で関わる気はなく、受講したのは専ら好奇心からだった。
もともとあの系統のセミナーは、米軍でベトナム戦争から戻ってきてメンタル的に問題を抱えた兵士たちを日常生活に復帰させるために開発されたものだという。
自分の受けたセミナーもアメリカ発で、某カリスマ・トレーナー系のグループが分化したものの一つらしかった。
そこに参加した人は、ほぼ全員が、自分の人生に新たな動機づけが与えられたような気分になると言われていた。働きすぎて燃え尽き症候群に陥っていた人や、生きることに退屈して軽いうつ状態にある人々も、セミナーの参加後には、見違えるように生き生きと日常生活を送れるようになり、職場でもますますリーダーシップを発揮できるようになる、という評判だった。
いささか先回りして言えば、そのセミナーで用いられた手法の多くは、事実、効果的なテクニックだったと思う。多少のアレンジを加えれば、今社会問題化している「引きこもり」対策になるのではないかとも思えるくらいだ。
「セミナー」の参加者は、男女比は7:3くらい。男性は、先ほど書いたように、官公庁や企業のエリート戦士みたいな人から、定年退職後の年配者、自分のような学生まで幅広かった。女性はみな若く、大企業に勤めるキャリア・ウーマンから芸能界で働く人まで多様だった。
セミナーの内容について詳細は述べない。理由の一つは、内容を第三者に公表することを禁じる条項が受講契約に含まれていたためである。もっとも、20年以上の前の話だし、セミナーについての知識も流布している現在では、実害があるとも思えないのだが。二つめの理由は、セミナーの内容そのものよりも、それを成立させている要素や背景にこそセミナーの核心が含まれているからである。これについては後述する。
約3日間にわたるセミナーの間には、参加者が少人数のグループに分かれて、「話し合い」をする時間が設けられた。「話し合い」とはいっても、実質的には個々人の「独白」に近く、周囲はそれにただ耳を傾けるだけ。何が話されても、決して批判してはならないというのがルールだった。個々人が可能な限り自分と向き合い、徹底的に自分の人格を曝け出すことが求められた。
かなり以前のこととはいえ、公にすべきでないプライバシーに関わる事柄が含まれており、この文章から個人が特定されるようなことがあってはいけないので、詳しいことは書けないが、そこで語られる内容には衝撃的なものが少なからずあり、その多くは、いわゆる年少期のトラウマに関することだった。
セミナーが終了すると、参加者は今後少なくとも他の2名のメンバーと定期的に連絡を取り合うよう求められた。その趣旨は、セミナーで体験した「非日常」の感覚や思考が、日常生活の中で鈍磨し消滅しないよう、仲間どうしでサポートし励まし合うというものだった。
組み合わせは、くじ引きによって決められたが、今思えば、ランダムのようでいてそうではなかったのだろう。自分は、ある女性と連絡を取り合うことに決まった。通常は二人なのだが、なぜか自分が連絡すべき人はその女性だけとされた。
セミナーの終了時には、参加者のほとんど全員が、ある種の高揚感と満足感に包まれているように思われた。それは「カルト的」とか「宗教的」と表現できないこともなかった。
だが、「彼ら」には押しつけがましさや独善的なところはなかった。少なくとも、狂信的な団体が持つ危険な要素は感じられなかった。事実、僕は彼らの多くが今でもきわめて「常識的な」市民として「健全な」生活を送っていることを知っている(いちいちカッコ付きで書くのが僕のいやらしいところだ)。
しかし、僕自身は周囲の出来事に対して最後まで違和感を抱えたままだった。「ポジティブ」に変容していく仲間たちを見ながら、どうしても醒めた見方を手放せない自分がいた。
セミナーを受けているときの様子から伺うと、自分と連絡を取り合うことになった女性も、そんな醒めたところがあったように思う。だからこそ、ペアに選ばれたのかもしれない。
正確な年齢は知らなかったが、彼女は自分より少なくとも10歳は年上だった。ある芸能事務所でモデルやタレント管理の仕事をしているということだったが、彼女自身がモデルをしても通用すると思えるくらい美しかった。
僕は、彼女のある種この世離れしたような美しさと共に、セミナーの間に彼女の口から淡々と語られた身の上話の内容に軽いショックを受けていた。とはいえ、彼女に特に興味を持ったわけでもなく、これ以上積極的に知り合いたいとは思っていなかった。
当時の自分が異性として意識するには彼女は余りにも「大人」すぎた。
そういうわけで、こちらから連絡を取ることには若干の躊躇があったが、連絡しないというのもおかしいので、1週間ほど迷った挙句、先の見通しがはっきりしないまま、知らされた連絡先に電話をかけることを決意した。
彼女は僕からの電話に、意外なほど明るく屈託のない調子で対応してくれた。僕から連絡が来ないから心配していたとも言った。
二人でまともに話すのは初めてだったので、その時の会話は今でもなんとなく覚えている。
「(僕が)もう連絡しないと思いました?」
「う~ん、・・さん、なんとなく醒めた感じだったから、やめちゃったのかなって」
「・・さんは、どうですか?」
「私も正直、あの雰囲気に馴染めなかったみたいです。なんか違うなっていうか・・・」
「僕もそうなんですよ、実は・・・」
「ひょっとしたら、私たち、“脱落組”だって思われたんじゃない?(笑)」
「そうかもしれませんね~(苦笑)」
セミナーの同志としてあるまじき会話を交わしながらも、とにかくどこかで会いましょうかという流れに自然になっていった。連絡メンバー同士は、直接会って、セミナーの中で取り上げられたテーマについて話し合うことになっていたのだ。
セミナーには、家族に内緒で参加する人もいる。自己啓発セミナーというものに対する世間一般のイメージを慮って、できれば知られたくないと思うのだろう。そもそも家族関係に問題を抱えている人も結構いた。
彼女はどうなのだろう? 話しているうちに、次第に彼女に対する関心が高まってきた僕が、それとなく探りを入れると、意外な答えが返ってきた。
「娘と二人暮らしなんです」
ますます興味がわいてきたが、あまり長電話も、と思い、とりあえず待ち合わせの日時と場所だけ決めて電話を切った。
待ち合わせたのは、上野駅前の、今はもうなくなってしまった方の「聚楽」だった。
平日の夜で、彼女は仕事が終わって直接来るとのことだった。今のようにお互い携帯は持っていない。
セミナーで与えられたテーマについて話し合うという建前ではあったが、そっちの意識はもはや薄れきっていた。綺麗な大人の女性と夜に待ち合わせ、というだけで舞い上がっていた。
その日の決して忘れられない出来事は、彼女に娘の家庭教師を頼まれたことである。
すっかりセミナーそっちのけの会話が続いた後、彼女がこんなふうに切り出した。
「あの子、学校の勉強に全然身が入らなくって。前から家庭教師をつけたいと思っていたんですけど、もしお厭でなければ・・・」
大学生にとって家庭教師のバイトほど割のいいものはない。僕も入学当初から何件かやっていたが、たまたまその時点では何も入っていなかった。
二つ返事で引き受けたのは言うまでもない。
娘は中学3年生だという。普通なら必死で高校受験に取り組む時期だが、中高一貫のため、受験勉強は必要ない。その代り、単位不足で留年しそうな勢いらしい。
20代と言っても十分通用するであろう、こんな女性に、中三の娘がいるというのもちょっとした驚きだった。しかし、僕が彼女からセミナーで聞いた境遇を考えると、なんとなく納得もできるのだった。
ここから、彼女(母)の方をTさん、娘の方をRちゃん、と記すことにする。
Rちゃんは、Tさんに似た美少女で、確かに勉強はダメダメだった。頭は決して悪くないのだが、まったくやる気がない。宿題を出しても、決してやってこない。
Tさんは、「厳しくやってください」と言うのだが、僕にはどうしても厳しい態度というのが取れず、女の子の扱いに慣れていない僕は、逆に手玉に取られている感じだった。
休憩時間には、彼氏とのプリクラ写真を見せられながら、もっと男としての魅力を磨かないとモテないよ、などとダメ出しされる始末。
挙句は、「どっか遊びに連れてってよ」とねだられ、一緒に遊園地に行くことを約束する。
一方、Tさんは、毎週訪問する度に、やけにお洒落な格好で出迎えたり、終わったらご飯を作ってくれたり、こちらが勘違いしそうなほどの好意的な態度を見せた。
自分は、言ってみれば、本能ではRちゃんを求めていたが、人間的な部分ではTさんに魅力を感じるという状態にあった。
そんな日々が3か月くらい続いたのだろうか。
何度かデートして、血迷っていた僕は、Rちゃんに告白して、振られた。
相手は高校1年生になったばかりである。正直とんでもない馬鹿だったな、と今となれば思う。しかし、それなりに真剣だった僕は、今思い出しても憂鬱になるほど酷く落ち込んでしまった。
もう家庭教師は続けられないと思い、「別のバイトが入ったから」と見え透いた理由をつけてTさんに断わりの電話を入れた。
Tさんはあっさり承知してくれた。もともと僕の「指導」に期待などしていなかったのだろう。Rちゃんから事の顛末を聞いたのかもしれない。
しかしTさんの次の一言には不意打ちを食らった。
「今度、娘のいない時に、家にいらっしゃいませんか?」
「え?!」
「お話したいことがあるので・・・」
僕はどう対応していいか分からなかった。
Tさんが僕のことをどう思っているのか、どんな感情から出た発言なのか。
Tさんが僕に好意を寄せてくれているらしいことは言動の端々から感じていた。でもそれは、娘の家庭教師としての僕に対するものであって、それ以上のものではない、と思っていた。
それでもなんだかある種の期待感と異様な緊張感がないまぜになった感情に襲われたことは否定できない。
電話で告げられた平日の昼間、彼女の家に行くと、Tさんは戸口でとても明るく迎え入れてくれた。
僕がその場で、自分の都合で家庭教師を辞めることになったことに謝罪の意を告げると、Tさんはそんなことは全然問題にしていないようだった。
自分が驚いたのは、リビングに通された時、そこに一人の男性が座っていた事だった。
その人物の顔には見覚えがあった。彼もあのセミナーを一緒に受けていたからだ。
続く
(註)この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。