ぐるごっこ 番外編 自己啓発セミナー体験記(4)

高橋ヒロヤス  

今から思えば、Tさんはお笑い芸人の鳥居みゆきに似ていた。もちろん性格ではなく外見の話だ。その事に思い当たったのは、彼女が世間で有名になってしばらくしてから、ある写真を見たときだった。その写真には、普段は気違いキャラで売り出している鳥居みゆきが、とてもクールな表情で映っていた。


次第に、Tさんの性格は、クールという言葉では片づけられない、ある種の超然とした冷静さがあることが分かってきた。普通の人なら感情的になる場面でもまったく動揺を見せなかった。その反面、とても細やかで人の心に敏感だった。敏感を通り越して、まるで人の心の中を読んでいるように思えるときがあった。


自己啓発セミナーで、彼女が幼少時のある体験を語るのを聞いた。――夢の中で、自分の知らない家族に囲まれて過ごした。とても懐かしい感じがして、目が覚めて両親にその話をしたら、両親の顔が急に冷たくなった。


成長して、高校生の時に、自分が養子であることを知った。実の親の行方は分からなかった。そのことを養親に告げられる前から、何となく気づいていたが、敢えて触れないでいた。


絵を描くことと彫刻が好きだった。美術大学に入学後、友人の誘いでモデルの仕事を始めた。でも、とても珍しいことに、そしてこの職業にとっては致命的なことに、多数の人に見られるという行為に快感や満足をまったく見出せなかったので、向いていないのだと思い、裏方の仕事に回ることにした。


以上は僕が直接Tさんから聞いた生い立ちだ。Tさんは自分についてあまり語りたがらなかったし、僕も聞くつもりもなかった。Tさんがなぜセミナーを受けようと思ったのかも、Rちゃんの父親が誰なのかも分からずじまいだった。


Tさんはもうこの世にいない。


数年前、知り合いを通じて、Tさんが亡くなったことを知らされた。その数年前に乳がんで入院したことは知っていた。


僕がTさんに最後に会ったのは、Kさんが通っていた、「道場」だった。


セミナー団体から抜けたKさんは、「修行」と称してその道場に通っていた。


僕はKさんから会うたびに道場の話を聞かされたので、実際に行かないうちからすっかり内情に詳しくなってしまった。


道場とはいっても、本格的な施設ではまったくなく、ある人物(その人は先生とか師という言葉を嫌っていたのでそういう称号で呼ぶことはしない)の元に、宗教的な悩みやら人生の問題やら「霊的な」相談事を抱えた人々が集ってきていると言うだけの、外見的には普通のアパートの一室だった。


団体としての形があるわけでもなく、単なる自主的な集まりという域を出ないささやかなものであった。


集まって来るのは大学生のような若い人たちが多かった。しかしそのタイプは、自己啓発セミナーで見た人種とも、過激な新興宗教のメンバーとも違う。


強制されることは何もなかった。自由に来て、去るのも自由だった。お金を求められることもない。時々皆で食べ物や飲み物(アルコール含む)を持ち寄って部屋の中で談笑する時に頭割りで負担する程度だ。


さて、そこで、この集まりの中心にいる人物について語らねばならないのだが、正直何と言ってよいか分からないところがある。


彼を仮にDさんとするが、Dさんは普段は近くの病院の夜警の仕事をしていて、集会場になっていたアパートの部屋の傍で親と同居していたらしい。「らしい」と書くのは、実際に誰もそれを確かめたことがないからだ。


Dさんの年齢を正確に知っている人はいなかったが、30代後半から40代前半に見えた。どういう人生を送って来たのかも分からない。ただ皆が知っているのは、宗教や霊的な事柄についてのあらゆる質問に、それを熟知している人にしか分からない答え方ができたことと、人を「癒す」力を持っているらしいということだった。


外見は大柄で、丸刈りで髭を生やした達磨さんのようだったが、威圧的な所はなく、飄々として何とも言えない愛嬌と親しみやすさがあった。小さな子供を連れた人が来ると、一緒に楽しそうに遊んでいる。


Dさんは何か特別な「教え」を与えるわけではなかった。やって来る人に対して、その人がそのときに必要なアドバイスを与えるという形だった。そういう意味では完全な対機説法であった。人によって聞いた内容が矛盾することもよくあった。


Kさんは、知人に噂を聞いてDさんのアパートを訪れた。その場で、すぐにセミナーを辞めるように言われた。「あれは金もうけだから」というのがその理由だった。


Kさんはいつもの調子で、「人生の意味」についてDさんに尋ねた。二人は6畳くらいのアパートで、胡坐をかきながら対面していた。


Dさんは微笑みながら、Kさんを手招きする仕草をした。怪訝に思いながらもKさんがDさんの方に少し身体をかがめると(何か秘密のマントラでも耳打ちされるのかと思ったという)、DさんはKさんの頭を「よしよし」するように撫でたのだそうだ。


そうしたら、Kさんの目から思わず涙が溢れて、その場で号泣してしまった。自分でも何で泣いているのか分からないまま、ずっと泣き続けた。Dさんは時々Kさんの肩をぽんぽんと叩いて、二人きりでそうやってしばらく過ごしたのだそうだ。


やがてKさんは頭も心もすっきりして、お礼を言って帰って行った。Dさんは「またおいで」と言って送り出してくれた。


セミナーでKさんが話していたことだが、Kさんは10歳になる前に父親を亡くした。Kさんの記憶では、決して優しい父ではなかった。母親が再婚した後、Kさんは新しい父を受け入れ、それなりに幸せに育てられた。


Kさんと亡き父親との唯一の温かい接触は、Kさんが塾のテストで満点を取ったときやコンクールで入賞したときに、頭を撫でてくれたことだった。しかし、Kさんには実の父から無条件に可愛がってもらった記憶がなかった――そのことを思い出したのは、Dさんのアパートを辞去した帰り道だった。


その話を聞いた時、僕は、例の新興宗教のグルを思い出していた。


信者がグルと対面して、何か自分より大きなものを体験し、その虜になり、洗脳されていく。結局はKさんもそんな人だったのか、というのが率直な感想だった。

ただ、Dさんについては、胡散臭いとも思ったが、Kさんやその他の人からの話を聞いて、少し興味がわいたのも事実である。


Kさんから、Dさんのところに一緒に行こうと誘われたときは、かなり抵抗した。セミナーの次は新興宗教というわけか。Kさんは優秀だが生真面目すぎる。こういう人は、宗教にハマり易い。


丁度その頃、N県の某都市で、猛毒の薬剤が散布され、多数の死傷者を出したという事件が世間を騒がせていた。首謀者は当時メディアで有名だった教団の教祖ではないかと噂されていた。


Kさんの誘いに半年ほど抵抗した挙句、Dさんが新興宗教の関係者ではなく、ヨガとか瞑想には一切関係しないことを念押した上で、僕はKさんと二人で、中央線沿いのA駅付近にあったDさんのアパートを訪ねた。


セミナーの時と同じで、ある種の好奇心もあった。ただしセミナーの時よりも警戒心と緊張感ははるかに強かった。


その頃世間は、富士山麓の村にある某教団の施設への強制捜査のニュース一色に染まっていた。


つづく


(註)この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。