アラスカ便り 第2回 アラスカ便り―北の果てに暮らす日々―

長岡マチカ(文化人類学を学び、現在、アラスカ在住)  

『おはぎを頬ばり、空を見上げて』


アラスカ州最北端の町バローでは夏の間日が沈まない、逆に冬には日が昇らない。一日中光の中か一日中闇の中、そんな日が一年の半分ほどを占める。バローから千キロほど南に下がったここアンカレッジでは、白夜こそ見られないが一年を通しての明るさと暗さにはやはり圧倒的な違いがある。夏には真夜中まで日が沈まないのに対し、冬には昼食を終えしばらくすると夕焼けが辺りを染め始める。夏は眩しさの中で外を駆け回り、冬は月明かりの中暖炉の?に温まる。日照時間は夏至を境に一日五分ずつ短くなっていくのだけれど、その規則正しさも九月に入るとまるで闇に向かって加速しているかのように感じる。冬へのカウントダウン、街には人々の決意のようなものが漂い始める。

九月終わりになると朝食を用意する頃でもまだ暗い。朝からテーブルの上にキャンドルを灯してみる。湯気の上がるポリッジを口に運びながらまだ半分寝ぼけた顔をした子どもたちの頬を、窓の外から徐々に差し込む朝日が照らしていく。玄関を出ると芝生は霜で真っ白。車を走らせる前にはまずエンジンをかけ車窓の霜を解かす必要もある。日の光が空に満ちる頃になると、もうすぐ裸になるだろう木々が最後の輝きを放ち始める。頂にうっすらと雪をかぶった山々を背景に、辺り一面黄金色に。

そんな秋の終わり、日本人の友人たちと「おはぎ」を作った。遠く離れた日本ではちょうどお彼岸の時期。一晩水につけた餅米を炊く。炊飯器の蓋を開けると目の前が真っ白。まるで朝玄関の扉を開けたときのように。餅米をボールに移し、どっどっ、どっどっ、と突く。一口で食べてしまうにはちょっと大きすぎるくらいに丸め、煮ておいた小豆で包んでいく。

日本にいた時分は当たり前のように通り過ぎていた行事、こうして北の果てにいながら共に祝える友人たちの存在がありがたい。自分たちの手で行事の形を整えていくうちに、改めてその意味や由来は?などという興味も湧いてくる。お彼岸は日本だけの行事だと聞く。梵語『波羅蜜多』の訳『到彼岸』を略した言葉を元にしていて、仏教の世界では『彼岸=あちら側』即ち『悟りの境地』に到ることを見つめ直す日ともされているという。昼と夜がちょうど半分になる時期、光と闇とが半分となり彼岸へ至るにはちょうどよい時期だとされてきたようだ。

学校から戻りおはぎを頬張る子どもたちにそんなお彼岸についての説明をしてみる。

「あちら側に着くと、もう悩みや苦しみや悲しみなんかもなくなるって考えられててね」

「ふ~ん。今日がそのあっち側に行きやすい日ってこと?」

「あちら側を思い出すのに最適な日ということみたいだね。でもこの日だけあの日だけとか、ここだけあそこだけとかいうのではなくてね、あちら側っていうのは実は一人一人の内にいつだってあるものなのかもしれないね」

「ふ~ん。何だか分かるような分からないような」

「こうやっておはぎみたいに手にとって触って、というような話じゃないものね」

「そっか。おはぎおいしいね」

「あちら側はあの世でもあると考えられててね。おはぎはあの世に一番近いとされるお彼岸の日に先祖にお供えするためとされてきたのよ」

「先祖? 僕たちの先祖は世界中に散らばってるね」

「人のDNAをたどっていくと元はひとつと言われているよね。枝分かれした先にママやあなたたちがいるんだろうね」

「元をたどると皆同じなのかな、大きな木の幹みたいに」

「そうね、あちら側で皆ひとつになっているのかもしれないね」

白い正方形の皿におはぎを並べ、窓のそばにそっと置いてみる。そして西の空に浮かぶ太陽のその赤さにはっと息を呑む。人々が真西に沈む太陽を見、遙か彼方の浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりだったという。黄金色だった葉は夕陽に照らされ今は赤みがかったオレンジ色に。闇の広がりつつある空を見上げると、一番星が輝いていた。