ぐるごっこ 番外編 自己啓発セミナー体験記(3)

高橋ヒロヤス  

TさんとKさんが僕を家に呼んだ目的は、確かにセミナーとは直接関係がなかった。


Tさんの語るところによると、Kさんはあるビジネスのアイディアを持っているのだが、国家公務員である彼が民間企業に加わったり事業を始めることはできないので、誰かに彼のアイディアを元にしたベンチャービジネスを委ねたいという。


そのビジネスモデルについてKさんが概要を説明した。社会人経験のない当時の僕にはよく分からないことも多かったが、簡単に言えば、来るべき超高齢化社会に備えて、これから増え続ける老人(シニア世代)に向けた情報発信サイトを作ろうというものだった。そのサイトを基盤にしてシニア向け商品開発や販売、老後の生活相談、相互交流事業などを行っていくという。


要するに、高齢者向けのインターネット・ポータルサイトを作ろうというアイディアであり、今でこそ平凡な企画に聞こえるが、当時はインターネットそのものが今ほど普及しておらず、まして高齢者がパソコンでネットにアクセスすることは珍しかった時代であり、なかなか野心的で斬新なアイディアに思われた。


僕が呼ばれた目的は、そのベンチャー企業立ち上げの発起人(の一人)になってほしいというものであった。今でいうIT社長とかなんとかの類いである。青年実業家というのは自分から最も遠い世界の存在だと思っていただけに、Kさんの申し出には面食らうしかなかった。


Kさんには十分な勝算があった。その最大の理由は、Kさんが霞ヶ関のベンチャー企業育成部門で仕事をしていたことだ。彼はその分野で日本で最も情報を握っている人物の一人であり、どうすればこの国でさまざまな規制の網をかいくぐってベンチャー企業が成功できるかを熟知していた。


もちろん公務員である彼が利害関係者になることはできない。だからKさんは一切出資はしないし、無報酬のアドバイザーとして関わることもない。単にアイディアとヒントを提供するだけだという。


Kさんは発起人のメンバー候補に、僕を含めて3人を選んだ。3人ともセミナー受講生である。僕以外の2人の名前を告げられた時には、誰の事か分からなかったが、後に一度Kさんの手引きで顔を合わせて、セミナーで見おぼえがあったことに気付いた。


一人はW君といって僕と同い年の学生だった。物静かで考えを表に出さないタイプだが、体格がよく威圧感のある外観で、何とも言えない存在感があった。


もう一人はU君で、いつもニコニコしていて人当たりがよく、感激屋で、セミナーでは誰よりもよく泣いていた。セミナーの最終日には、参加者がお互いにハグして涙を流す光景が一種の儀礼化していたのだが、U君は中でもひときわ目立っていた。そこら中の人と抱き合い、顔をくしゃくしゃにして健闘を讃え合っていた。僕がU君のそんな姿を醒めた目で見守っていたことは言うまでもない。


今になって思えば、全く異質の個性を持つ3人を選んだKさんの意図は分かるような気がする。


社交的でコミュニケーション能力の高いU君には営業の仕事、威圧感のあるW君には押しの強さが必要な場面での仕事が適任であることは分かったが、これといって目立った個性のない自分には何が求められているのか、よく分からなかった。単なる後輩のよしみというには余りに何の面識もなかった。


色々ないきさつはあったが、結論を言うと、僕はKさんの誘いを断った。U君もW君も人間的には好感が持てたし、ビジネスの話も面白そうだとは思ったのだが、例によって「考え過ぎ」の虫が邪魔をしたのかもしれない。


U君もW君も「アドバンス・コース」を受講していた。その事を知って僕は、発起人への誘いは、結局は形を変えたセミナーへの勧誘行為だと感じた。成り行きで再びセミナーの世界に引きずり込まれるのが嫌だった。


後日談を書くと、断った僕の代わりに発起人になったY君というメンバー(僕とは面識なし)らの3人で立ち上げた会社(仮にSC社としておく)は、ベンチャー企業として高齢者向けポータルサイトの運営や高齢者向けマーケティングの分野でめきめき頭角を現し、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだった。U君とW君は取締役となり、都心に立派なオフィスを構え、社長になったY君はしばしばテレビにも登場する若手のカリスマ経営者として一部では有名な存在にもなった。


ところが、上場して間もなく、悪質な粉飾決算の事実が明らかになった。会社は上場廃止され、取締役の3人は辞任し、会社及び株主から訴訟を提起されるという結果に終わった。この間の経緯は非常に興味深く、それだけで優に1冊の本ができるだろうが、本筋から外れるのでこれ以上は書かない。


会社の話を断った後も、Kさんとは何度か会った。その度にやはりセミナーの話になったが、もう露骨に「アドバンス・コース」への勧誘をしてくることはなく、むしろ「人生の意味」などを巡る抽象的な議論になることが多かった。


そのうち僕は自分の中で「霞ヶ関訪問」などと銘打って、Kさんの職場近くの喫茶店や食堂で定期的にKさんに会うようになっていた。就職についてアドバイスを受けるという建前で、実際には下に述べるような変な議論ばかりしていた。確かにKさんも相当な変わり者だった。


社会人になって久しいKさんが、いまだに青臭い議論を自分のような青二才と真剣に行ってくれることに好感を持った。Kさんは物事を突き詰めて考えるタイプの人だった。Kさんがセミナーを受けたのは「人生に意味を取り戻すため」だったというのは前に書いたが、セミナーによってもまだ満たされない心の隙間がKさんの中には存在しているようだった。


Kさんは、少し後に流行することになる「まったり革命」とか「終わりなき日常を生きろ」といった考え方を忌み嫌っていた。それは最終的にはニヒリズムしかもたらさない。自己肯定という名の堕落した文明を生みだすだけだ。


「『どうせ人生に意味なんかないさ』という相対主義がポストモダンとか何とか言って持て囃された時期があったけれど、結局人間は意味を求めざるを得ない生き物だと思う。・・君は人生の意味についてどう考えているの?」


「人生に意味なんかないというのはある意味では真実だと思います。というのも、人生から離れて抽象的な『意味』などというものは存在しないからです。それは単なるイメージであり、観念にすぎません。人生に意味を求めようとするのは、その人のあるがままの生活がどうしようもなく退屈なので、そこから逃避しているだけなのではないでしょうか。セミナーも宗教も逃避のための手段にすぎないのだと思います」


「そういう考え方は結局ニヒリズムに至るんじゃないのかな」


「ニヒリズムというのもエゴの逃避の一形式です。エゴを満足させてくれるような「意味」を人生に求めるのも、意味なんかないと開き直るのも、共に自我の反応でしかありません」


「自我の何が悪い? 自我の改善や満足を求めることの何がいけない?」


「善悪の話ではなく、単に事実を述べているだけです。自我の満足を求めることは苦しみを生みだすだけです。自我の満足というのは不可能を求めているのです。そして自我の改善によっては苦しみは解決されないのです」


確かに当時の僕は「クリシュナムルティ原理主義者」のようなところがあった。


Kさんは独身だったが、僕が当初勘繰ったようにTさんと付き合っているわけではなさそうだった。KさんとTさんの関係は僕には謎だった。僕自身は、Rちゃんに振られた後は、Tさんに好意以上の感情を持つようになってしまい、内面で葛藤が続いていた。


Tさんは当時の僕から見て「大人」で、クールで、何を考えているか掴めないところがあって、そこがまた神秘的で魅力的だった。一度好きだということを自覚してしまうと、寝ても覚めても頭からTさんのことが離れなくなった。それまでは煙草を吸う人が嫌いで仕方がなかったのに、彼女が煙草を吸う仕草にすら惹かれた。


Tさんとの接触を何とか続けるために、Tさんが働いている芸能事務所でバイトさせてもらったりもしたが、マネージメントの裏方の仕事がきつくて短期間で辞めてしまった。そんな不甲斐ない部分をTさんに見られたことに自己嫌悪に陥ったりもした。要するに「あるがまま」の自分は、『自我の終焉』(クリシュナムルティの著書)どころか、自意識の泥沼の中でひたすらあがいているだけだった。


そんなある日、Kさんが意外なことを口にした。


「実は僕はセミナーを辞めようと思っている」


Kさんはセミナー団体で重要な位置を占め、新メンバーの勧誘という活動に従事する一方で(彼はセミナー団体から報酬を受け取ってはいなかった)、個人的に瞑想などを実践していたという。が、本格的に修行するためには世俗的な生活を捨てて出家する必要があるというのだ(本当に出家するわけではなく、その位の覚悟をもって修行するということだ)。


僕はKさんがそこまで求道的なタイプだとは思っていなかった。Kさんは物事を突き詰めて考えるタイプなので、ある種の危険性も感じた。そもそも僕はKさんに「修行」することの無意味さをクリシュナムルティに倣って力説してきたのに、Kさんにはどうしても理解してもらえなかったようだ。


Kさんが「修行」するために加わったグループは、まもなく誇大妄想的な集団殺人計画を実行して日本中を揺るがせることになったカルト教団Aではなかった。


そのA教団については以前の「ぐるごっこ」でも書いた。教団幹部と長時間の論争をしたこともあるが、彼らの偏狭さや彼らの「グル」の卑俗な印象は僕に嫌悪感を抱かせただけだった。


Kさんが加わったのは、ある意味で、もっとコアでディープな集団であった。


つづく


(註)この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。